アンダーグラウンドネゴシエーション

 ネオ・ホンコンのスラムの「地下」は、地上のスラムよりも広大だった。古い地下街と地下鉄をつないで、網の目のようにネオ・ホンコン市内全域に広がっている。宇宙暦に入って、最盛期の三分の一ほどに人口が減少していたため、古い施設が使われないまま放棄されていた。そして、ブラックマーケットの中でも特に違法な商品が取引されるのも、この「地下」だった。

「おい、てめえら、何勝手に入ってきてやがる?」

 千人以上のストリートキッズたちが流れ込んできたことに、地下市場の警備たちが色めき立った。

「おい坊主、地下に来て黒龍ヘイロンに挨拶もしねえのはどういうことか、わかってんだろうな?」

 黒龍ヘイロンとは、地下を取り仕切っている最大のファミリーである。よく見ると、地下を往来する人々に目を光らせている男たちには、総じて小さな龍の刺青があった。

 体格差がゆうに三倍はあろうかという警備員に襟首を掴み上げられて、少年は慌てて両手を振った。

「うわわ、ちょっと落ち着いてくれよ、緊急事態なんだよ。なああんた、黒龍ヘイロンならさ、ボスにつないでくんない?俺らのボスが挨拶に行くって」

「ふざけるな。そう簡単に会えると思っているのか?」

「ふざけてなんかねえよ」

 少年の襟首を掴んだ太い腕を、横から伸びてきた手が掴んだ。

「てめえは……トラッシュか!何しに来やがった!」

「俺がこいつらに命令したんだよ、地下に潜れって。何、夜には出ていくさ――夜までこの街があれば、だけどな」

「何をわけのわからねえことを」

「緊急事態だって、聞いただろ?急いでんだよ。さっさとボス・スゥシェンにつないでくれよ」

 トラッシュは警備員の腕に掛けた手の指を、ぐいっと筋肉の間に食い込ませた。

「……ぐっ……」

 警備員は顔を歪ませ、たまらずに掴んでいた少年の襟を放した。

「てめえ!」

 集まってきていた黒龍ヘイロンのメンバーがトラッシュに掴みかかる。が、トラッシュは素早く身を屈めて相手の視界から消えた。次の瞬間、ひらりと身をかわして背後に回り、一人の足元を払って地面に転がすと、もう一人の背中を軽く押した。背を押された男はつんのめったが踏みとどまり、振り向きざまにトラッシュに殴りかかってきた。

「やめろって。ケンカしてるヒマなんかねえんだよ」

 そう言いながらも、トラッシュはあっという間に三人ほど倒してしまった。

「ガキどもが!なめやがって!」

「うわ、っわ」

「そっちこそ、ガキだと思って油断してんじゃねえの?」

「黙れ、クソガキどもが!」

 地下街は、あっという間に黒龍ヘイロンと少年たちの乱闘になった。

 その様子を、吹き抜けになっている一段上のフロアから見下ろす男がいた。

「なんの騒ぎだ」

 人民服に身を包んだ男が、傍らに付き従っていた男の一人に話しかけた。人民服といっても、艷やかな黒地に透かし文様の入った、繊細な生地で作られている。

地上うえのストリートキッズがなだれ込んできたようですね」

 横の男が答えた。

「さっさと片付けろ」

 黒い人民服の男がそう命じた時だ。止まっているエスカレーターを、小柄な影が駆け上がってきた。その少年は、とっさに身構えた男たちの攻撃を宙返りでかわして、黒い人民服の男の懐に飛び込んだ。

