一章
目を開けると、すぐ前には知らない天井があった。というか、僕は知らない部屋の知らないベッドに寝かされていた。
ここはどこだろう?
身を起こし、周りを見ると――どうやら、保健室のようだけど……?
「あ、気がついた?」
ふと、隣から声が聞こえてきた。そちらに振り返ると、一人の女生徒が立っていた。僕と同じ破邪煉獄学園の制服(茶のブレザー)を着て、僕と同じ一年生用の青い色のネクタイをしている子だ。
「いきなり倒れちゃってるし、ほんとにびっくりしたんだよ」
女の子は心配そうな顔で僕を見ている。栗色の長い髪をツインテールにして結った、小柄な子だ。顔立ちは子猫のような幼さとかわいらしさがあるが、反面、胸はけっこう大きい……。
でも、誰だろう? この子は僕のことを知ってるみたいだけど、僕は誰だか、さっぱりわからないぞ?
ってか、そもそもなんで僕はこんなところに? 確か……始業式で生徒会長様の演説を聞いていたところだったはずだけど。
「小暮君、もしかして、何も覚えてないの?」
ツインテールの子は、ますます顔を近づけてきた。うわ、恥ずかしくてちょっと赤くなってしまう。
「何もかもってわけじゃないんだけど、君の名前とかは思い出せないかな……」
「ウソ! あたし、
「そ、そうだっけ?」
「そうだよ! 今まで一緒にあんなことや、こんなことをした仲じゃない! それを全部忘れちゃうなんて、ひどいわ!」
花澄ちゃんは急に涙目になった。
うわあ、こんなかわいい子が、僕のことで泣いてるぞ。十五年間生きてきてそんな経験初めてで、ぽかんとなってしまった。ってか、相変わらずどういう状況なのかさっぱりわからないし。
「あの、君さ、僕がなんでこんなところに運び込まれたのか、よかったら説明を――」
「そうね。お詫びはそのエンブレムでいいわ」
花澄ちゃんは、急に僕の左の胸を指さした。見るとそこには、六芒星の形の黒いエンブレムがついていた。あれ? こんなの入学したときにはなかったはずなんだけど、いつつけたんだろう、僕?
「君、こんなの欲しいの?」
「うん。すごく欲しいの……お願い!」
花澄ちゃんはたちまち僕の首に抱きついてきた。うわっ! その大きい胸が顔に当たる! なんてすばらしい心地なんだ! ちょっとうっとりしてしまう……。
あ、でも、よく見たら花澄ちゃんの胸にも黒い六芒星のエンブレムがついてるみたいだ。これって、やっぱり――。
「この学校の校章?」
「そうよ! あたし、小暮君のこと好きだから、小暮君の校章が欲しいの! 卒業式の第二ボタン的な感覚で!」
花澄ちゃんは抱きついたまま、目をキラキラさせて僕を見つめる。
そ、そうだったのか! 僕はいつのまにかこんなかわいい子に思いを寄せられてたんだ! うわー、全然さっぱり思い当たるところがないけど、すごく幸せな気持ちだなあ。
「うん! あげるよあげるよ! 僕の校章も僕の大切な何かも全部花澄ちゃんにあげちゃう!」
「わぁい! エンブ……校章だけでいいんだけどわぁい!」
「ちょっと待っててね……」
花澄ちゃんから離れて、左胸に手を当て、校章を外す――と、そのとき!
