1229時空の旅

「博士!まだ中に……!」

「……!!」

「プルガトリウム」の中にグウィネヴィアが取り残されていることをシャーロットから聞いて、ジル博士は閉まりかけたハッチに取り付いた。

「博士!ダメだ、すぐ爆発する!」

 船で待っていたスゥシェンとハルが博士を押しとどめ、むりやり引き剥がしてハッチを閉めた。

 ハルが腕時計を作動させようとしたが、既にハッチの横の小さな窓からは「プルガトリウム」が炎の閃光を吹き出すのが見えた。

「ダメだ――間に合わん!」

 その瞬間、窓を白いものが覆った。と同時に、何かに衝突したような激しい衝撃がアナンタを襲った。船体が大きく揺れて、乗組員は全員、壁に叩きつけられた。

「助かった……のか……?」

 揺れが収まり、スゥシェンがおそるおそる目を開けた。無重力が幸いして、大きな怪我はない。

「どうやらそうみたいだね」

 レイは窓の外を見た。そこには、ちょうど地球の影から姿を現した太陽の光を浴びて、白亜に輝く巨大な船があった。

「飛行空母――!」

 爆発の寸前、飛行空母の巨体が「プルガトリウム」を弾き飛ばしたのだ。

 コックピットからは、夜空の半分を塞いだ白い巨体と、その向こうの宇宙空間で七色の炎を吹き出している宇宙ステーション「プルガトリウム」が見えた。数分の後、「プルガトリウム」は崩壊し、四散した。

「ああ……グウィネヴィア……」

 崩れ落ちるように、ジル博士は床に座り込んだ。

「……すまなかった……すまなかった……」

 それは、命を助けられなかったことへの後悔なのか、生命を与えてしまったことへの謝罪なのか――あるいはそのどちらもだろうか。シャーロットはやりきれない気持ちで、小さくしぼんでしまったような博士の姿を見下ろした。


 飛行空母がアナンタにドッキングし、ハッチが開いた。

「レイ!」

「――トラッ……!」

 ハッチから現れたトラッシュは、まっすぐにレイに飛びついて、きつく抱きしめた。

「なんで……お前、みんなと行ったんじゃなかったの……?」

「バーカ。俺だけ行ってもつまんねえだろ、相棒」

 トラッシュがレイの額を拳で軽くつつく。その後ろから、ジョシュアも姿を現した。

「お兄さま!」

 今度はシャーロットがジョシュアに抱きついた。

「ああ、シャーロット!君は、本当に――僕がどれだけ心配したか――!」

「ごめんなさい、お兄さま。ごめんなさい」

「やれやれ、感動の再会、ってやつか」

 鼻白んだスゥシェンの横では、ヘイゼルがそわそわと両の手の平をこすり合わせている。

「えっと、ミスター……俺のこと、覚えて――いらっしゃいます――かねぇ?」

「ああ、君、無事だったのか」

 ジョシュアはシャーロットの金髪越しにちらりとヘイゼルを一瞥して言った。それから、一番奥にいたハルに気づいた。

 夜の光の海の中に落ちていったハルの、あの悪夢のような光景は、未だまざまざとまなうらに呼び起こされる。生きているかもしれないという一筋の希望は、「いや、やはり死んでしまったのかもしれない」という恐怖と常に表裏一体で、ジョシュアの心を苛んでいた。そしてそれが純粋に友人の死を悼む気持ちだけではないことが、更にジョシュアを後ろめたい気持ちにさせていた。すなわち、この未知なる世界に水先案内人もなく取り残される恐怖だ。

