時は過ぎ、そして———


 セシリアが現れてから二週間の月日が経った。

 楓とアリスの学校は夏休みに突入して、今では学校に通う機会もなくなった。


「ア、アリス! そこであのコンボはずるいと思います!」


「ふふーん! 経験の勝利だね!」


「私はこの『げーむ』というものを今日初めて遊んだのですよ⁉ もっと手加減をしてくれてもいいと思うのです!」


 セシリアも、今やこの世界にすっかり順応してきたのではないだろうか?

 今、こうしてゲーム機片手にアリスと一喜一憂している姿は、この世界の年相応の女の子に見える。


「お前ら、クッキー焼いたけど食べるか?」


 そして、キッチンから二人を生暖かい目で見ていた楓が、タイミングを見計らい出来たてのクッキーを持ってくる。


「食べるっ!」


 楓が現れるや、すぐさまアリスはゲーム機を置き、クッキー目当てに楓に駆け寄った。


「はぁ……アリスはもう……」


 勝ち逃げされて悔しいのか、セシリア嘆息つきながら、渋々リビングへと向かう。


「毎回、あなたの作るものは美味しそうですね。もう、いっその事お店でも出して

みたらいかがでしょうか?」


「馬鹿言うな、店なんか出したら、誰がアリスの面倒を見るんだよ?」


「あのー、クロちゃん? お店を出せるような資金や技量より、私の方が心配なの?」


 大変不服と言わんばかりに、アリスが頬を膨らませる。

 それを見て、楓は頬をつついて遊ぶのみ。アリスは余計にも頬を膨らませてしまった。


「はいはい、夫婦同士の馴れ合いは私のいない所でやっていただけないでしょうか」


「ふ、夫婦じゃないよ⁉ い、今はまだ……」


 セシリアに言われて咄嗟に否定してしまったが、しっかり予防線は張っておく。

 堂々と言いきれない辺り、アリスはまだ一歩勇気が足りていないようだ。


「ほれ、セシリアが好きだって言ってたバタークッキーだ」


 そう言って、楓はアリスよりバタークッキー多めの皿を手渡す。


「あ、ありがとうございます……」


 小さくお礼を言うセシリアの顔が赤い。


 それは気遣いが嬉しかったのか、それとも好みを知られていて恥ずかしかったから故か。


「むぅ〜!」


 アリスが更に頬を膨らましてしまった辺り、少なくとも彼女には理由が分かっているようだ。


「アリスはチョコクッキーだよな?」


「うん♪」


 多めのチョコクッキーを楓から渡され、一気にテンションが戻った。

 アリスのチョロさは天下一品なのかもしれない。


「あなたは食べないのですか……?」


「俺は見ているだけでいいよ」


「クロちゃん、いっぱい食べないと大きくなれないよ?」


「お前はいつも食べ過ぎなんだ馬鹿野郎」


「あぁっ⁉ クロちゃん! そんなに髪をわしゃわしゃしないでぇ〜!」


「ふふっ、相変わらず仲がよろしいですね」



 平和な日常が過ぎていく。いつもより賑やかさが増した楓の家では、今日も賑やかな声が響いている。


 楓達は、この日常が楽しいと感じつつも、終わりがある事を知っている。

 しかし、それは分かっていたことで、寂しさを感じつつも、悲しくはなかった。




 しかし、終わりとは誰しも思ってもいない時に訪れるものである。




♦♦♦



「ふぅ……いいお湯でした」


 私にあてがわれた寝室。少し広めの『わしつ』たる部屋に敷かれた布団の上に、私は腰を下ろす。

 いい匂いが部屋中に充満しており、ここにいるだけでほっこりとした気分にさせられてくる。そんなこの場所は、今では私のお気に入りの一つです。


 この世界にやって来て、早二週間。


 あっという間————ここは、居心地が良すぎる。

 争いとは無縁。見た感じ、貧困に困っている人々や、格差が広がっている訳ではありません。


 魔王曰く、世界のどこかでは未だに争いが続いている国があるらしいのですが、少なくともこの国の人々は幸せそうに暮らしています。

 美味しい料理に、過ごしやすい環境。私の世界とは比べ物になりません。


「しかし、それもそろそろお終いですね……」


 過ごしやすかった、居心地が良かった。

 死んだと思っていた私の数少ない友達がこの世界にはいて、旅をしていた時のように笑い合い、魔王は何故か私に良くしてくれます。


 アリスの為————と、本人は言っていますが、最近では、あの姿こそ本来の彼なのではないか? と思い始めてしまう。


 ……少し前までは、殺したいほど恨んでいたはずなんですけどね。


「私は、分からなくなってきました……」


 寝転び、明かりが灯っている天井を見上げる。

 冷酷無慈悲と言われてきた魔王。人類の共通の敵として、女神の神託の通り、勇者と賢者と共に討伐しました。


 ————なのに、


「本当に、彼は倒さなければいけない存在だったのでしょうか……?」


 始めこそ、私は忌み嫌っていました。今すぐにでも倒したかったが、アリスの手前、その気持ちは押さえつけ、できるだけ関わらないように過ごしてきた。


 でも、だんだんと過ごしていくうちに、その気持ちは薄れ、いつしか普通の男の子として接するようになってしまう。


 素っ気ない態度をとっても、決して見放さず、それどころか私に不自由がないように身の回りの世話をしてくれ、そして————


「一人の女の子……ですか」


 いつしか。魔王は、私を一人の女の子だと言った。私だけでなくアリスまで、聖女や勇者なんて肩書きなんて関係なく、一人のどこにでもいる女の子なんだと言ってくれました。


「久しく、そんな事を言われましたしたね……」


 物心ついて、成長してきた時には、私は聖女として女神の神託を受けた。

 その頃から、私は周囲の人達に『セシリア』ではなく『聖女』という風に見られてきた。

 だからこそ、魔王に言われたその一言は新鮮で————


「……理解者、ですか」


 いつしかアリスが言っていた言葉。今なら、その言葉の意味が分かる。

 自分の事を理解してくれて、寄り添ってくれる————そんな関係が、今のアリスと魔王なのでしょう。


 なんとも素晴らしい関係なのか。正直、妬けてくる。

 しかし、そんな二人と過ごす時間は心地よいもの。願うことなら、ずっとここで暮らしていきたい。


 聖女としてでは無く、一人の女の子として。


 だけど————


「それも、そろそろ帰らないといけませんね……」


 魔力は回復した。今なら、私ともう一人は充分に転移することが出来る。

 だから、もうここに残る理由はない。


 寂しくはある。自分がここまでこの世界に残りたいなんて思うとは思わなかった。

 後はアリスに別れの挨拶をして、少し癪ですが、魔王にもお礼を————


『……を…………なさい』


 すると、頭な中で何かの声が聞こえてくる。

 この声は————


「め、女神様……?」


 紛れもなく女神の声。神託の際に、私に語りかけてくる声そのもの。

 上手く聞き取れないのは、この世界での干渉が難しいからなのでしょうか?


『ゆう……を……つれ……なさい』


 そして、女神の声が徐々にはっきりと頭の中に響いてくる。


 そして————





『勇者を、連れて戻りなさい』






 神託が、舞い降りた。


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