萍水相逢。そこにいるのは自分だった。(2017/11/05 1:12)

はっきり言おう、僕は緊張していた。


数十年前には想像の及びもしなかった広大な世界で我々は邂逅を果たし、そして今まさにその人物(便宜的に羊男と呼ばせてもらう)は実体を伴って僕の目の前に立っていた。

それは宿命だとか運命だとか、因縁、合縁奇縁などと呼べるものではない。名前などない出会いだ。


人見知りだし、羊男と会うのは初めてだったということもあるけれど、そのことを別にしても僕は緊張しすぎるくらい緊張していたと思う。

緊張と言ってもその種類は色々とあるけれど、僕がそのとき感じていたのは、試験の前のような、面接の時のようなどこか張り詰めたような緊張感だった。


たぶん僕は試されていたのだ。


もちろんその出会いは試験でも面接でもなんでもない。そして、初対面ではあったけれど、羊男が人を値踏みするような人物でないことは僕はよく知っていた。

そう、他の誰でもなく僕は僕自身によって試されていたのだ。

僕はそれを理解していた。だからこそ羊男からの要請を承諾し、その場へと赴いたのだ。これほど緊張するとは思ってみなかったけれど。


駅前で待ち合わせた僕と羊男は一人の人間として常識的な、当たり障りのない挨拶を交わし、近くの居酒屋へと向かった。そして僕たちは向かい合い酒を酌み交わした。

羊男は僕のことをほとんど知らない。しかし、ある意味では恐らく誰よりも僕のことを知っていた。

そして僕もまた、羊男がどこかに存在することは分かっていたけれど、その姿、声、雰囲気、現実的な存在を確かめるのは初めてだった。


羊男は注文した料理をおいしそうに食べた。魚が好きだと言っていた。適度に酒を飲み、そして時折、まっすぐと僕を見た。

羊男は僕と同じ左利きで、まるで鏡に映ったように僕と向かい合って座っていた。そしてそれは外見的な問題だけではなく、僕の精神性さえも羊男という鏡を通して向き合っていたのだと思う。

そこにいたのはたぶん、メタファーとしての僕だったのだ。


羊男は僕と出会うずっと前から僕の核心を知っていた。それはお互い言葉にしなかったけれど暗黙の事実であり、その事実のもとで僕は羊男に語り、その言葉に耳を傾けた。そして羊男もまた僕に向けて語り、僕の言葉に耳を傾けた。

会話の内容はさして重要ではない。その事実が重要なのだ。


少なくとも僕にとってはそうだった。だがそれがお互いにとって全てだと言えるほど僕は傲慢ではない。羊男には羊男の人格があり、一人の人間だか羊だかとして自分の意思で僕のもとへやってきたのだ。

残念だが羊男がどう感じたかは分からない。目的を達成できたのかも分からない。だがしかし、束の間、我々は僅かばかりの言葉を交わし、そして確かにそこに何かを見出した。それだけは事実だと思う。


「いい経験だった」


最後に僕がそう言うと、羊男はそんな大仰なことではないと言った。

羊男にとって何かしらの有益な時間であったならよかったと思う。


別れ際に僕たちは握手を交わし、そしていつかまた会おうと約束した。

それは本当に果たされるべき約束なのか、ただの別れの挨拶だったのか、それともわずかばかりの希望なのかはわからない。

だが、またいつか会えたらいいなと僕は思っている。



一晩が経ち、もはやあれが本当に現実だったのかさえはっきりとしないのだけれど、手元に残った佐々木マキのポストカードがあれは現実だったのだと教えてくれている。ポストカードには羊男が書かれている。


僕はそれを会社のデスクの一番目につく場所に飾っておこうと思う。

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