第7話 かくれんぼ。

「ソラタ!」

 名前を呼んでみるが、返事どころか、気配すらない。

「ソラタ!」

 もう一度呼ぶ。

 しかし、ソラタの声が、小さな公園に虚しく響くだけ。

「うそ……ソラタ……どこなの?」

 一体どこへ行っちゃったの……?

「ソラタ―!」

 私は駆け出した。

 どっちに行ったんだろう。

 小さいと思っていた公園は、ソラタの背丈で眺めると案外広い。右?左?まっすぐ?

 公園の周りの茂みや、木の陰を、片っ端から探す。遊具の陰に隠れていないか、駆け回る。

 よく考えれば私の身体に入っているのだから、そんなに狭いところには隠れられないのだけれど、つい本来のソラタの姿を探してしまう。小さなソラタ。

 まだ生まれて二年とちょっとしか経ってない、小さな小さなソラタ。

 立ち止まると、足元に小さな影が落ちている。

 ああ、なんであんな意地悪を言っちゃったんだろう。ソラタはまだこんなに小さいのに。

 いつもいつも、私の足元の、ちょっと前にいて。

 走れるようになったのが嬉しくて、ちょちょこ駆けていっては、私の姿を確認するように振り向いて。

 小さくて。かわいくて。

「ソラタ……」

 途方に暮れた私の目に、公園の隅にひっそりと建っているトイレが、目に入った。

(まさか……)

 私は走った。

 ああもう、ソラタの脚、短い!全然進まん!

 苛立ちが脚をもつれさせ、二度ほど転びそうになりながら、ようやくトイレに辿り着く。

「ソラタ……いるの?」

「はーい!」

 膝から力が抜けていくようだ。

 個室の一つに、ソラタは居た。

「良かった……」

「マーマ、おトイレ!」

「え、何?トイレ!?」

「うん」

 洋式便座を前に、立ち尽くすソラタ……姿は私。

「まじか」

 最近の公園トイレが、昔に比べてだいぶキレイなことに、私は心から感謝した。

「まだよ!まだガマンよ!」

「うん」

 ああもう、ソラタの指、短い!四苦八苦してパンツを脱がせ、座らせる。

「はい、しー、して」

「しー」

 あー、良かった……間に合った……。

「ソラタ、えらいねぇ。ちゃんとガマンできたねぇ」

 私は小さな手を精一杯伸ばして、ソラタの頭をなでまわした。

 まだまだちっちゃいけど。

 大きくなったんだな。

 毎日、毎日、大きくなってるんだ。


 トイレを出て時計を見ると、ソラタが消えてから、まだ4〜5分しか経っていなかった。

 離れてたのはこんなに短時間なのに、すごく長い時間のように感じた。

 私はソラタの脚に抱きついた。

「……おうち、かえろか」

「やだ」

「えー……」

 と、その時、スマホが鳴った。

 そしてなぜかソラタが出る。元気よく。

「はい、もしもーし!」

「え、ちょ、誰から?ねぇソラタ、返してよ」

 私はまた、ソラタの足元でぴょこぴょこする羽目になる。

 と、その時、相手の声が聞こえた。どうやらハンズフリーボタンを触ったらしい。

「もしもし?ヒカル?」

 ……え。ちょっと待って、これって……。

「ヒカル、聞いてる?俺……カイト」

 やだ……なんで?なんで今?

 なんでこのタイミングで、あんたから電話が来るの!?

 カイト。それはソラタの父親。私の、元・夫。

 地上90センチで狼狽える私をよそに、頭上では勝手に会話が進んでいく。

「あのさ、なんか今更だけど、声聞きたくて……今、いい?」

「やだ」

「じゃ、すぐ済ますよ。これだけ言いたくて……俺、あんな別れ方したけど、ほんとはさ……ほんとは……なあ、わかるだろ?」

「むり」

 あれ……?ちょっと、これ、なんか会話が成り立ってない?

 ソラタはいつもどおりのイヤイヤを並べてるだけ、なんだけど。

「そんなこと言わないでさ……たまには会おうよ、昔みたいにさ」

「だめ」

 えええ!そんな勝手に!

 でもまぁ、今更会ってどーすんの?とは思うけど。そんなバッサリ切らなくても。

「そっか……そうだよな……なあ、ソラタは元気でやってるのか?大きくなっただろうな」

「しらない」

 つか、いい加減気づけよカイト!それ私じゃないから!

「そっか……なんかごめん。怒るのも無理ないよね」

「おこってなーいよー?」

 おいおい、これじゃただのツンデレじゃないか……。

 頭を抱える私。

 そして、ソラタの「怒ってないよ」に無駄に勇気をもらったのか、カイトの声が幾分明るくなる。

「ねえ、また時々、連絡していい?」

「やーだ!ばいばい!」

 ぶつっ。

「……あはっ」

 なんか可笑しい。笑いがこみ上げてきた。

「あははははっ」

 ソラタのイヤイヤって、ちゃんと通じるんじゃん。会話になってたじゃん。

「あははーきゃはははー」

 つられてソラタも笑う。

 ああ、こんなに無邪気に笑えるんだ、私の顔って。

「あはは、ははは、はあ……ソラタ」

 笑い疲れて、私はソラタに抱きついた。そして力いっぱい、抱きしめた。

「ぎゅー、マーマ、ぎゅーぎゅー、うふふ」

 ソラタの嬉しそうな声。ちょっと高い体温。

 ああ、ソラタだ。私の小さなソラタ。

 私たちは、ようやく、元に戻った。


「ソラタ、ほいくえん、やあの」

「うん」

「マーマといっしょにいゆの」

「うん……」

 そうだね。もうちょっと、一緒にいようかな。

 このぬくもりが、自然に私の手を離れていくまでは。

 帰り道、私の手の中にある小さな手を握りしめながら、私はそう思ったんだ。

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