「小暮っ! こんなところに逃げ込みやがったのかああああっ!」
がしゃーん、と、保健室の扉が破壊される音が響いた。そして、何者かが、ものすごい勢いで僕のベッドのところまで駆けてきた。大柄な、男子生徒のようだけど……。
「小暮っ! さっきはよくもやってくれたなあっ!」
大柄な男子生徒は、怒りで顔を真っ赤にしながら拳を上げた。すると、たちまち――その拳が電気をまとったように紫色の光を放ち始めた。ビリビリ音を出しながら。
「な、なんだよ、それ!」
キョドらずにはいられない。
「はぁ? さっきも説明してやっただろうが、これは俺の
電気の拳を持つ熊田は、にやりと笑い、ボディビルダーのようにポージングした。よく見ると、その足には下駄を履いている。髪は角刈りで、筋肉隆々で、なんだか昭和の不良みたいな風体だ。
でも、
「さあ、小暮! てめえも
「いや、なんのことだかさっぱり――」
「グダグダ言ってんじゃねえ! やる気がないなら、お前のエンブレムは俺がもらうぜ!」
熊田は瞬間、カッと目を見開き、僕に向けて電気拳を振り下ろした。すさまじいスピードだ。よけられない! とっさに身を固くし、目をつむる――、
が、そのとき、僕の体は宙にふわっと浮いた。
そう、花澄ちゃんが、とっさに僕の体を懐に抱えて後ろに跳んだのだ。
「ありがとう、峰崎さん」
背中に当たる二つのやわらかいものの感触にドキドキしながら、振り返った。しかし、そこにいたのは、もうさっきまでの花澄ちゃんじゃなかった……。
「クソが。あんなウドの大木に、いきなりエンブレム取られそうになってんじゃねえよ」
ギロリ、と僕を睨むその瞳は、まるで歴戦の戦士のように殺気がみなぎっていた。あ、あれ? この人、僕に恋してるかわいい女の子だよね? クマのように乱暴な男から、身を呈して僕のこと助けてくれた健気な女の子だよね?
「記憶飛んでるからって、トロすぎなんだよ、テメーはっ!」
チッ!と舌打ちしながら、心底忌々しそうな眼をしている。だ、誰だよ、この人?
「はっ、まだくたばってなかったのかよ。一年三組、峰崎花澄……
熊田は花澄ちゃんを見て、ひとり言のように言う……って、やっぱり、この人花澄ちゃんなのか。本人なのか……。
「相変わらず素早いヤツだ。まさか、お前も小暮を狙っていたとはな」
「はっ! これは最初からあたしの獲物だよ! クマはおとなしく森に帰ってハチミツ採ってろやっ!」
そう叫ぶや否や、花澄ちゃんは、稲妻のような速さで僕の背後から跳躍した。そして、壁を蹴り、身をしなやかに回転させ天井をも足場にして、一気に、熊田の頭上に舞い降りる――。
ドゴォッ!
瞬間、火花が散り、爆音がとどろいた。
花澄ちゃんの蹴りは、熊田のとっさに挙げた両腕によって受け止められていた。闘気(?)が、お互いの体を銀色に輝かせている……。
「ちっ!」
花澄ちゃんは舌打ちとともに、身をひるがえし、床に着地した。そして今度は身を低くして、弾丸のように熊田の懐に飛び込んだ。
その小柄な体から、ものすごい速さで繰り出されるパンチ、キック――。
だが、それを熊田は防御することはなかった。うたれるがまま、平然と仁王立ちしていた。
「やはりどうあがいても、女の蹴りとパンチだな。軽い! 軽すぎる!」
と、高笑いすらしはじめた。まるで攻撃がきいてない――。
「……そう? あんたの制服は正直みたいだけど?」
と、花澄ちゃんは一歩退き、熊田の制服を指さした。見ると、それはさっきに比べて、ボロボロになってきている……?
