死
次に入ってきたのは、髪を後ろで結び、紺のワンピース着た女性だった。
ここの客には珍しく、マスターが案内する前にカウンターに座った。ここがどこかも聞く前にだ。
ただ、彼女は席に座って頬杖をつき、じっと一点を見つめている。
「私、死ねたんだ。」
彼女がそう呟いた瞬間私は思わず彼女の顔を見てしまった。一瞬で今の状況を彼女は察することが出来たのだろう。
今までにない客だったようで、マスターも少し困惑気味に尋ねた。
「お名前をうかがっても宜しいですか?」
「新堂優香里よ。」
マスターはなぜか驚いたような顔をしていたが、その理由はわからない。
「あなたはどうして死を選んだのですか?」
「なんでだろう、特に理由なんてないわ。生きている意味がわからなかったから死んだだけ。」
なんという人だ、理由もなく死ねるなんて。命を粗末にするんじゃない、と思ったが、自分も自殺を選んだ身だ。偉そうなことは言えない。
「君はなぜ死んだのだい?」
彼女から急に話をふられた。この質問に応える義理はないのだが、まぁ既に死んだ身と思い、事の経緯を話した。彼女は頷くでもなく、相槌を打つでもなく、ただ、一点を見つめているだけだった。私が話し終わった後に彼女が漸く口を開いた。
「君は死にたかったのかい?生きるのが辛かったのかい?」
彼女の言っている意味がわからなかった。死にたいも生きるのが辛いも似たような意味ではないか。生きるのが辛いから、死にたいのだ。だから、私は死んだのだ。
「君の話を聞いていると、生きるのが辛いってだけな気がする。一瞬の気の迷いが死へ誘ったのかもしれない。死にたいっていうのは、生きたくないとは違うの。生きたくないって気持ちは、対処できる。でも死にたいって気持ちはどうにもならないの。覚悟というべきなのかわからないけど、それ以外に考えられなくなってしまうの。」
確かに私はパワハラに耐えきれず、彼女にフラれ失意のどん底にいて生きるのが辛いと思った。彼女の言うように、生きるのが辛いという感情だ。死んでしまったのは一瞬の気の迷いだった。パワハラに耐えられないならば、新たな職を探せば良い、彼女だってその子に固執する必要なんて無かった。彼女の言葉を聞き、自分はどうして死ぬなんて選択をしたのだろうと思う。
彼女は私を見て、フッと笑う。まるで子供を見るような目だ。
「あなた、今、死んだことを後悔しているのね。」
「えぇ・・・」
「後悔することは大事よ。ねぇ、マスター。」
「そうですね。」
マスターは部が悪そうに、うつむいている。今までは来た客を圧倒するような感じだったマスターが珍しい。
「では、代永さん、参りましょうか。」
「えっ、えっ・・・」
突然の事で何が起きているか出来ない。マスターが、カウンターの奥へ案内をする。そこで、私は気付いた。これから地獄に向かうのだと。
奥に行く前に、彼女の方を向くと、さっきと同じ顔で笑っている。
「頑張ってね。」
微かにそう言われたような気がした。
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