バック トゥ アナザー ヒストリー

「おい、起きろよ、トラッシュ」

「う……ん……」

 うっすらと目を開けたトラッシュの視界には、見慣れた廃材置き場が広がっていた。

 むっくりと起き上がり、あたりを見回す。太陽が高い。がらくたの山の向こうから、廃材を捨てに来たトラックの騒音がしている。埃っぽい空気。遠くから聞こえてくる、街の喧騒。いつものスラムの風景だ。

「夢……?」

 思わず呟いたトラッシュに、レイが呆れた声で答えた。

「寝ぼけてるの?過去に戻ってきたんだよ」

 ため息交じりに言われて、トラッシュはようやく記憶を取り戻した。

「今、何時?いや、今、いつ!?」

「知らない。俺も今起きたとこだもん」

 トラッシュは傍らにあったPCを立ち上げた。

「午後2時45分……日付は昨日か」

「ちょうどホテル・サブスペースに向かっていた時間だ。ってことはーー」

「最初の飛行空母が現れるまで、あと一時間弱ってとこか……!」

 トラッシュの脳がようやく働き出した。トラッシュは頭をひとつ振った。

「くっそ……すげえ寝てた……」

「無理ないよ。お前、昨日も徹夜してたしね。……昨日っていうか、一昨日っていうか、むしろ今日っていうか」

「ああ、おかげで頭がすっきりしたわ。よっしゃ、みんなを避難させるぞ」

 トラッシュは勢いよく立ち上がった。

「みんな、信じるかなあ……」

 繁華街に向かうトラッシュの後ろで、レイがぽつりと呟いた。

「信じさせるしかねぇだろ」

 スラムのストリートチルドレンはカードを持っていない。連絡手段は基本的に走り回って口伝えだ。

「質問はなしだ。とにかくみんな、一時間以内に地下に潜れ。今夜、政府軍がネオ・ホンコンを攻撃してくる」

 トラッシュが仲間の数人に命じると、彼らはスラムに散っていった。


 ホテル・サブスペースのベッドで目覚めたジョシュアは、起き上がるなり部屋を飛び出して、隣の部屋のドアをノックした。

「戸を叩くな、ジョシュア・エヴァンズ。ドアの横に呼び鈴があるだろうが」

 そう言いながらドアを開けた男を、ジョシュアは食い入るように見つめた。

「どうした?」

「……いや」

「残念ながら私は桜木リンタロウだよ」

 ジョシュアの心中を察したかのようにそう言った彼の、髪の色が黒と金のまだらだったので、言われるまでもなくジョシュアはそれとわかっていた。

 まもなくシャーロットも目覚めたので、三人はロビーへ降りた。

「急ごう。グウィネヴィアが50階のラウンジに現れたのは、飛行空母から兵士たちが突入するより前だ。今思えば、ガラス張りのあのラウンジは、外から丸見えだった。グウィネヴィアが突入の合図を出す前に、彼女を押さえて人質にする」

 言いながら、ジョシュアはちらりとリンタロウの顔色を窺ったが、分厚いゴーグルで表情はわからなかった。

「まあ妥当だな。こっちも他に打ち手カードがない。ヘイゼルを取り戻すためにも、あの女は必要だ」

「ヘイゼルのことを覚えていたのか」

「不本意ながら、彼の存在感はいくら時を経ても忘れることが難しい」

「まあ、言いたいことはわかるけど」

「ちょっと、ふざけてないで。――来たわよ」

 シャーロットが視線でエントランスを指した。赤いドレスに身を包んだグウィネヴィアが、ロビーに入ってきた。

「シャーロット、頼んだよ」

 ジョシュアは妹の前髪に軽くキスをした。

「まかせて、お兄さま」

 シャーロットは頷いて、エレベーターホールへと向かった。ジョシュアとリンタロウは、流れるような動きでグウィネヴィアの前後に回り込んだ。

 突如正面に現れたリンタロウの姿に、グウィネヴィアは思わず足を止めかけた。が、すぐに背後から囁かれた。

「止まらずに歩け、グウィネヴィア」

 ジョシュアの腕に掛けた上着の下には、拳銃が潜ませてあった。ジョシュアはそれをグウィネヴィアの背中にやんわりと押し付けた。

「お前たち……!」

「お迎えに上がりましたよ、グウィネヴィア妃。処刑の命令を出される前にね」

 リンタロウがうやうやしい手付きで先を促した。

 三人はそのまま、シャーロットが呼んでいたエレベーターの中に滑り込んだ。

「単刀直入に言う。攻撃を中止してヘイゼルを返せ」

 銃を突きつけたままジョシュアは言った。

「私にその権限はないわ。私たち保安部の目的は、ハル、あなただけよ。長官はあなたを殺したがっている」

「だからわざわざ中世から我々をネオ・ホンコンへ誘導したのか」

「ええそうよ。全部、罠だったの。あなたを捕えるための」

「罠、だって……?」

 ジョシュアの声が震えた。罠。だとしたら、一体どこから。

「僕らは……ヘイゼルも、妹も……あんたたちの争いに巻き込まれたのか?まさか、まさかあの――ロンドンの変死体も?」

「それは知らないわ。ハルを中世に連れてくるのは、シモンの役割だった」

「シモンたちとグルだったの?」

 シャーロットの顔にあからさまに嫌悪の色が浮かんだ。

「彼らは私の看守よ」

「看守……?」

 ふとジョシュアの脳裏を、ジル博士の昔語りがよぎった。

「グウィネヴィア、君は……ジル博士のところから連れ去られてから、どこかへ幽閉されていたと……それが、あの城?」

「あの時空全体が、バイオアンドロイドの流刑地なのよ」

 ジョシュアは背筋がぞくりと寒くなるのを覚えた。雨の夜、テムズから這い出してきた異形の獣。歪んだ時空から溢れ出した――。

「バイオ……アンドロイド……あの、ペガススやケルベロスやゴブリンやらも?」

「そうよ。私は刑期と引き換えに、保安部で働くことになったの」

 グウィネヴィアの紅い唇がにたりと笑んだ。

「グウィネヴィア!なぜだ?ラーンスロットの城で、君は味方だったじゃないか!」

 思わず感情にまかせて叫んだジョシュアを、リンタロウがたしなめる。

「ジョシュア、よせ。彼女は君の知っている女とは別人だと思ったほうがいい」

「意味がわからない、ハル」

「時間は常に君にとって一方向にだけ進むわけではない、ということだよ」

 ジョシュアがリンタロウの言葉の意味を正確に理解できずにいるうちに、ポーン、と音がして、エレベーターが止まった。

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