3歳
第8話 親切。
「ママ、だっこ!」
「……はいはい」
私は買い物袋を歩道の端に置いて、ソラタを抱き上げた。
「よいしょ……っと」
もうだいぶ重い。
ソラタはもう、両手じゃないと抱っこできなくなっていた。
ちょっと前まで、片腕でソラタをひょいと抱き上げて、もう片手に荷物を持って歩いていたのに。
3歳になって、体力もついたソラタは、どこへでも小走りでちょこちょこ行ってしまう。
ベビーカーに乗っているより、歩く(というか小走っている)時間のほうが長いので、思い切ってベビーカーと抱っこひもを卒業してみた。それだけでだいぶ身軽になって、公園や買い物に今までより気軽に出かけられるようになった。
ああ、子育てってだんだん楽になるっていうけど、ほんとなんだな……と、足取り軽く駆けてゆくソラタの背中を眺めながら、しみじみ喜んだものだ。
……最初のうちはね。
問題は、帰り道である。
いくら体力がついたとはいえ、所詮、歩き始めて二年とちょっと。
元気よく出かけて、たっぷり遊んで、ついでに晩ごはんの材料も仕入れ、さあ帰ろう!ってときに、
「つかれた……」
て、なる。
「だっこ」
て、なる。
まあ、そうだよね……疲れたよね……。
帰りの燃料まで、計算してないよね……。
よって、だから、かくして。
こうなるわけ。
つまり、歩き疲れたソラタを抱っこしたは良いけど、買い物袋まで持てなくて、立ち尽くす、と。
今日みたいに牛乳2パックも買った日には(しかもかぼちゃも安くて、つい丸ごと一個買ってしまった…)荷物とソラタ、どっちも持つことは不可能に近い。
ああ、自分の計画性のなさにげんなりする。
よくさ、子どもおんぶして、傘さしたり荷物持ったりっていうシチュエーション、あるじゃん?アニメとかで。あんなの、無理だからね。子ども、お尻支えてないと、おんぶしてられないから。あっという間にずり落ちるから。ついでにいうと、肩じゃなく首に腕巻きつけるから、こっちは息できない。無理。
「ママ、すすんで!」
「いや、無理」
「すすんで!!」
「だって、抱っこするとお買い物袋持てないんだもん。歩こう?おうち、もうちょっとだし」
そう言って、ソラタを下ろす。
「つかれたー」
しゃがみ込んでしまうソラタ。
「えー……」
参った。しかしずっとここにこうしているわけにもいかない。
立ち止まったままの私たちの横を、ちらほらと通行人が過ぎてゆく。
ああ、早く帰りたいな。私だってそこそこ疲れてる。
そして一瞬、ちょっと投げやりな気分になって、言ってしまった。
「もー、じゃあ好きなだけしゃがんでていいよ。ママだけ先におうち帰って、お買い物置いたら、また迎えに来るから」
「いやーだぁ!」
ソラタが半泣きで言う。
「じゃあさ、ほら、がんばって歩こう?」
「歩けないぃぃ!うわあぁーん!」
あ……しまった……。
この手の脅しで、うまくいったことがないことを、今更思い出す。
「ごめんごめん、ちょっとママ、意地悪言っちゃった。ごめんねソラタ」
「だってあるけないんだもん!ママいじわる!」
参った。本格的に怒らせちゃったな……。
にっちもさっちもいかなくて、深い深いため息をついた時。
「僕が抱っこしましょうか?」
……へ?
振り向いた私の目に入ってきたのは、今どき古風な学ラン姿。
これって確か、近所の高校の制服だ。それもそこそこ偏差値の高い……。
「え、あ、すみませんっ」
何を謝っているんだ私は。しかし親切で声をかけてくれた少年に、とりあえず何か言わねばと焦った。
「大丈夫です、ありがとうございます」
「……ほんとに大丈夫ですか?」
「えっと……」
座り込んで、テコでも動かないぞ、と言わんばかりのソラタ。
「多分……」
ずっしりと手に食い込んだ買い物袋。
「ほら、ソラタ、歩こう?」
しーん……。
「……いや、でもあの、抱っこはさすがに申し訳ないので……」
「あっ、そうですよね!あ、じゃ、僕が荷物持ちますよ。その袋」
お愛想笑い、というのをしないタイプなのか、そういう年頃なのか、大真面目な顔で彼は言った。
ああ、うちのソラタも、いつかこんなふうに、制服着て高校通うんだろうな……なんて妄想は置いといて。
「え、いやあの」
「大丈夫、盗んだりしませんから!」
「あ、そういう意味じゃ……ほんと申し訳なくって」
「気にしないでください!おうち、近いんですよね?僕もこっちですし」
そう言うと、少年はひょいっと買い物袋を持ち上げて歩き出す。仏頂面のままだが、話し方は優しい。
「あわわ、ほんとにすみません!ありがとうございます!」
なんとまあ情けない……大人なのに、こんな少年に助けられるなんて……。
恥じ入りながらソラタを抱き上げ、彼の後を追いかけようとした、その瞬間。
ああ、まさかの。
まさかのまさかの。
「あ……っちゃー……」
目の前に迫る自分の顔のどアップを見つめながら、私は呟いた。
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