「あたしの速さに対応できないからって、やせ我慢でハッタリかまそうとしてんの? 無駄よ」
「ぐぬぬ……」
熊田は歯ぎしりした。
「お、俺は! お前のような女を殴る拳は持っておらぬ!」
「ハッタリを見破られたからって、今更フェミニスト宣言? どっちもサムすぎるんですけど!」
花澄ちゃんは再び身を低くして、熊田の懐に飛び込んだ。そして床すれすれに半円を描くような足さばきで、熊田の脛にローキックをあびせた。
「ぐぁっ!」
弁慶の泣き所をおさえて、熊田はうめいた。さすがに、そこは痛みを我慢できないらしい。見ると、その制服の上着が斜めに裂け始めている。なんだろう、これ? 脛を蹴られたら、上着がいきなり破けるって変な光景だな……。
「やっぱり、一対一ならこんなもん! あんたの制服、もう限界みたいね! このまま一気に
刃のような鋭いきらめきを目に宿したまま、花澄ちゃんは上段回し蹴りを熊田の顔に放つ――が、その寸前、
「そこまでよ!」
と、制止の声が響き、花澄ちゃんの動きを止めた。見ると、すぐ近くに、保健の先生らしい白衣の女性が立っていた。ウェーブの入った長い髪に、眼鏡をした若い先生だ。口には棒付きキャンディーをくわえている。
「あなたたち、ここは保健室。非戦闘区域よ。ここで戦うってことがどういうことか、わかってるの?」
保健の先生はあきれ顔で熊田と花澄ちゃんを見つめる。二人は、ばつが悪そうに目をそらし、うつむいた。
「あ、あたしは、わかってたわよ! ここで
「俺は、小暮のヤツを追ってただけだ! こいつがこんなところに逃げ込むのが悪いんだ!」
何だか知らないけど、言い訳合戦が始まってしまった……。
「屁理屈はいいわ。ケンカ両成敗。おとなしく二人ともペナルティを受けなさい」
保健の先生はため息をつき、両手をぱんと、顔の前で叩いた。たちまち、花澄ちゃんと熊田の頭の上に「-5」と数字が浮かび上がり、すぐに消えた。
「ちっ! これで失点5か。いてえな」
熊田は僕を睨むと、そのまま保健室を出て行った。
い、今の光景はいったい……。
「峰崎さん、さっきからいったい何が起こって――」
「小暮君のせいで、あたしの貴重な貴重なポイントが五点も減らされたってことよ」
にこにこしながら、どすの利いた声で花澄ちゃんは言う。
あわわ……何だか知らないが、ものを尋ねられる雰囲気じゃない。あわてて、ごめんごめんと連呼しながら距離を置いた。
と、そこで、チャイムが鳴る音が聞こえてきた。
「もう昼休みは終わりね。教室に戻りなさい、峰崎さん」
「……はい」
花澄ちゃんも保健室を出て行ってしまった。ホントに何だったんだろう、今の光景は。その出て行ったほう、熊田に破壊された保健室の扉をじっと見つめた。
すると、
「あ、この扉なら叩けばすぐ直るから。小暮君は気にすることないわよ」
保健の先生は、僕の注意が破壊された扉にあると思ったようだった。
まあ、確かに、それも気になるポイントではあるんだけど。保健室で暴れたことだけ叱って、熊田が扉壊したことはスルーかよっていう――って、何か今、変なこと言われたような?
「叩けば直るって、そんな昔のテレビじゃあるまいし……」
「それがねえ、直るのよ。この学校、すごくハイテクだからー」
おほほ、と保健の先生は笑って、破壊された扉の蝶番のところをぽんぽんと手で叩いた。すると、たちまち、床に散らばっていた扉の破片が勝手に集まってきて、破壊される前の形になった――って!
「んなバカな!」
なんだよこの扉! ホントに叩いたら直ったよ!
「ハイテクでしょー。すごいわよね、最近の学校は」
いや、ハイテクどころじゃない気がするんだが。二十一世紀初頭の日本ではありえない技術、むしろロストテクノロジーってレベルだと思うんだが!
「せ、先生! この学校っていったい何なんですか! さっきから何が起こってるんですか! ほんとにこれ、現実なんですか!」
「あらあら。もしかして
保健の先生はにやにやしている。セクシーな大人の女性というたたずまいで、実にいいおっぱいをしている。白衣補正を抜きにしても、美人だ。棒付きキャンディーをなめている口の動きもなまめかしい。
「そうねえ、一言で言うと、この学校では今、戦争が行われてるのよ。『美星杯』っていう」
「み、『美星杯』? なんですかそれは?」
「生徒会長の美星三太夫、並びにその妹、美星琴理、そのどちらかを獲得するための大会、よ」
「な――」
始業式のアレか! アレがコレになってたのか!
「そんなに驚いた顔しないの。君も参加者でしょ」
保健の先生は僕の胸の六芒星を指さした。
まさか、これが、その美星杯とやらの参加証?
「じゃ、じゃあ、僕はこれから――」
「そう、みんなで楽しくバトルロイヤルよ♪」
保健の先生は棒付きキャンディーをなめながら、楽しそうに笑った。
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