第19話 高3 卒業

 会社辞めてから家に戻ってた兄貴が、家を出ていった。

 といっても病気が良くなったわけじゃないらしい。再就職もせずに、旅に出た。「自分」とやらを探しに行ったのかな。親は必死で止めてたし、出てってからもせっせと電話やらメールやらしてるけど、5回に1回くらいしかレスはないみたい。部屋に閉じこもって毎日死ぬ死ぬ言ってるよりはいいのかもって、あたしは思うけど。

 河合海斗は三年の冬になっても、変わらずあたしの勉強に付き合ってくれていた。

「河合海斗は自分の勉強しなくていいのかよ?」

「してるよ、授業中に」

「うっわ……イヤミかよ」

 この頃には学校の授業も、教科書はほぼ終わっていて、受験対策ばかりになっていた。ひたすら過去問を問いてはその解説を聞く毎日。さすがのあたしもおとなしく授業に出ていたけど、やっぱり河合海斗の教え方が一番うまい。……気がする。

「俺がここで自分の過去問とかやったら、気が散るだろ。それにどうせ放課後に勉強なんてしないし」

「塾とかは?」

「必要ない」

「友達と遊ぶとか?」

 河合海斗がつるんでたヤツらも、半分は受験生だが、半分は推薦やらで早々に決まってしまってるらしい。

「遊ぶっても、街ン中うろつくだけだしな。飽きた」

 んじゃ、あたしには飽きてないのか?って聞こうとして、やめた。どう考えてもおかしな言い回ししか浮かばない。

 話題を変えよう。

「ねぇ河合海斗、いつも読んでんの、何?それ。小説?」

「アシモフ」

「……あし……なに?」

「アイザック・アシモフ。SFだよ。読みたきゃ今度貸すよ」

「や、いーや。今のあたしに本読むヨユーはない気がする……」

「じゃ、合格したら貸すよ」

「合格……するのかなぁ」

「するでしょ」

 河合海斗は本から目を上げて言った。

「天才の俺様がここまで教えてやってんだから」

「はあ?」

 どっから来るんだ、その自信家発言は。分けてくれよ。いや、いらんけど。


 入試の前日、ばーちゃんがドアをノックした。

「晩ごはんよ、ヒカルちゃん」

「ありがとう!もうちょっとしたら行くよ」

 丁度最後の追い込みで過去問を問いていたあたしは、部屋から出もしないで返事した。

「えらいわねぇ、たくさんお勉強して。試験は、いつなの?」

「明日!明日だよ、ばーちゃん!あー、もう、絶対無理!落ちる!落ちる気しかしないよ!あっはっはっ」

 やけくそのあたしに、ばーちゃんはいつものふんわりした調子で言った。

「だいじょうぶ。ヒカルちゃんなら、だいじょうぶよ」


 だいじょうぶ。

 その言葉通り、あたしは無事、合格した。兄貴の大学より2ランクくらい下の大学に。

 だけどその合格発表の日、ばーちゃんは眠ったまま、目覚めなかった。

 ばーちゃんは、その三日後に、永遠に、旅立った。

 お通夜やお葬式でバタバタとして、久しぶりに学校に行ったのは卒業式の日だった。

「ヒカル!だいじょうぶ?」

「でも、大学受かってよかったね!おばあちゃんもさ、きっと天国で喜んでるよ!」

 クラスメイトが、先生から事情を聞いているのか、優しい言葉をかけてくれる。

「うん、ありがと」

 あたしはぎこちなく笑い返した。

(何よ、こいつら……あたしが進学しないって言ってたときは、ガン無視してたくせに)

 無視されても、構われても、腹が立つ。

 式が終わると、教室ではクラスメイトたちが、めいめい寄せ書きをしたり贈り物を交換したりと、別れを惜しんでいた。その様子すら、あたしにはしらじらしく映る。

(何よ、必死になっちゃって)

 あたしは早々に教室を抜け出して、いつもの場所へ逃げこんだ。

「このピロティとも、お別れかぁ」

 あたしは一個だけ、忘れられたように転がっているバスケットボールを拾って、壁に投げつけた。

 空気の抜けたボールは、べそっ、と間抜けな音を立てて、地面に落ちる。

「ばーちゃん、魔法が効かねーよ……」

 ピロティの隅に座り込み、膝に顔をうずめる。

 ようやく泣ける気がした、その時。

 べそっ。

 顔を上げると、海斗がボールを持って立っていた。

「なんだよコレ、ベコベコじゃないか」

 あたしは思わず笑ってしまった。

「そんなの、投げる前に気付くだろ、フツー」

「いや、こういうもんなのかな、と思って」

「バッカじゃねーの」

 やっぱこいつ変。あたしはまた笑った。

「バカじゃないよ」

「あはははは。知ってるし」

 涙は、どこかへ行ってしまった。

「受かった?天才」

「当たり前だろ」

 勿論、あたしと同じ大学ではない。

 河合海斗が行くのは、日本全国、誰でも知ってるような、超有名大学。

「私も受かったよ」

「ああ、そうだろうね」

 そっか。あたしが受かるの、信じていたのは、ばーちゃんと海斗だけだったんだ。

「ねえヒカル、あのさ、マック行かない?本、持ってきたし」

「はぁ?そんなん今……」

 今貸してくれりゃいいじゃん、と言いかけたあたしは、ふと口をつぐんだ。

 あ、そっか。

「……うん」

 うん。わかった。

 ちょっとだけ。海斗の気持ち。

 それからあたしも、海斗のこと、ちょっと好きかも、ってこと。

「あたし、てりやきバーガー一択だな!」

 そう言って、あたしは海斗の手に触れてみた。

「いや、ハンバーガーとチーズバーガーが最強」

 海斗はあたしの手を、やんわりと自信なさげに握って、言った。

 ばーちゃんの魔法、ちょっとだけ、効いたのかな……?






「あと早瀬、前から気になってたんだけど、お前、口悪すぎ」

「うっさい!」

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