イッツアワンダフルフューチャーワールド

「キメラには攻撃目標である政府軍兵士の生体情報がインプットされている。だからネオ・ホンコンの市民を攻撃することはないんだ」

 レイの説明に、スゥシェンがため息をついた。

「お前らなあ……それ早く言えよってんだ。無駄にびびっちまったじゃねぇか」

「悪かったよ。俺もちょっとあいつらの勢いに圧倒されちまって」

 トラッシュが平謝りする。

「押すなよ!ガキが先だ!」

 スゥシェンが頭に立って、黒龍のメンバーが避難民を誘導する。

 飛行空母の定員およそ三千人に対して、最終的に集まってきたストリートキッズとその家族は五千人近かった。更に、黒龍二千人ほどが合流しつつある。

「少ないな……スラムにはもっと人がいるはずなのに」

 トラッシュは焦れる思いで夜空を見上げた。街中から立ち上る爆煙で、星が出ているのかどうかもわからない。

「爆撃で逃げ遅れたヤツが結構いたんだ。あと、仕事で離れていて、ここまで戻って来られないヤツも」

 ジョイジョイはそう言ってうつむいた。親やきょうだいとはぐれた子どもも大勢いた。

 その時、リンタロウから通信が入った。

『トラッシュ、何人乗せた?』

「だいたい三千四百人だな」

 近くにいたスゥシェンが答える。

『オーケー。第一陣行くぞ。一旦離れろ』

 空母が再び上昇する。と、光の粒が沸き起こり、空を塞いだ巨大な空母を包んだ。

 そして一分も経たないうちに、全てが終わった。

 空母は跡形もなく消え、廃材置き場の上にぽっかりと夜空が広がった。

「う……そだろ……?」

「すげえ……」

 残った少年たちはあんぐりと口を開けて空を見上げた。黒龍ヘイロンの強面の男たちも同様だった。

「……おい、お前まで」

 レイに肘で脇腹をつつかれて、トラッシュははっと我に返った。

「いや、わかってたけど……実際に見るとやっぱ……ってか、むしろなんでお前は冷静なの?」

「別に。全員乗せるまで気が抜けないだけ」

「……可愛げのねぇヤツ」

「バカバカしい」

 レイはふふっと笑った。

「あ、それだよ!お前な、最初、俺のことバカにしてただろ!タイムマシンなんてないって」

「ないとは言ってない」

「タイムトラベルなんて頭いかれてるって、言っただろ」

「それは言ったかも」

「どうだよ!?ほら!できたじゃねぇか!できんじゃねぇか、タイムトラベル!!」

 両手を広げたトラッシュの顔が、廃材置き場の巨大な照明に照らされて輝いている。

「そうだね」

 レイはまた微笑んだ。

「行くのはトラッシュが行きたがってた未来じゃなくて、過去だけどね」

「うるせえ。細けえことはいいんだよ」

 ジル博士とリンタロウが話して、不確定な未来ではなく、過去の、確実に平和が約束されている時代――世界標準暦時代に飛ぶことになったのだ。

 数分後、再び光の粒とともに、飛行空母が現れた。

 だが、第二陣の搭乗は最初ほどスムーズにはいかなかった。空母が消える瞬間を目の当たりにした人々は、かえって不安を現実的に捉えてしまっていたのだ。

「やっぱ俺……ここに残る」

「病気のママを残して、あたしだけ行けないよ」

 千人ほど乗り込んだところで、子どもたちの動きが鈍った。

「空母に乗るのを嫌がってるのは、はぐれた家族を待ってるヤツばかりだよ」

 そう言うジョイジョイも、年の離れた姉をずっと探していた。そして、まだ見つかっていない。

「グズグズしてると全滅しちまう……」

 トラッシュの脳裏を、一年後のネオ・ホンコンの光景がよぎる。

 廃材置き場の上空は旋回するキメラたちに守られていたが、ネオ・ホンコンにはまだ四艦の飛行空母がいるはずなのだ。奪取した空母デメテルの異常に気付いていないはずはない。