「やあ、ジョシュア。元気そうで良かった」

 ハルはそんなジョシュアの葛藤など気付きもしない様子で、銀縁眼鏡の奥の瞳を細めた。

「ハル……ほんとうに君か……?」

 ジョシュアはおそるおそる手を伸ばし、ハルの、年齢よりも幼く見える頬に指先を触れた。

「僕は君がてっきり――死んでしまったのかと」

「まあ実際死にかけはしたけどな。そこの不良少年が勝手に時間旅行タイムトラベルしたせいで」

 じろりとハルに睨まれたトラッシュは、しかし特段気にする様子もなく肩をすくめた。

「まあまあ。終わりよければなんとやら、だろ?ところでさあ、博士はどうして落ち込んでんの?」

 トラッシュはわざとらしく話題を変えた。レイが、グウィネヴィアが保安部の長官に裏切られ、宇宙ステーションと運命を共にした経緯いきさつを説明する。

「なあんだ。そんなことかよ?」

 トラッシュがけろりとして言ったので、ジル博士は怪訝そうに顔を上げた。

「グウィネヴィアを助けたいんだろ?助けに行きゃあいいじゃん」

「しかし、どうやって――」

「そりゃあもちろん、時間旅行でさ」

 トラッシュはリンタロウから盗んだであろう懐中時計を見せつけて言った。

「これがあればどこへでも、いつにでも行ける。ってことで、なあ博士、俺のこと雇わない?俺、ハッキングならネオ・ホンコンで右に出るやつはいないと思うぜ」

 滔々と売り込みを始めたトラッシュに気圧されて、ジル博士がたじろぐ。その様子を見たジョシュアはハルに耳打ちした。

「……なんだか軽く既視感を感じるんだが……」

「そういえば、我々も彼をガイドに雇わされたんだったな」

 ハルも苦笑した。

 結局、ジル博士はトラッシュに押しきられた。

「研究の続きをしようにも、当分は世界政府から隠れていなければいかんしな」

「戦争から逃げて安全な場所でのんきに暮らすのは、まだ先でいいや。元々俺が見たかったのは未来だし。なあ、レイ。お前も来るだろ?」

「どうせ行かないって言っても聞かないんだろ、お前は」

 レイはため息交じりに、しかしどこか嬉しそうに言った。トラッシュはレイの顔を覗き込み、ニカッと人懐こい笑みを浮かべた。

「バレた?」

 笑い合う二人を、少し離れた場所からシャーロットが眺めていた。少年同士のこうしたやりとりに入っていけない寂しさと、眩しいような憧れがぜになり、シャーロットの小さな胸は破裂しそうだった。


「さて、そろそろ我々も帰るとするか、懐かしのロンドンへ」

「ええ!?ちょっと待ってくださいよ!地上には降りないんですかい?せめて一日だけでも取材を――」

 ヘイゼルが不満の声を上げた。

「やめておけヘイゼル。外界は戦争中だ」

 そう言いながら、ハルはふとヘイゼルの手元に目をやった。ヘイゼルはいつもの手帳とペンを手にしている。

「――ヘイゼル、ちょっとそれを見せてくれたまえ」

 ハルはヘイゼルから手帳を受け取ると、パラパラとめくって「ああ、これだ」となにかを確認した様子で頷いて、すぐにそれを返した。

「せっかくだから宇宙旅行記でも書いたらいいだろう。未来人でもなかなかできない体験だ」

 果たして新聞記者にしてはいささか単純な男は、「なるほど!そうですね!」と膝を打って、早速手帳にメモを始めた。

「トラッシュ、レイ、世話になったな」

 ジョシュアは少年たちの手を握って別れを言った。

「まあ、生きてりゃまた会える日もあるんじゃねえ?」

 トラッシュは陽気に笑い、ちらりとシャーロットを見た。シャーロットは複雑な表情でトラッシュとレイを見比べるようにした。なにか言いたいことがあるのに、言葉にできないようなもどかしさが、可愛らしい顔いっぱいに浮かんでいる。そしてレイもまた、物言いたげな瞳でシャーロットを見返し、しかし何も言わずにうつむいた。

「それじゃあ、元気で」

「ああ、旦那もな!」

 ジョシュアが握手した手を離し、ハルが腕時計を操作した。無数の光の粒が発生し、19世紀からの旅人四人を包み込む。

 ジル博士や黒龍のボスや少年たちの姿が光の向こうに霞みかけた、その時だ。

「――お兄さま……ごめんなさい!」

 ぱっ、とシャーロットがジョシュアの手を離した。

「……シャーロット!?」

「わたし、ここに残るわ!」

「シャーロット!何を言って――!?」

「わたしも行ってみたいの、もっと未来に!」

 そう言って、シャーロットは光の中から飛び出し、少年たちと並んだ。

「馬鹿な――シャーロット!戻りなさい!」

「ごめんなさい!お兄さま、お元気で!」

 やがて光の残像だけを残して、ジョシュアとハルとヘイゼルは宇宙船アナンタから姿を消した。


 ***


 目を開けると、青空の下にいた。

 地上に視線を巡らすと、コーンウォールの荒野がどこまでも続いている。

「ここは……なぜ……?」

 グウィネヴィアは目を疑った。てっきり死んだと思った。だとしたらここは、死後の世界だろうか。それとも今際いまわきわに夢でも見ているのか。

 それなら背後に感じるぬくもりはなんだろう。力強く自分を抱きしめているこの逞しい両腕は?

「愛する者を助けるのは当然だろう、騎士として」

 聞き覚えのある声が、造り物の心臓まで染み入ってくる。

「……夢でもいいわ……永遠に見ていられるなら」

 かつてない大きな安らぎに包まれて、グウィネヴィアはそっと目を閉じた。

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