4歳

第11話 4歳 そのいち。

「うっわあー!キレイだねぇー!」

「ママ、だっこ!だっこ!」

「はいはい」

 私はソラタを抱き上げる。

 最近では、重くなったソラタを抱けるように、大きめのリュックを買った。両手があくってすばらしい。

 私の顔のすぐ横で、ソラタは声を上げることも忘れ、目をキラキラさせている。

 ここは水族館。音楽とプロジェクションマッピングのショーに合わせて、イワシの群れが右に左に舞い泳ぎ、辺りはまるで海底のように幻想的な空間だ。

 ソラタは、今年から幼稚園に入っていた。

 幼稚園のママ友に水族館の割引チケットがあると誘われたので、みんなで遊びに来たのだ。

 一緒に来たのは、ソラタの仲良し、けいたろうくんと夢子ちゃん。

「最近夢子、家でもソラタくんソラタくんってうるさいくらいなの。一緒に遊びに来られて、よかったわぁー」

 そう言ってくれるのは、夢ちゃんのママ、夕子さんだ。おっとりしていて、話しやすい。

「みんな楽しそうで良かった。けいちゃんも昨日から楽しみにしてたのよ。でも、やっぱりちょっと暗いわね、水族館。子どもたち、見失わないようにしないと」

 けいたろうくんのママ、日奈子さんは、いつもしっかりしてて、私よりだいぶ年上みたい……年齢はちょっとまだ聞けてない。

「うちもよ。イルカのショー見るんだって、昨日いっぱい動画見させられちゃった」

 ソラタはイルカショーは初めてだ。もっと小さい頃に水族館に連れて行ったことはあったけど、途中で疲れて寝てしまい、イルカのショーまでたどり着けずに帰ってしまったのだ。

「イルカのショー、まだ!?」

 親たちの会話で思い出したのか、ソラタが期待でいっぱいの顔でこっちを向いた。

「イルカショーは最後かな。楽しみだねぇ」

「僕、一番前で見るんだ!」

「そうね、席が空いてたらね」

 その時、足元でけいたろうくんの声がした。

「前行こう!ソラタ!前!」

「うん!」

 ソラタはするするっと私からおりると、けいちゃんと夢ちゃんと手をつないで、大人たちをかき分けて水槽の真ん前まで行った。

 私たち大人は、まさか割り込むわけにもいかないので、仕方なく人混みの後ろから眺める。

「もう、すぐチョロチョロ行っちゃうんだから……」

 日奈子さんが心配げに言う。

「まあでも、三人手をつないでいたし、ここはそんなに広くもないし、だいじょうぶよー」

 夕子さんがおっとりと言う。

「けいちゃんはしっかりしてるし、ソラタくんも落ち着いてて、安心よねー。夢子はまだまだだなぁ……」

「え、ソラタ、落ち着いてなんかいないじゃん!ちょっと目を離すとどっかに消えるし、全然よ、全然!」

「うちもよぉー。アイツ、ああいう性格だからしっかりしてるように見えるけど、だいぶ適当だからね。思いつきで言ったり動いたりするし」

 けいたろうくんは身体も大きくて、動きもてきぱきしてるし、話し方も明瞭で大人びている。

「そこいくと夢ちゃんは、ちゃんと考えてから動いてて、さすが女の子は冷静だなぁーって思うわ」

 日奈子さんの分析に、私は大きく頷く。

「わかるわかる!男子は半分、動物みたいだもん!」

「……半分?」

と、日奈子さん。

「え、……ぜんぶ?」

 あはははは、と笑い合う。

 ああ、こういう他愛ない話ができる友だちがいるって、いいなぁ。

 たぶん、子育てしてない人が聞いたら、全然大したことない内容。

 子育て終わった人からしたら、当たり前すぎる話題。

 きっと、今、同じ年齢の子どもがいるから、分かち合える話なんだよね。だから、こんなどうってことない話なのに、こんなに楽しいんだ。

「それにしても、キレイね。なんでこんな、みんな一緒に泳げるのかなぁ……」

 私は、はあっとため息をついた。光のつぶつぶに照らされた、銀色に光る魚たちがひらひらと泳いでいる景色は、いつまででも飽きることなく見ていられそうだと思った。

 ああ、キレイだなぁ……。

 毎日のバタバタ、ぜーんぶ忘れて。

 キラキラした海の底に、まるで吸い込まれるよう……。


「……タくん、ソラタくん……」

「えっ?」

 はじめ、それが自分を呼んでいるのだとは気づかなかった。

 左の手のひらには、汗ばんだ小さな手が握られている。

「ソラタくん、ねぇ、ママたちどこだろう?」

 振り向くと、目の高さに夢ちゃん。その後ろにけいたろうくん。

「ママ、どこー?ソラタ、ママみえる?」

 けいたろうくんもきょろきょろしている。

 ショーはもう終わっていて、観客はまばらに去っていくところだった。

 私は精一杯背伸びして、ぴょんぴょんと跳ねてみたが、それらしき人影が見当たらない。

 水族館は薄暗くて、水槽だけが青白く浮かび上がっている。

 人の顔も、洋服の色も、判別しづらい。子どもの背丈から見上げても、大人はどれもこれも黒い影にしか見えない。

 ……あっちゃー……

 マジか。

 あの、年に一回くらいのペースでやってくる、おかしな現象。

 よりによってママ友と一緒の時に。

 ソラタと私、入れ替わった上に。

 迷子、だってぇーーー!!?

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