カオスフィールド・アドベンチャー

 ふたたび稲妻が光り、ミナトが銃を拾った姿を浮かび上がらせた。

「逃げろ!!」

「でも、どこへ――?」

 ジョシュアはうろたえた。チェスター警部はまだドアを叩いている。

「ミスター・エヴァンズ!ミスター・エヴァンズ!ここを開けなさい!ミスター……なんだ、こいつは!?」

 様子がおかしい、と思った瞬間、

「ぐぎゃっ……!!」

おかしな声がして、ジョシュアとハルは顔を見合わせた。

 それは、チェスター警部の断末魔だった。続いて獣の唸り声がして、肉を切り裂き骨を噛砕くおぞましい音が聞こえてきた。

「外へ……!」

 ハルがジョシュアの手を取り、窓へ向かって走った。強風に抗って、バルコニーへ出る扉を開けると、大きな雨粒が顔を叩きつけてきた。

 バン!と、音がして、すぐ近くのガラスが割れた。ミナトが撃ってきたのだ。

「こっちだ!」

 立て続けに追ってくる銃弾を避けて、二人はバルコニーの端のわずかな死角に身を寄せた。

 風で一旦閉まったガラス戸が内側からガタピシと鳴って、ハルが銃を構えた。

「……出てくるな、ミナト……」

 ハルが小さく呟いた。

「私に君は、殺せない」

 初めて聞く、祈るような声に、ジョシュアは思わず、すぐ横にあるハルの顔をまじまじと見た。

「ハル……?君は……」

 ジョシュアが言いかけた時、突然、光の帯が暗闇を撫でた。

 雨が止んだ――と、ジョシュアは思ったが、それは違った。

 ゴウンゴウンゴウンゴウン……

 聞き覚えのある音がして、見上げると、空は白銀色の屋根に覆われていた。――いや、屋根などではない。

「――飛行空母!!」

 バババババッ、と、空母から発せられた銃弾が、窓を叩き割った。顔を覆って身を寄せ合った二人の頭上に、陽気な声が降ってきた。

「ヘイヘイヘイ、旦那がた!無事かい?」

 顔を上げたジョシュアは、目を疑った。飛行空母から伸びる幾本ものライトの光の中で微笑んでいるのは、十九世紀のロンドンにはいるはずのない少年の姿だった。そしてその横には。

「お兄さま!」

「トラッシュ!シャーロット!」

「早く乗れ!」

 レイの声がして、目の前にはしごが降りてくる。ジョシュアは無我夢中ではしごに飛び移り、ハルが続いた。

 冷たい雨に濡れた手が滑って、はしごを掴んでいるのが精一杯だった。とても上まで登れそうになどない、とジョシュアは思ったが、はしごは自動的に空母に収納されて、二人は無事に空母に乗り込むことができた。

 駆け寄ってきたシャーロットを、ジョシュアはきつく抱きしめた。

「ああ……生きてたんだね!僕のシャーロット……!」

「お兄さま……震えてるわ。寒い?」

「いいや……いいや」

 腕の中にシャーロットの温もりを感じて、ジョシュアは涙がこみ上げてきた。一体あの悪夢はなんだったのだろう。

「……教えてくれ、ハル……僕にはもう、わからない……何が現実なのか……君が、何者なのか」


 ***


「ええっと……俺はいったいどうしてここに戻ってきてしまったんだ?」

 男は立ち上がって、ベージュのスーツのほこりをパンパンと払った。そして、ポケットから手帳とペンを取り出した。

「まあなんにせよ、これは書き留めておかないとね、敏腕新聞記者としては」

 そう言って、敏腕新聞記者――ヘイゼルはサラサラとペンを走らせた。曰く――

『伝説の英雄ラーンスロット卿、グウィネヴィア妃を巡って、女装の怪青年と決闘』

 ヘイゼルの目の前には、壮麗な石造りの城がそびえていた。周囲にはコーンウォールの荒野が広がっている。

「ランスロさま!そこよ!右!そんな白粉爺おしろいじじい、さっさとやっつけちゃってくださいよぉ!」

 応援するグロリアの声に応えるように、ラーンスロットの剛剣がぶんと空気を震わせて振り下ろされる。それをひらりと躱した女装の男は、靴に何か仕掛けがあるらしい。黒いドレスを翻し、足元に青い光の軌跡を描いて、男はヒュンと宙に浮いた。

「小癪な!グウィネヴィアは渡さん!」

「渡すも何も、彼女はもともと私の作品ものだ。そして、お前もな」

 女装の男が高みから言った。白粉爺、とグロリアは言ったが、声を聞く限りは存外若い。くっきりとした目鼻立ち、美しく整えられた眉。端正な顔立ちに、化粧がよく映えている。

