第35話 見よ、勇者は帰る。
カイトは1位でゴールした。
その瞬間、私とソラタも元に戻った。
「やったあ!1位だ!」
ソラタがカイトとハイタッチするのを、遠い保護者席から眺める。
「――あ!」
そうだ、と思い出して、私はカメラを構えてシャッターを切った。
父親の役目をほんのちょっぴりだけ果たしたカイトが、どこか誇らしげに戻ってくる。
「どうだ、見直したか?」
Vサインを作ったカイトを、私は努めて冷ややかに迎えてやった。
「そういうの、おいしいとこどり、っていうのよ」
「……ふーん……」
カイトが意味ありげな顔で私を覗き込む。
「……な、何よ?」
「いや別に。戻ったんだなって」
「ど……っ、どういう意味!?」
まさか、入れ替わってたことがカイトにバレたんだろうか。
「なんでもないよ。気のせい気のせい」
「気っ、ききき、気になるじゃないの!」
私はすっかりしどろもどろ。そしてカイトは相変わらず涼しい顔をしている。
軽く伸びをして、カイトは言った。
「さてと、行くかな」
「えっ……?」
「息子の成長も見れたし」
「せっかくだから、終わるまで見ていけばいいのに……」
私は何を言ってるんだろう。さっきまで早く帰れと言わんばかりの態度を取っていたのに。
でも、なんとなく。
「ソラタにさよならも言わないで行っちゃうの?」
「だってお前、あいつに俺のこと話したくないんだろ?」
「それは……今はちょっと、心の準備とか」
「だからいいよ。あいつも俺と話すことなんかないだろうし」
「どこにいるの?明日とかなら」
なんで私は引き留めようとしているんだろう。やり直せないって、さっきもはっきり思ったのに。
だけど、カイトは。
「そろそろ飛行機の時間だからさ。またいつかな」
「飛行機!?って、あなたどこ行くの!?」
「アゼルバイジャン」
「………はぁあ!?」
「お金はいつもどおり振り込んでおくよ。足りなかったら連絡して」
そう言って、メールアドレスの走り書きを私に握らせると、カイトは飄々と去っていった。
トラックでは高学年の親子が二人三脚をしている。
「どこだよ、アゼルバイジャンて……」
私は所在なくスマホを出して検索した。
「あの人、帰っちゃったんだね」
帰り道、ソラタが言った。首には金メダルが掛かっている。
「うん。お仕事だって」
「ふーん」
父親だ、と話していないせいか、ソラタの反応は思いのほか淡々としていた。
「……ねえ、入れ替わってる時、あの人となんか話した?」
ソラタは首を振った。
「お母さん、元気かって言ってた」
お母さん、元気か……?
そんなの見ればわかるじゃん。
「ねえ、あの人さ、僕らが入れ替わってたの、知ってた?」
ソラタが見上げてくる。繋いだ手の平は、ほこりっぽくて、まだ小さい。
「……わかんない……知らないと思うけど」
「ふーん……」
「……ねえソラタ」
「なあに?」
「……ううん、なんでもない」
お父さん、ほしい?って聞こうとして、やめた。
なんだか判断を押し付けているみたいで、卑怯な気がしたから。
――でももし、ほんとにソラタがカイトを必要としていたら……私はどうするべきなんだろう。
ソラタと繋いでいないほうの手の中には、メールアドレスをメモした紙が、くしゃくしゃになって握られていた。
家に帰ってシャワーを浴びたら、ソラタはころんと転がって眠ってしまった。
網戸越しに夕方の風が入ってきて、ソラタの産毛を撫でていく。
私も隣に寝転がって、ソラタの寝顔を眺めた。
そして、ふとカイトの肩車を思い出した。
カイトが地面を蹴るたびに、ふわりと伝わってくる浮遊感。
他人に身体をすっかりあずける、不安と安心がごっちゃになった感覚。
地上とは温度の違う風。
あの輝く風は、手が届くほどの青い空は、ソラタこそが見るべき景色だった。
「ごめんね……ソラタ……」
もし今、カイトとやり直したら。
あの景色を見せてあげられるかもしれないのに。
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