不都合な真実を残酷な現実が嘲笑う

 ポーリーンの大きな瞳が、困惑したような色を浮かべてジョシュアを見つめた。しどけない部屋着姿の、あらわになった肩に、ブルネットの髪が艷やかに流れ落ちている。その肩に、細い鎖骨に、真っ白い首筋に、ジャックは触れたのだろうか。紺色のタフタのリボンが巻かれた細い腰に、薄桃色に上気した頬に、珊瑚色のふっくらした唇に。

 ――目眩がする。

「……まるで道化だな、僕は」

 ジョシュアは階段の手すりにしがみついて、呟いた。

「ジョシュア、いつからそこに……?」

「どうやら僕は邪魔者のようだ。……僕の執事に、朝までには帰るように言っておくれ」

 ジョシュアは引きつった笑顔で言い捨てて、足早に階段を降りた。

「ジョシュア、待って!ねえ」

 ポーリーンの声を背中に聞いたが、とても振り向く気にはなれなかった。振り返って、そこにジャックとポーリーンの並ぶ姿を見たら、おそらく冷静ではいられない。

 どうやって帰ってきたのか、気づけばジョシュアは自分の家の前にいた。

 家の中は真っ暗だった。ドアの横の窓から、街灯の明かりが家の中に暗い光を落としている。

 明かりをつけようとして、ジョシュアは花束を手にしたままだったことに気付いた。動転して、そのまま持ってきてしまったのだ。切りそろえて花瓶に生けようと、壁に掛かっていた花鋏はなばさみを手に取ったところで、ジョシュアは強烈な空しさに襲われた。

「こんなもの……!」

 ジョシュアは花鋏ごと、花束を床に叩きつけた。と、その時、ゆっくりとドアが開いた。

旦那様サー

 入ってきたジャックは、足元に散らばった花に気づくと、その長身をかがめてひとつずつ拾い集めた。

「サー、申し訳ありません。私はもうお仕えできません」

 ジャックは床を見たまま言った。

「ジャック……ひとつだけ、答えてくれ……ポーリーンを……抱いたのか?」

「サー、どうか」

 ジャックは否定する代わりに、懇願するようにジョシュアを見上げた。が、その表情は闇に溶けてよく見えない。

「答えろ!ジャック!彼女と寝たのか?僕が居間で冷めたお茶を飲んでいるその上で」

 萎れた花を拾うその手で、いつもジョシュアにお茶を入れているその手で、彼女の服を脱がせて、肌に触れたのか。

「……お許しください、サー」

 許しを請うその唇で、彼女とキスを交わしたのか。

「――結婚する、だって?お前が?――ははっ……」

 嘲笑ってやったつもりだったのに、その声は冷え切った室内で嗚咽のように響いた。

 ジョシュアは跪いたジャックの襟元に手をかけ、真っ白なシャツをひと思いに引き裂いた。そして、ジャックの鍛えられた胸板に何度も拳を叩きつけた。

「……許さない……許さない……許すものか……!」

 すらりと伸びた長身。美しい筋肉。控えめだが端正な顔立ちに、赤みがかった髪色がチャーミングさを添えている。ポーリーンと並んだら、さぞかし絵になることだろう――。ジョシュアは胸を焼かれるような嫉妬を、子供のようにジャックにぶつけた。ジャックは抵抗もせずに、ジョシュアの拳を受け止めていた。

 ジャックはエヴァンズ家の屋敷に仕え始めた頃から、メイドたちの間でも好意を寄せる者が後を立たなかった。利発さと愛らしさで常に周囲の人気者だったジョシュアとはまた違って、ジャックには抑制された立ち姿から滲み出る色気があった。そんなジャックがジョシュアの付き人になって、少年ジョシュアは少なからず誇らしい気分になった。女たちが憧れるジャックを、自分が独り占めしているのだ。皆が焦がれるジャックは、自分だけを見ているのだ。それはとてもいい気分で、成長するに従って気づき始めたおのれの出自や、貧弱な体つきや、陰鬱な黒髪のことを忘れさせた。――いや、それらの欠点を持つ自分が、美しいジャックを従えていることこそが、おのれの価値なのだ。いくら精悍な肉体に恵まれ、女にもてはやされても、身分の差だけは決して超えられない――ジャックをそばに置き、ジャックよりも上だと言い聞かせて、ジョシュアはようやくエヴァンズ家で笑っていられた。

 ジャックがジョシュア以外の誰かを心から愛するなど、あってはならないのだ。

「僕は――許さない、お前がここを出ていくなんて」

「サー……」

 視界の端できらりと光るものがあった。先程床に捨てた花鋏だった。ジョシュアはそれを手に取った。

「お前は僕のものだ……僕だけのものだ、ジャック」






 そこから先は、記憶がない。

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