ルサンチマンの終わり。クリーピーナッツと僕。(2020/07/25 16:05)
ルサンチマン。
ここ最近、ファッション的に使い古された感のある言葉だ。
最近は本来の社会的弱者というよりはリア、非リアという日本の仮想カースト制度において上位に対する恨みや憎みを持つときに使われがちである。
僕は非リアで抑圧された人生だと自覚している。しかし、ルサンチマンをこじらせているかと言えばどうだろう。
仮想敵もいなければ、カースト上位に対するねたみ、そねみもない。あるとすれば、下位に甘んじている自分への恥、劣等感だけだ。
ではクリーピーナッツの二人はどうだろう?
知らない人向けに説明しておけば、クリーピーナッツ(Creepy Nuts)はR-指定とDJ松永による1MC1DJのヒップホップユニットである。
彼らについて(あるいは彼らの曲について)語られるとき、しばしばルサンチマンという言葉がついて回る。
彼らは非リアを自称しており、ヒップホップというイケイケのシーンでその鬱屈した感情を武器に戦っている。
実際に彼らはヒップホップというイメージの中ではイケていない部類だ。
平凡な家庭で生まれ育ち、喧嘩や女性はもちろんタトゥーやクスリとも無縁である。ラジオや曲から感じるメンタリティをとっても非モテ、非リアのそれであり、共感できるところは多々あった。
だからこそ、ファンとまでは言わないまでも彼らの曲やラジオをかかさず聴いていた。
だが、ある日を境に彼らの曲を聴くことが出来なくなってしまった。
僕は気付いてしまったのだ。彼らは僕と同じ平凡ではなく、本当はスペシャルなのだと。
きっかけはDJ松永が世界一のDJになったことだった。
もともとR-指定もMCバトル全国大会3連覇というかなりの実力の持ち主だったのだが、DJ松永がそれに劣らぬ肩書を身に付け、一般メディアの露出が増え、あれよあれよと有名になっていくにつれて、僕は彼らを直視できなくなっていった。
彼らの名前や曲を耳にするたび腹のなかをウネウネと蠢く感情が湧いてくるようになった。
それは明らかに僕をマイナスへと導く感情であり、やがてこの感情はハッキリとした妬み、憎悪へと変わっていくだろう。そしてそれこそがルサンチマンなのだと気づいてしまったのだ。
このまま彼らを追い続ければルサンチマンに対してルサンチマンを抱くというとてつもなく哀れで、どうしようもなく惨めな現状を突きつけられる。そう気付いて以来、僕は彼らの曲を、そして彼ら自身を直視できなくなってしまったのだった。
なぜ私は私なのか。
僕だけがこんな感情を抱くのか、ある時点においてこうなってしまったのか、それとも元来の気質なのかは分からない。
分かっているのは、生々しい傷は現実に痛みを伴って、いまだ冷たい血が流れ続けていることだけだ。
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