「なんだと?意味がわからんぞ!」

 ラーンスロットがヒュウっと口笛を吹いた。どこからともなく現れた天馬に飛び乗って、剣を手に黒いドレスの男へ向かって空中を駆け上がる。

「ラーンスロット!ジル!ふたりとも、もうやめて!私がいくら美しいからって、奪い合って戦うなんて!」

 城の上から身を乗り出して、グウィネヴィアが叫んでいる。その顔は、言葉とは裏腹にどこか嬉しそうだ。

「お妃さん、そんな性格キャラだっけ?」

 呆れてひとりごちたヘイゼルの横で、グロリアがふんと鼻を鳴らした。

「あら、グウィネヴィアさまはもともとああいう方ですわよ?ご存じなかったの?」

「ああ、今思い出したよ。そういえば彼女は、アーサー王とラーンスロット卿を手玉に取ったんだったな。で、あのドレスの御仁ごじんは誰だろう?」

「あたくしもよく知らないのだけれど……なんでも、あたくしやグウィネヴィアさまを作った方だとか?」

「きみはグウィネヴィア妃の娘じゃなかった?呪いをかけられて、蘇ったとか言ってたよな?」

「あら、あたくしを蘇らせたのはグウィネヴィアさまだけれど、そもそもバイオアンドロイドの技術はあの爺さんが開発したのよ」

「バイオアンドロイド……ああ!たしか、ミスター・モーガンとグウィネヴィア妃がそんな話をしていたな!?」

 ヘイゼルはパラパラと手帳のページをめくった。

「あった……ええと、グウィネヴィア妃は未来からやってきたバイオアンドロイドで……そのグウィネヴィア妃と、三千年後の未来に行ったわけだから……つまり、あのドレス男も三千年後から来たってことか!?」

 ヘイゼルは記憶をたどる。そういえば、爆破寸前の宇宙ステーションから避難した宇宙船の中に、黒いドレスの男がいた。

「いや、だが、彼はもっと年老いた老人だったぞ?あれはどう見ても若者じゃないか」

「ジル博士はタイムトラベルで見た目の年齢を自在に変えられると聞いたことがあるわ。でも中身はお爺さんよ」

「それに、ラーンスロット卿はなんであんなにピンピンしているんだろう?ここを去るときには瀕死の状態だったのに」

「グウィネヴィアさまが手当てされて、お元気になられたに決まっているじゃない」

 この男は先程から何を不思議がっているのかさっぱりわからない、とでも言いたげに、グロリアは眉を上げた。

「で、君はどっちを応援しているんだ?」

「もちろんランスロさまに決まっていますわ!」

「でも、彼が勝ったらグウィネヴィア妃とくっついてしまうんじゃないか?君もラーンスロット卿が好きなんだろう?」

「んんんんんん!!!」

 グロリアが地団駄を踏んだ。

「それはそれですわよ!でもランスロさまが負けるなんて、絶対許されないことですものっ!!」

「……ミス・グロリア」

 ヘイゼルが、駄々っ子のようなグロリアを遮った。

「なんですの!?笑いたければ笑えばいいわ!」

「そうじゃない、あの、上……」

 グロリアは、空を見上げたヘイゼルの視線を追った。それは天馬に乗ったラーンスロットらを通り越し、その先に浮かぶ巨大な飛行物体を捉えていた。

 ゴウンゴウンゴウンゴウン……

 不気味な音が、中世のコーンウォールの荒野に響き渡った。


 ***


 数分前。

 ロンドン市民は、突如街に溢れ出したバイオアンドロイド・キメラの攻撃を受けて、叫喚きょうかんのさなかにあった。巨大なドラゴンが空を覆い、地上には異形の獣たちが徘徊し、凶暴なゴブリンが石斧を手に家々を破壊して回っている。

 ハルとジョシュアが乗り込んだ飛行空母も例外ではなかった。時間迷宮の館から一度は空へ離脱したが、羽虫のようにまとわりつくドラゴンたちを振り切れず、思うように航行できない。

「くそ……!こいつら、どうにかしないと!」

 操縦席では、トラッシュが操縦かんと格闘していた。

「ジル博士はどこだ?そもそも彼の作り出したキメラだろう!」

 ハルに尋ねられて、トラッシュが苛立ち紛れに怒鳴り返した。

「畜生、あのじいさん、気が触れて消えちまったんだよ!」

「グウィネヴィアは生きてる……って言って、きかなくてさ。まあ、彼にとっちゃ、娘であり、恋人でもあったわけだしね」

 レイがため息交じりに補足した。それを聞いたハルは、顎に手を当ててしばし考え込んだ。

「……じゃあ、迎えに行かないとな」

 ハルは腕時計を操作した。

 ジョシュアは先程から、膝を抱えて座り込んだままだった。心配したシャーロットがずっとそばに付き添っている。

 そのジョシュアの肩をぽんと叩いて、ハルは言った。

「それに、まだ一人、助けなければならない男もいるしね」



―――注釈―――

ネオ・ホンコン編では、ヘイゼルはずっとプルガトリウムにいたので、ジル博士とはほとんど面識がありません。

また、中世編でグウィネヴィアの地下基地(?)へ行ったのはハルとヘイゼルだけなので、ジョシュアは城の地下の復活装置のことを知りません。

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