第15話 4歳 そのご。

 入場前にパンフレットをざっと眺めた感じでは、クラゲの部屋は順路全体のだいたい真ん中あたり。

 ここより手前は、けいたろうくんを探す時に一応見てきた。

 でも、実は暗くてよく見えなかったし、あのときはけいたろうくんを探すことに集中してたし、何よりソラタは日奈子さんたちと一緒にいると思ってた。だから、あまり自信は、ない……。

 ソラタの性格的に、戻るってことはあまりないとして。

(よし、とりあえず進んでみる!)

 方針を決めると、今度は大人たちを見上げながら探し回る。

(えーっと、そもそも私、今日どんな服を……)

 顔がよく見えない場所や、広い公園などの遠目では、洋服が子供を見つける手がかりになる。

 迷子防止に、ソラタには目立つ色の服を着せたりするが、自分が迷子になることは勿論想定していない。だいたいそんな派手な服を、子持ちのアラサー女が毎日着られるわけがない。

(ああ、こんなことなら帽子かなんか、目印になるものかぶってくればよかった……)

 子どもは目を離すとすぐにいなくなる、って親たちは言うけれど、子どもにしてみたら大人の方が、すぐに視界から消えてしまうのかもしれない。特に秋冬なんてモノトーンが増えて、ウォーリーをさがせより難しいんじゃないか。

 そんなことを考えながら歩いていたら、ふとトイレが見つかった。

(そうだ、トイレ、だいじょうぶかな?前は女子トイレでなんとかやれてたけど……)

 そのままふらふらっと女子トイレに入ってみる。しかし、それらしい人は見当たらない。

(やっぱりいないか)

 少しがっかりしてトイレを出ると、ふと視線を感じた。

 あたりを見回すと、トイレの入り口が並んでいる奥の行き止まりのところに、男の人が立っている。そしてこちらをじーっと見つめているのだ。

(……え?)

 若い男のようだが、フードをかぶっていて、顔がよく見えない。私はくるりと背を向けて、展示室の方へ戻る。

 恐る恐る後ろを見ると、その男もついてくる。

 ―最近は、男の子でも安心できない……。

 背中に冷や汗が吹き出してくる。

 どこか安全な場所にいかないと。もし今、元の身体に戻ったら、危険にさらされるのはソラタだ。

 戻った時に、「私の身体」がすぐに助けに来られるほど近くにあるとは限らないのだ。

(とにかく安全な場所……安全な場所……)

 思考がぐるぐる回る。

 その時だ。

「あら、ボク、ひとり?おうちの人とはぐれちゃったかな?」

 若い女の人が、かがみ込んで話しかけてきた。水族館の制服の、水色のジャンパーを着ている。

「いえ、だいじょう……」

(……あっ)

 ひらめいた。そうだ、迷子センター。

 この上なく安全な場所。

 そして「ママ」のことも、探してくれるかもしれない。

「あの、ママを、探してくれますか?」

「うん、だいじょうぶだよー。お姉さんとこっちで待ってようねー」

 私はお姉さんに手を引かれ、事務室に併設された迷子センターに来た。

「りんごジュース、嫌いじゃないかな?」

と言って、お姉さんは紙パックのジュースをくれる。

「さてと、おなまえわかるかな?」

「えーっと、早瀬……ヒカル」

「ママは?」

「……早瀬、ソラタ」

「はやせ、そらた……と。……ん?ママだよね?」

 私は頷いた。「早瀬ヒカル」と呼ばれても、ソラタは自分のことだと思わないかもしれない。多少変な名前だと思っても「ソラタ」で呼び出してもらったほうがいい。

 だが、現実はそううまくはいかなかった……。

〈ピンポンパンポーン♪迷子のお知らせです。早瀬ヒカルくんのお母様、早瀬ヒカルくんのお母様、いらっしゃいましたらお近くのスタッフまでお声がけください〉

 ……って、あれ?ちょっと。ソラタの名前、呼んでよ?

「すみません、あの、ママの名前、呼ばないと、わかんないんじゃない?」

 私は精一杯、言葉を選んで言ってみた。

「だいじょうぶだよー!あれ?ジュース飲まないの?りんご嫌いだったかな?オレンジもあるよ。オレンジにする?」

 いや、ジュースはどうでもよくって。

「あのう、ママが!まいごなの!探して!」

「だいじょうぶよー。今ね、アナウンスしたから、聞いたらすぐに来てくれるよーほら、絵本あるよ。ぬいぐるみさんも。イルカさん、こんにちはー」

「……こんにちはー」

 って、ちっがーう!

 ソラタの!名前を!呼んでほしいのに!

 ああもう、だめだこりゃ。こんなことしてる場合じゃないよ。

 頼みの綱で迷子センターに来てみたけれど、ここにいたってらちが明かない。

「あ、カルピスもあったような……ちょっと待ってね」

 そう言って、お姉さんが奥の給湯室らしき小部屋に消えていったのを見計らって、私はこっそりと迷子センターを後にした。


 迷子センターは入り口近くにあった。

 私は、もう一度入り口から、注意深く、まんべんなく、「私」を探しながら順路を進んだ。

 ああ、ソラタ。

 どこにいるの?

 今、キミは、何を見て、何を思っているの?

 できれば、危険な目に遭わずに、怖い思いもせずに、キレイなお魚を見ながら目をキラキラさせていてほしい。

 その瞬間。

(……あ!)

 ふと、頭の端を、希望の光がかすめた。

 私は足を速める。

 ソラタ。私の大事な大事なソラタ。

 すぐに、すぐに迎えに行くからね……。

 さっき泣いたせいで涙腺が緩んだのか、また涙が滲んでくる。

 ダメだ。今泣いたら、また迷子センターに逆戻りだ。

 私は必死で涙をこらえて、進んだ。

 イワシを過ぎて、クラゲを過ぎて、タカアシガニの水槽の前まで来た。

「……!」

 行く手に、あのフードの男を発見してしまった……。

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