神託はそれぞれの想いを変えて————

「ふっふふ〜ん♪」


 ドライヤーで髪を乾かしながら、音程もとらない何気ない鼻歌が私の部屋に響く。

 お風呂から上がり、私は今自分の部屋で就寝前の最低限の女の子として身なりを整えていた。


 すっかり日が沈んだ。外を覗けば街灯と、薄らと輝く満月がよく目立つ。


「明日は……何して遊ぼうかな」


 明日はまだ夏休み。学校も楽しいけど、やっぱりお休みが一番ワクワクする。

 セシリアちゃんとお出かけしてもいいし、クロちゃんと一日家でゴロゴロしてもいいなぁ……で、できればもっと女の子として意識してもらえるようにアピールを頑張りたいです。


「まぁ、明日のことは明日考えようかな」


 どうせいつも予定なんかなくて行き当たりばったりの毎日なんだ。だから、今考えてもさして意味が無いからね。


「よいしょ……と」


 私はベットから立ち上がり、消灯の為に部屋の入口のスイッチを消しに向かう。

 今日はもう寝よう。多分、クロちゃんはまだ起きていると思うけど、私は朝起きれなくなったら困るからね。


 そして、重たい瞼を擦りながら、電気を消そうとする。その時————


「アリス……起きてますか?」


 ドア越しに、セシリアちゃんの声が聞こえた。


 ……こんな夜遅くにどうしたんだろう? もしかして、眠れなくなっちゃたのかな?


「起きてるよ〜」


 私は不思議に思いつつもドアを開ける。

 そして、案の定と言うべきか、そこには白の寝間着を着たセシリアちゃんが立っていた。


「……夜分遅くにすみません」


「そ、それは大丈夫だけど……」


 恭しく頭を下げるセシリアちゃんに、少し言葉が詰まってしまう。


 眠い様子も、気軽に遊びに来た感じではない————セシリアちゃんの表情が、どことなく神妙だったから。


「と、とりあえず中に入ってよ」


 気になりはするものの、立ち話もなんだからと、私は中に促す。

 すると、セシリアちゃんは首を横に振った。


「アリス……私は、あなたの友達失格のようです」


「……へ?」


 いきなりの発言に、私は驚いて変な声が出てしまう。

 な、なんで……そんなこと言うの? 失格じゃないし、セシリアちゃんは私の友達だよ?


「所詮、私は『セシリア』としてではなく、『聖女』として生きているのだと思います。こうして、あなたの幸せそうな姿を見ても、この決断に至ってしまうのですから」


「な、何を言ってるのセシリアちゃん……? セシリアちゃんはセシリアちゃんだ

よ?」


 私はセシリアちゃんの言葉が理解出来ず、答えにもなってない言葉しか紡げない。


「ここは居心地が良すぎます……みんなが笑えて、幸せそうな民が今日という日を生きている————その輪に私が加わっていると考えるだけで————いえ、これ以上は不毛ですね」


 な、何を言っているのか分からない……セシリアちゃんは、今何を話しているの?

 私の頭の中で、セシリアちゃんの行動が理解出来ずパニックになってしまう。


「神託が正しければ、多くの民が厄災に巻き込まれる————だからこそ、私は聖女としてそれを止めなければなりません」


 そう言って、セシリアちゃん細い腕が私の頭に触れる。


「セ、セシリア……ちゃん……?」


「恨んでくださいアリス。……あなたの幸せは、私が奪ってしまうのですから」


 徐々に頭に暖かい何かが流れてくる。その所為か、私の意識は薄れていき、次第に全身に力が入らなくなってきた。

 こ、これって……昏睡魔術……?


