第5話 おしゃべり。
そう、思い返せば一年前。
私とソラタは、身体が入れ替わるという不思議体験をしたのだ。
幸い、数分から数十分(最初眠っていたので正確にはわからない)で元に戻ったので、おおごとにはならなかったんだけど。
むしろ、何日かすると、あれは夢だったんじゃないかな?とも思えてきたりして。
だって、ありえないし、そんなの。ちょっと前に流行った映画でもあるまいし。
ってか、まだ赤ちゃんのカケラがお尻にくっついてるような一歳児と入れ替わるとか、危険すぎるでしょ!設定として!
しかし、災難(?)は忘れた頃にやってくる……。
そう。今だ。
それも外出中。保育園の前。一時間後に、面接。
「……ひぃー」
自分が青ざめてゆく音が聞こえたような気がした。
ゥイィィーン……
自動ドアが開き、保育士さんが出てくる。
「あっ、早瀬ソラタくんですね!お待ちしてました!」
ゾウのアップリケが縫い付けられたエプロンをした、かわいらしい先生が、にこにこと話しかけてきた。
「あっ、ハイ!えっと」
私は激しく混乱した。えーと、この場合、私(中身ソラタ)を預かってもらうの?それともソラタ(中身私)を預かってもらうの?面接には、どっちが……って、私(中身ソラタ)が面接行ったって何もしゃべれないし、面接が終わってもこの保育園まで帰ってこれるはずがない。でもソラタ(私)が行っても先方、尚更困るだけだろう……百歩譲って、警察呼ばれて保護されるのがオチだ。
あああー!どうしたら!!
と、その時だ。
「あのね、きょうはね、ソラタ、ほいくえんいかないです」
……え?誰?私?の、声??
「は?えっと、キャンセルということでしょうか?」
かわいらしい先生の声が、頭上から降ってくる。
「キャンセルないです。ほいくえん、やらないです」
「えっと……もしキャンセルなら、ご記入いただく用紙が……」
水色のゾウが、目の前で困ったように揺れた。
「はい、さようなら!ばいばい!」
ソラタはそう言うと、私の手を取って駆け出した。
「きゃあっ!」
走るソラタに引きずられるように手を引かれながら後ろを見ると、かわいらしい先生がぽかんとこちらを見送っていた。ああ、あとでちゃんと謝らなくちゃ……。
走って走って、気がつくとソラタと私は公園にいた。
滑り台とブランコと砂場がある程度の、小さな公園だが、家から近くて気軽に来れるので、ソラタのお気に入りの場所だ。
走り疲れた私はよろよろとベンチに座り込んだが、ソラタは砂場に直行した。
「カンベンしてよ……」
幸い公園には他に人はいない。でもやっぱり夢中で砂をかき回す変な女(って私だけど)を放置するわけにもいかず、私も砂場にしゃがみ込む。よし、これで「子どもの砂遊びに付き合うママの図」に見えなくもない。
小さな膝小僧を抱え込んで、私は途方に暮れた。
ソラタが砂場の外に放り出したカバンから、スマホを取り出す。時刻は9時半。
うーん、たとえ今すぐ向かったとしても、どう考えても、間に合わない。
「詰んだ……」
そうだ、とりあえず電話連絡だけでもしておこう。無連絡キャンセルはまずい。人として。
理由は……まあ、あんまり使いたくないけど「子どもが急に体調不良」だな。ある意味、そう言えなくもない……と思うし。
よし。
通話履歴の中から面接先の電話番号を探し出し、電話をかける。
トゥルルルルル、トゥルルルルル、……
「はい、成臣商事です」
「あ、おはようございます、わたくし、本日面接のお約束を頂いていた早瀬と申します」
精一杯、低い声を出すが、どこか舌っ足らずな発音になってしまう。ハキハキ喋るには口の中が狭いのだ。
「おはようございます早瀬さん。どうされましたか?」
「大変申し訳無いのですが、今日子供が―」
と言いかけた時、突然背後から
「あらー、だめじゃないの、いたずらしちゃ!」
って、え?
「だめですよー、こどもは、おでんわいじっちゃだめですよー」
おいソラタ。それはこっちのセリフだ。
「はい、もしもーし?」
開いた口が塞がらない私をよそに、ソラタは私からスマホを取り上げ、電話口に話しかける。
「あ、もしもし、早瀬様?えっと先程のはお子様……?」
「はーい!」
元気よく答えるソラタ。その足元で、届かないスマホを取り返そうと、ぴょこぴょこ跳ねてる私。
「本日は10時から面接のご予定ですが、いらっしゃれますか?」
「いらっしゃなーいです!」
「ええと、……?と申しますと……?」
「きょうはいかないの」
「……は?あの、何かご都合が?」
「きょうは、ママ、ソラタとあそぶのー!じゃあねー!」
ぶつっ。
あー……。
やっ……た……。
私の、再就職……。
完っ全に、消えた……。
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