「もう出ないと。ここをピンポイント攻撃されたらひとたまりもない」

 レイの声にも焦燥感が滲んでいる。

 その時、スゥシェンのカードに通話が入った。

『ボス!政府軍が攻撃してきました!スラムの南から西にかけて、200……いや、300はいます!』

「ちっ……」

 スゥシェンが舌打ちをしてトラッシュの襟首をつかんだ。

「おいこら、ぐずぐずしてんじゃねえよ。てめえがアタマなんだろ?しっかりしろよ」

「……っ」

「てめえが言い出したことだろが。俺らは巻き込まれてやってんだ。政府軍やつらは食い止めとくから、てめえはさっさとガキどもを船に乗せろ!」

 そう言い捨てて、スゥシェンは大きな銃を担いで街の方へと駆けていった。

「しっかり……しないと」

 トラッシュは地面を睨んで呟いた。足元に積もっているのは、見慣れた廃材だ。この風景とも、今夜で最後だ。

 不安にざわめくストリートキッズたちの気持ちが、トラッシュには痛いほどわかる。彼らにとって、ここは故郷ふるさとなのだ。このどうしようもなく貧しいスラムは。

 仲間に掛ける言葉を見つけられずにうつむいたトラッシュの横で、レイの足がじゃりっと廃材を踏んだ。

「なあ、みんなさあ、死にたいの?」

 レイの声は静かなのに、不思議とよく通った。

「誰を待ってんの?……家族?……友達?……ハッ」

 レイは乾いた笑いを漏らした。皆に背を向けていて、表情がわからない。だがその声は、ぞっとするほど冷たかった。

「ここで待ってても、来るのは兵隊だけだよ。俺らを殺しに」

「……レイは所詮、よそ者だしな」

 誰かがぽつりと言った。

「よそ者にわかるかよ?住んでた町ごと焼かれた、俺らの気持ちが」

「やめろ!」

 たまりかねて、トラッシュが声を上げた。

「俺はさ、親の顔なんて知らねぇ。だけど、親兄弟を心配するお前らの気持ちはわかるよ。でも自分が死んじまったらどうにもなんねえだろ?もしかしたら、生きてさえいれば、助けられるかもしれねぇ――いや、」

 トラッシュは背を向けたままのレイを見た。過去を話さないレイを、誰よりも助けたかった。

「――助けにいく。絶対。だから……死なないでくれ」

 絞り出すように、トラッシュは仲間たちに懇願した。

 ジョイジョイが意を決したように、前に進み出た。

「俺、行くよ。俺……レイには世話んなったもん」

「サンキュ、ジョイ」

 レイはジョイジョイと軽く拳を合わせた。そしておもむろに声を張り上げた。

「トラッシュが言ったとおりだ。この船で一旦過去へ行って、逃げ遅れた奴らを助けるチャンスを作る。それが生き残る唯一の道だ。必ずまたここに助けに来る。――で!?まだ日和ってるヤツ、いる?」

 初めて聞くレイの大声に、一同は水を打ったように静まっていた。

「俺じゃねえよ。トラッシュボスがここまでお前らに頼んでんのに、信じないヤツ、いるのか?なあ?」

「……もういいよ、レイ」

 トラッシュは顔を上げ、笑顔で続けた。

「行こうぜ、見たこともない世界に。そこがどんなにひでぇ場所でも、俺は絶対ぜってー負けねえ。そして全部、ひっくり返してやろうぜ!」

 おう!と、誰からともなく応じる声が沸き起こった。

「ネオ・ホンコンのスラムよりヤバい場所なんて、そうそうないよ」

 そう微笑ったレイは、すっかりいつもの調子に戻っていた。


 スラムのはずれでは、スゥシェンら黒龍が政府軍に押されていた。

『もうもたねえ!早くしやがれ!』

 カードからは銃声と叫び声が漏れてくる。一方、空母にはまだ千人ほど空きがあった。ストリートキッズたちが全員乗って、続いて黒龍のメンバーが乗り込む。

 間もなく、スゥシェンたちが廃材置き場まで撤退してきた。

「後ろのやつら、片付けてくるよ。トラッシュ、お前はみんなと中にいろ」

 レイは素早く銃とナイフを装備しなおして、スゥシェンたちが戦っている方へと駆け出した。

「レイ!でも――!」

 空母に乗り込みかけていたトラッシュだったが、とっさにレイを追って空母から飛び降りた。

「おいレイ!お前も乗れよ!」

「来るな!」

 引き止めるトラッシュの手を、レイがパシンと振り払った。

「ギリギリまで政府軍を食い止める。お前はみんなをちゃんと送り届けろ、ボス」

「なんで……レイ、お前も来いよ……!」

「俺は行かない」

「……えっ?」

 トラッシュは突然胸を突かれたような衝撃を覚えた。思えばレイは、出会った時から時々、どこかへ消えてしまいそうな表情をしていた。それが今だとしたら。

「レイ、何、言って……」

「俺は――過去にも、未来にも、行きたくなんかない」

「なんで……どうしてだよ?」

 引き止めなければ、永遠に会えなくなってしまう。そんな気がして、トラッシュは必死で言葉を探した。

「変なこと言うなよ……一緒に行こうぜ……?な?」

「俺は」

 もしも時間が巻き戻せるなら。

「俺は……っ、帰りたい……」

 濃い緑の木々の隙間から差し込む、眩しい太陽。うるさいくらいの鳥の声。鮮やかな花々。甘い芳香を放つ果実。

 もう顔も覚えていない両親。

 懐かしい、あのジャングルに。

 あそこから全部、やり直したい。

 それは決して叶わない願い。

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