「ど、どうして……?」


「ごめんなさい……私には、これしか選択することができないのですから」


 そして————



「女神よ……本当にこれで良かったのですか……?」



 セシリアちゃんの悲しそうな声が、最後に耳に残った。



 ♦♦♦



『そう遠くないうちに、人類は大きな厄災に見舞われます』


『魔族ではありません。それ以上の「何か」』


『その「何か」に対抗するには、勇者である「アリス・エンドブルク」しかいません』


『さすれば、人類は再び平和な未来を歩むことができるでしょう』



「………」


 女神も言葉が、私の脳裏に反芻する。

 暗い夜道を、白装束に着替えた私は歩いていた。

 辺りには勿論のこと誰も見当たらない、住民も寝たのか、住宅街に明かりはついておらず、薄暗い街灯と満月のみが私達を照らしていた。


「……すぅ……すぅ……」


 背中から、そんな可愛らしい寝息が聞こえる。

 銀色の髪が月に照らされ、神秘的な輝きを放っていたが、今は彼女をおぶっている為よく見えない。


「本当にこれで良かったのでしょうか……?」


 女神の神託を受け、私はアリスを連れて元の世界に帰還しようとしている。


 アリスの意思も想いも聞かず、無理矢理連れていってしまった。

 相談していれば、別の選択肢が生まれていたのでしょうか? それとも————いえ、今更遅いですね。


 私にとって、女神とは絶対的存在。人々の信仰の対象。恩恵と、恵を授けてくれる存在。

 聖女の全ての魔力やこの癒しの力は、全て女神から授かったものだ。

 そして、女神から下される神託————このおかげで、今まで人類は幾度の危機を乗り越えてきた。


 だから、今回の厄災も必ず起こるのでしょう————その為に、勇者であるアリスは必要な存在。


 故に私は民の為、アリスではなく————勇者を欲した。


「もう……私はアリスの友達として接することはできないでしょうね……」


 この世界での彼女は本当に幸せそうだった。愛しい人に巡り会え、争いとは無縁な環境で平和に過ごしている。

 そんな場所で過ごしている彼女に、再び剣を握らせる。

 その事が、果たして本当に正しいのでしょうか?


「いえ……もう、後には退けないのです」


 アリスは連れて来た。身体強化の魔術で、こうして楽々背負うことができている。

 それに、もうそろそろこの世界の特異点に到着するのだ。

 賽は投げた。後は私が向こうの世界に連れて帰れば、女神の信託通り民は救われるだろう。


「心残りがあるとすれば……」


 かの魔王。この世界では『黒崎 楓』として生を受けた彼は、一体どういう反応をするのだろうか?


「当然……怒るでしょうね……」


 あれだけアリスを大切にしてきたのだ。黙っているはずがない。それに、魔王だけではなく、今のアリスの家族やご友人————その全てが、私に恨みを持つことになるでしょう。


 罪悪感で押しつぶされそうになる。それでも私は、この世界のアリスやアリスの親しい人より、向こうの民を選んだ。


 頭の中で自問自答を繰り返し――――やがて、一つの小さな路地に辿り着く。


 そこには電柱以外の何も無く、殺風景と言えるほどの場所。

 ここが、私がこの世界にやって来た場所。この世界での特異点。


「……帰りましょう」


 この世界から、元いた世界へ。多くの幸せがはびこるこの世界から、一人の少女を奪い去って————




「本来、特異点とは向こうの世界の影響が、この世界に影響を与えたある場所をを指す言葉だ」




「ッ⁉」


 不意に、夜道から声が聞こえる。

 その声は、最近よく聞いていた声で、ここにいるはずもない声。黙っていなくなった私達に気づいている訳がないのに。


「まぁ、影響があったとすれば、俺が記憶を取り戻した場所と予想していたのだが————当たっていてホッとしたよ」


「どうして……」


 そして、ゆっくりと暗い夜道から人影が現れる。


 特徴的な風貌では無いものの、その人影を見た瞬間、声の主がはっきりと分かってしまった。


(………あぁ、来てしまったのですね)


 考えてみれば、あなたがアリスの危機にやって来ないわけがありませんから。


「……魔王」












「さぁ、少しだけ話をしようじゃないか。一人の女の子ではなく、聖女としての選択をした少女よ」






 魔王と名乗る少年は、不遜な笑みを浮かべてそう言った。

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