泣いて馬謖を斬る(2017/10/16 9:32)

この言葉、現代では、どれほど有能な者でもミスを犯したり規律を乱せばその責任を取らせる必要がある。みたいな意味で使われることが多いと思うのだが、馬謖は自分の能力を過信して命令に背き敗戦してその責任として斬られているので、実際のところ有能であったかははなはだ疑問である。


そして孔明は軍の規律を保つため私情を捨てて愛弟子を斬ったために涙したのであり、「有能」という部分はひとまず置いておこうではないか。


僕が今回言いたいのもそういうことである。



ということで、研修期間いっぱいまで勤めた新卒を能力不足で社員不適格として契約解除しました。(もちろん労働契約に則ったうえでちゃんとした手順、手続きを踏まえた解除であり、いくらわが社がブラックといえど違法ではない旨を申し添えておく)


やる気もない、能力もないでは同情する余地もないのだが、その子はやる気だけはあり、言われたことは素直に聞いて頑張っていたので、個人的感情を言えば非常に可哀そうだと思っているし、新卒として採用したからにはそれなりの教育と成長の手助けを行い、ある程度面倒を見ることも会社の義務だと思っている。


だが、一方で冷静に見れば、給与に見合っただけの働きをしているとは言い難く、頑張ってはいるものの空回りやミスが目立ち、六か月という試用期間(三ヶ月の延長を含む)のあいだに何度か面談によるアドバイスや研修を行ってもこの先、ほとんど成長が見込めないのもまた事実であった。


なので、一応管理職という立場にあり、どちらかと言えば会社側に立たなければならない立場の人間としては、今回の会社の判断に異を唱えることは出来なかった。


ちなみにこういったケースは今回が初めてであり、僕としてもとても戸惑ったのだが、ヘタに同情から会社に頼み込んでその子を残したとしても、その子が何か大きなミスをした場合、僕の責任問題になってくるだろう。正直、そこまでのリスクは負えないし、多少の疑問はあれど、今回の会社の判断は正しいことだと思うことにした。


だが、それでも同情してしまう、心が痛むのは僕の悪い癖なのかもしれない。

相手の立場に立ちすぎてしまうのか、勝手にこうだろうと相手の感情を慮っているのか、それともただ非情な選択をすることで相手に嫌われたくないだけなのか。


そのどれかなのか、あるいはそのすべてなのか自分でもよく分からない。

僕は優しい人間なのだろうか、それともただ人の顔色を伺ってなるべく波風を立てずに生きようとするずる賢い人間なのだろうか。


とにかくその感情の源泉がどうであれ、心情としては「泣いて馬謖を斬る」という出来事であったわけだ。



その子が次の職場で必要とされ、活き活きと働けることを祈るばかりである。

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