「お前が地上うえのガキどもの頭か?」

「俺じゃないよ。ボスは下」

 人民服の男の首筋にぴたりとナイフを当てて、レイは言った。

「あんたがスゥシェンだろ?」

「ああ、そうだが?」

 男は欠片も動揺した様子を見せずに答えた。

「ちょっと頼みがあるんだよね」

「人に物を頼む態度じゃあねえな」

「重々承知してるさ。時間がないんだ」

「――成程」

 スゥシェンが言い終わる前に、レイの身体がふたつに折れた。

「ぐっ……は!」

 スゥシェンの蹴りを腹に受け、レイがよろめく。スゥシェンはレイの両腕を背中でひねり上げて、階下に向かって怒鳴った。

「おいトラッシュ!今すぐ手ぇ引かねえとダチが死ぬぜ!」

 スゥシェンの部下の一人が、レイのこめかみに銃口を突きつけている。

「やあ、スゥシェン。俺の名前、知っててくれたんだ?」

 トラッシュは慌てた様子もなく答えた。

「地上でいきがってるぶんには見逃しておいてやる。さっさと出ていけ」

 スゥシェンの脅しには答えずに、トラッシュはちらりと時計に目を走らせた。

「……もうすぐだ……」

「何がだ?」

「――保安部の飛行空母が来る」

 ざわ、と空気が揺れた。

「なんだって?」

 スゥシェンが声を低めて聞き返した。

「今夜、政府軍がネオ・ホンコンを攻撃してくる。目的はたぶん、ブラックマーケットの殲滅――地下ここも含めてな」

「――どこの情報だ?極東担当の高官には十分な金を渡してる」

「ニュース見なよ。そいつ、さっき更迭されてんぜ?」

 スゥシェンが目配せすると、部下の一人が手元のパネル状の端末を操作した。

「ボス――本当です……一時間前に」

「てめえ、いつ知った!?」

 スゥシェンが初めて声を荒げた。

「一週間前かな。国家保安局のリストに名前が乗ってた。あんたらの裏金とか、地上の俺らには関係ないからさ。スルーしてたんだけど」

「じゃあなぜここが攻撃されると?」

「だって、ほんとだもん」

「ていうか、もう来てるよ、すぐ上空うえまで」

 スゥシェンの腕の中で、レイがぽそっと呟いた。次の瞬間、レイはスゥシェンの腕からすり抜けて地面に伏せると、床に手をついてスゥシェンの部下が手にしていたパネルを高く蹴り上げた。くるくると宙を舞って落下するパネルをトラッシュが受け止め、パタパタと操作する。と、吹き抜けの壁面の巨大なモニターに映像が映し出された。

 それは人工衛星が捉えたライブ映像だった。そこには、ネオ・ホンコンの市街を覆う巨大な空母が、はっきりと映し出されていた。


 あたりは水を打ったように静まった。モニターには、トラッシュがハッキングした大量の命令が次々と流れていた。

 ――飛行空母ヘルメス、アレス、午後七時攻撃開始、5区、6区、8区

 ――飛行空母デメテル、午後七時攻撃開始、1区〜4区

 ――飛行空母ポセイドン、午後七時三〇分攻撃開始、7区、9区

 ――飛行空母アルテミス、午後九時合流、降下部隊散開、武装した住民については射殺を許可する。

 ――ネオ・ホンコンを殲滅せよ。

「マジかよ……政府の主要空母の半分近くが、ネオ・ホンコンを潰しに来るってのか……?」

 誰かが言った。

「……それで、トラッシュ、てめえは俺に何をしてほしいって?」

 スゥシェンが言った。

「最初の空爆を、ここの地下でやり過ごさせてくれ。シェルター並みの設備があんだろ?」

「だが九時には降下部隊が殲滅しに来る。武装住民って書いちゃいるが、要は皆殺しってことだろ」

「そうだね」

 レイがさらりと言った。

「だから九時前にここを出て、降下部隊を叩くんだよ」

「簡単に言いやがって……くそ、誰かいねえのか、金で動かせるヤツは!?」

 スゥシェンはカード端末を出してほうぼうに電話をかけまくった。が、誰ひとり出る気配がない。カードの上をせわしなくなぞる指を、レイの手が押さえた。

「ここまできて日和んないでよ、スゥシェン。まさか、まだ目があるとでも思ってる?」

 レイはスゥシェンの耳元に唇を寄せた。

「ねぇ知ってる?9区にある時間商店って」

 レイがスゥシェンだけに聞こえるように囁くと、スゥシェンの顔がこわばった。

「まさか……」

「俺さ、見てきたんだよね。ちょうど一年後の、ネオ・ホンコン場所を」

「嘘だろ……」

「街はぜんぶ、破壊されてた。そりゃあもう、跡形もなく」

 そこまで言って、レイはスゥシェンから離れた。

「俺らの話が信じられないなら、白旗持って地上出たらいいよ。でも命の保証はしない」

「誰が白旗なんか上げるか。このクソガキが」

 スゥシェンが苦々しく吐き出した。

政府軍あいつらは本気だよ。ネオ・ホンコンは滅ぼされる――あいつらのやり方は、俺が一番よく知ってる」

 レイの脳裏に、ちらりと炎の記憶がよぎった。

「むざむざやられておしまいなんて、おとなしいタマじゃねえだろ?あんたも俺もさ」

 トラッシュは階下からスゥシェンを見上げて、不敵な笑みを浮かべた。そして、周囲を見回して言った。

「あと四時間で空爆が始まる。地上うえ地下したもねえ!戦えるやつは、生き残りたいやつは、俺たちの作戦を聞いてくれ!」

「……クソガキが」

 スゥシェンはもう一度吐き出した。

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