第33話 道化師のギャロップ。

 何年ぶりだろう、カイト。

 私は開いた口がふさがらないまま、とりあえずしげしげと元・夫を観察した。

 黒いTシャツに細身のジーンズ、日差しが強いからかサングラスをかけている。髪が伸びた。ちょっと痩せた。

「ど、どどど、ど」

 何か言おうとしたけど、言葉がうまく出てこない。

「ど?」

「どどっ、どうして!?ここに?なんで今!??ってか運動会、なんで今日?」

 絶賛日本語崩壊中。なんで今日が運動会だってわかったの?と聞きたかったんだけど。

「いやいやいやいや、おかしいおかしい。なんでなんで?」

「なんでって、ソラタの運動会見たかったから。ダメ?」

「や、ダメ……ってこたないけども……ダメかって言われたら、そりゃまあ……でも、でもおかしくない?おかしいでしょ!」

「何が?」

 動揺が止まらない私と、あくまでのんびりペースを乱さないカイト。もうこの時点でなんか負けてる気がする。いや、勝ち負けとかないけども。

 そういやこういう奴だった。万事、しれっとすっとぼけて、どこまでもマイペース。何考えてるのかほんとわかんない男。それが河合カイトという男。

 一人で慌ててる私が、まるでピエロのようだ。

 そうこうしているうちに、アナウンスが流れた。

『さて次は全校音頭です。児童の皆さんは準備をして、組ごとに入場門前に整列してください』

 午前最後の種目、全校音頭が始まったのだ。一年生から六年生まで全員参加の、はっぴに鉢巻き姿で輪になって踊る、運動会名物。

「あ!ソラタ!やだ遠い〜!でもかわいい!かっこいい〜!」

 とりあえずカイトは置いといて、カメラを構える私。貴重なはっぴ姿を逃す手はない。

「ってかあれ、回ってくるでしょ。こっちまで。今必死で撮っても豆粒じゃね?そのカメラどんだけズームきくの?」

 はいはい、冷静すぎるご指摘ありがとう。しかしだな。

(ほんっと、イラつくわ〜〜〜〜!!)

 心の中で叫ぶ。

「ってかカイト、今までどこに消えてたの?」

「フェニックス」

「は?不死鳥?」

「いや、アリゾナの」

「アリ……ゾナ……?」

「いいの?ソラタ来たよ」

「あっ!撮らなきゃ!」

 広い校庭に三重の輪になった子どもたちが、ぐるぐる周りながら踊るのだ。スタートの時は遥か反対側にいたソラタは、ちょうど目の前に来ていた。

「やだ!電源切れた!せっかくフォーカス設定したのに〜!ああ、行っちゃう行っちゃう〜!」

「ああそのカメラ、しばらく触ってないと勝手に切れるよね。まあまた回ってくるでしょ」

「ってかカイト、アリがどうとかって」

「アリゾナ州。アメリカの」

「はあ!?」

「アメリカの、アリゾナの、フェニックスって街」

「え……意味分かんない。うち出てから、ずっとそこにいたの?」

「ずっとってわけじゃないけど。最初はインドに行って……」

「インド!?インドってあの、カレーのインド?」

「あ、ねえ、ソラタ来たよ」

「あっ!」

 慌ててカメラを構え、ソラタを探す私。

「どこどこ?」

「ちょっと貸してみ」

 なかなかソラタを見つけられない私の手から、カイトがカメラを奪った。

 私より頭ひとつぶんくらい背の高いカイトが、パシャパシャとシャッターを切っていく。

 私はなんだか置き去りにされたような、何かを横取りされたような、フクザツな気分になった。


「お母さーん!」

 ソラタが元気よく手を振りながら駆けてくる。今から一時間のお弁当タイム。

「って、ちょっと。いつまでいる気?」

 私は小声でカイトを突っつく。

「いつまででもいいよ」

「いやいや、第一ソラタに何て言うのよ!?」

 とかなんとかやってる間に、ソラタが飛びついてきた。

「お母さん、見てた?僕1位取ったよ!」

「見てたよお〜!すごいじゃない!」

 だいぶ男子っぽくなってきたけど、照れくさそうな顔は、まだまだ可愛らしい。

「さすがソラタ、ヒカルの息子だけあるな!」

 っておいおい、何ナチュラルに会話に入ってきてんのよ。

「……誰?」

 きょとんと私とカイトを見比べるソラタ。

「あっ……と、えー……っと……」

 私は言葉に詰まった。なんて説明しよう。そんな私を差し置いて、カイトはまたまたしれっと言いやがった。

「こんにちは、カイトです」

「カイトさん……お母さんのお友達?」

「まあそうだね」

 カイトはどっから持ってきたのかレジャーシートを敷き出した。

「さ、お昼にしよう」

「あなたのぶんのお弁当なんかないわよ」

 私は目一杯冷たい声で言ってやった。そんななんでもかんでも勝手になんてさせないんだから。だが。

「大丈夫。持ってきたから」

 そう言って、カイトはこれまたどっから出したのか、紙製のランチボックスを取り出した。中には、食べやすいように一個ずつラップに包まれた、色とりどりのサンドイッチ。

「うわあ、おいしそう!」

 思わずソラタの目が輝く。

「食べていいの!?」

「もちろん」

 カイトはにっこりと頷いた。

 対する私は、無言&無表情で、持ってきたお弁当を並べる。朝もはよから作ったおにぎりに唐揚げに玉子焼。どうせカイトのサンドイッチほどオシャレじゃありませんよ。ええ。

 私はすっかりやさぐれていた。無邪気なソラタは、早速サンドイッチにかぶりついた。


「おいしい……っ!」

 思わず口をついて出た。

 おいしい。さすが成績優秀、スポーツも絵も音楽もソツなくこなす河合カイト。当然のように料理もうまい。

 だけどちょっと待って。

 私、サンドイッチ食べてない……よね?

「……えーとお……」

 目の前には私。

 手の中にはサンドイッチ。

 私はおそるおそる、を指差して言った。

「えっと……お母さん……?」

 目をまんまるにしたは、同じく人差し指で自分自身を指した。

「……お母さん?」

 私はうなずく。

 よりによって運動会。

 よりによって数年ぶりにカイトが現れた日。

 なんとも微妙な空気の中、なんとも微妙なタイミングで、私とソラタは。

 ……入れ替わってしまった。

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