救済

 ラーンスロットとグウィネヴィア、そしてジル博士の、三角関係の顛末に気を取られて、その場にいた人々はすっかり飛行空母のことを忘れていた。

 最初に飛行空母が空から消えたことに気付いたのは、レイだった。

「おい、トラッシュ」

「ん?」

「飛行空母ってさあ、誰か乗ってたっけ?」

「え?……って、あれ?どこに行った?」

 トラッシュは空を見上げ、その場でくるくると回った。が、のどかな青空が広がるばかりで、あの白銀の巨体は影も形もない。

「うそ!消えた!?」

「いや、戻ってくるとは思うけど。ちょっと心当たりはあるんだ」

「どういうことだ!?」

「じゃあヒント。ここにいないの、だーれだ?」

「……え?」


 ***


 悪魔砦の中は、空気がじっとりと湿っているようだ。石造りの通路の端を、瞳を赤く光らせた巨大なネズミが走り回り、時折長過ぎる牙をむき出して威嚇してくる。

 ハルはヘイゼル、ラーンスロットの配下であるテレンスと共に、ジョシュアたちを狂城主から救けに向かっていた。背の曲がった醜悪な小悪魔に出会うと、先を行くテレンスがすかさず切り捨てる。間にヘイゼルをはさみ、銃を持つハルが後ろを守りながら進む。

 頃合いを見て、ハルは音もなく列から抜けた。――いや、抜けたというよりも、消えた。

「もうすぐ城主の部屋だ」

 テレンスが言ったが、二人は前を向いたままだったので、ハルが消えたことに気付いていなかった。



 飛行空母に戻ったハルは、空母のタイムマシンを起動した。

 窓の外では、シャーロットとラーンスロットがなにやら言い合っている。

 城の上空から、飛行空母はやはり音もなく姿を消した。――蒼穹に時間旅行の光の粒を残して。



 城主に掴み上げられて空中に投げ出された時、小さくなる主人の姿が見えた。

(ここで死ぬのか、私は)

 命は惜しくなかった。あの人のために戦って死ぬのなら、本望だ。守りきれなかったことだけが悔しいが、もし天国で再会するならば、きっと許してくれるだろう。最後にジョシュアの名を呼びたかったが、その姿を目に焼き付けることに集中するあまり、声が出なかった。幼い頃から見守ってきた、愛しいと言うには尊すぎる存在。彼との思い出は、そのどれもが輝いていた。人生で唯一の、かけがえのない人。

(私はどうなってもいい。誰か、あの方を救けてください――)

 空と海の間を落下しながら、ジャックは祈った。波間に叩きつけられる恐怖など、ジョシュアを守れないことに比べたら、どうということはなかった。

 がくん、と衝撃を覚えて、ジャックは我に返った。

「……っ!?」

 バサリ、と羽音がした。きらきらと輝く水平線が見えた。落下が止まり、浮遊している。再び、バサッ、と羽音。

 後ろを振り返ったジャックは、目を疑った。そこには巨大な鳥がいた。黒いまん丸な瞳と目が合う。ジャックは、腰から下を巨大なくちばしにくわえられ、海の上を飛んでいたのだ。

「ロッド……じゃない?」

 それはカラスではなかった。その薄桃色の鳥は、ゆるゆると高度を下げ、やがて空中に浮かぶ白銀色の島の上に降り立った。

 島の上には見覚えのある男が立っていた。時間迷宮の館の主。

「ここは……これは、なんだ?」

 ジャックは薄桃色のくちばしからつるつるした床の上に、べろんと吐き出された。ジャックには知る由もなかったが、そこは飛行空母の屋上デッキだった。

「ようこそ、飛行空母へ。ジャック」

 ハルはそう言いながら、バケツ一杯の魚を床にぶちまけた。ジャックをくわえてきた巨大なペリカンが、がつがつと魚を呑み込んでいく。

「サー……モーガン……?なぜ……」

「悪いが説明している暇はない。さあ、中へ」

 ハルに促されるままに、ジャックは飛行空母へ乗り込んだ。


 ***


 ハルに続いて飛行空母から降りてきた男の姿に、ジョシュアは目を疑った。すらりと背筋の伸びた、見慣れすぎた立ち姿だった。

「ジャック……なのか……?」

 声が震える。ジャックのいつもの黒い服はあちこち乱れ、ところどころ破れている。それは中世の悪魔砦で城主に捕らえられていたジョシュアとシャーロットを助けに来たときの姿と全く同じだったのだが、このときジョシュアはそこまで頭が回らなかった。

「ほんとうに……?生きて……ああ!」

 震える指先で、恐る恐るジャックに触れる。瞬間、幻の鮮血が眼裏まなうらを染めた。

「あああ!うそだ、ジャック……生きているのか、ほんとうに!?ジャック、ジャック!」

 ジョシュアはジャックにすがりつき、何度もその名を呼んだ。花鋏で切り刻んだジャック。青白い水槽に閉じ込められたジャック。悪夢のように繰り返すその死に、何度も打ちひしがれた。

「ジャック……お願いだ、もう――死なないでくれ……ポーリーンを愛しているなら、それもいいよ……僕はもう、君を失うことに耐えられない」

 もう血はたくさんだ。ジョシュアは心の底からそう思った。殺人を犯すことに比べたら、恋心なんて、どうでもいいことに思えた。だが、ジャックはきょとんとして言った。

「ポーリーン?彼女がどうかしましたか?」

「惹かれ合っているんじゃないのか?うちを出て、結婚したいと――」

「まさか。私は生涯、旦那様の執事ですよ」

 ジャックはふわりと微笑んだ。穏やかで少し控えめな、いつもの笑顔だ。

旦那様サー、……帰りましょう、ロンドンへ」

「ああ、ジャック。家についたらまっ先に、お茶をいれてくれ」

「かしこまりました、旦那様サー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る