4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて(2017/07/23 10:15)
タイトルは村上春樹の短編より
たしかカンガルー日和っていう短編集に収録されていて、だいぶ昔(たぶん16年くらい前)に読んだんだけど、なぜかこのタイトルと内容はなんとなく覚えている。
別に四月じゃなくてもいいんだけど、自分にとって100%の女の子に出会ったとき、それが100%の女の子と気づくことができるだろうか。
まぁ無理だろうね。
僕の人生の中で100%の女の子に出会ったこともなければ、そう思えるようになった子もいない。
しかし、それは理屈や経験による判断ではなく、もっと直観的で感覚的なものなのかもしれない。
どっちにしろ僕には今まで経験のないことだし、これからもおそらくはないだろう。
この話はたしか、自分にとって100%の女の子でも相手にとってはそうじゃないかもしれないと思って結局話しかけることなく別れてしまうんだけど、僕はそのことについてよく考える。
世の中のカップルはお互い100%の男女同士なんだろうか。
あるカップルは男の子にとって女の子は100%かもしれないけれど、女の子にとって男の子は実は80%くらいなのかもしれない。
妥協して自分に折り合いをつけて付き合っているいのかもしれない。
そう思うと男の子がすごく哀れに思えてきてしまうし、この先、自分にだって起こりうることかもしれない。
というか付き合う以前に、僕がこの子いいなと思っても相手は僕のことなんて全然これっぽっちも興味ないことなんて今までの人生でならいくらでもあったわけだ。
100%の女の子に出会ったことはないけれど、そんなことならいくらでもある。悲しいけれど。
そうなると僕の経験上から言わしてもらえば、むしろ100%同士のカップルなんて天地開闢以来存在したことがなく、皆がなにかしらの妥協をもって付き合っている。そしてそれが普通なんじゃないだろうかと思えてくる。
そう考えると世の中はすごくいびつで、グネグネとねじ曲がり、混沌としているように思えてきて、僕は今にも吐き気をもよおしそうになるんだけど、それは僕が考え過ぎなのか恋愛というものにプラトニックなものを求めているせいなのかよくわからないけれど、おそらく僕がモテない理由の一つであることには間違いないだろう。
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