第2話 さて、どうしよう?
状況を飲み込むのに、20秒ほどかかってしまった。
「私」の瞳の中に映っている私は、紛れもなくソラタだ。
ええと、つまり……これは夢……?
そうか、疲れすぎて夢を見ているんだ。一日でいい、母親業を放り出して思う存分寝たい。そんな欲求が引き起こした現実逃避。ああ、早く目を覚まさなきゃ……ああっ、危ない!
「んぎっ!あぶっ!」
私が声にならない叫びを上げた時、私を見下ろしていた「私」―つまりソラタの母親の顔の女は、勢いよく立ち上がろうとしてよろめき、尻もちをついてそのままごろんと床に転がった。頭をしたたかに床にぶつけた音がする。
だ……大丈夫?「私」……。
そう思っても、言葉が出ない。ソラタの口はまだママすら言えないのだ。
そう。どうやら私はなにかのはずみでソラタの中に入ってしまったらしい。そして。
「ふっ、うっ、うあうっ……」
起き上がった「私」の瞳には、みるみるうちに涙が溢れ出し。
「ふぇああぁーーん!んぎゃああーーん!」
あーあ。そりゃそうよ、あんなぶつけ方したら、そりゃ痛いわ。脳みそ大丈夫かなぁ。でもあの中に入ってるの、私の脳みそ……ま、泣いてるってことは平気ってことか。
しかし、よく泣くなぁ。いい大人が。これじゃまるで……まるで―。
まるで赤ん坊だ。
「んぎゃあー、んぎゃああー、あうあー……ひっく……ひっ……ひっく……」
「私」は、ひとしきり泣き叫んだあと、ようやく泣き声は嗚咽に変わり、徐々に落ち着きを取り戻している。
その様子を見ながら、私の中に、ある疑問が浮かんだ。
(私はここにいる……たぶん、ソラタの中に。じゃあ一体、あの『私』の中には、誰が入っているの?)
そう考えながら、私の中にはひとつの仮定が生まれつつあった。
つまり。
(……ソラタ?)
そう、私がソラタの中に入り、代わりにソラタが、私の身体の中に入ったという可能性だ。そういう目で見ると、「私」の仕草はどれもこれもソラタのそれのように思えてくる。身体のバランスが取れないくせにいきなり立とうとするところ、頭をぶつけて大泣きするが、しばらくすると泣き止むところ、そして何事もなかったように―。
「私」は座り込んで、床に散らばったブロックやミニカーで遊びだした。ブロックの向こう側にはおもちゃ箱がひっくり返っている。どうやら私がいない(?)ので自分で出したのだろう。さっきまでの阿鼻叫喚はどこへやら、きゃふきゃふと無邪気な笑い声を上げて遊んでいる。……しかしその外見は、寝間着代わりのよれよれのシャツワンピを着た、24歳、バツイチ、子持ちの、シングルマザー。どこからどう見ても、頭の中お花畑の、ちょっとおかしい女……にしか、見えない。
いやいや、ありえないでしょコレ。この状況。ないない。どう見てもやばいでしょ。ミニカー転がして遊ぶ24歳。だいぶご機嫌。これ絵的に痛すぎるから。
頭の中がぐるぐると巡る。ねえこれ、ほんとに夢じゃないの?
試しに、両目を閉じて、また開ける。
―うん、なんにも変わってないね。夢だとしてもまだ覚めることはないらしい。
よし、じゃあとりあえず確認しようか。自分の身に何が起こったか。
もし仮に、いや本当に、ソラタの身体だとしたら、ハイハイはできるはず。つかまり立ちも、つかまり歩きも、それなりにできた。私はころんと寝返りを打ってうつ伏せになり、よっこらしょと起き上がった。
……おう。
うわーお、クラクラするぜ。
頭が重くて、立ち上がろうとしてもフラフラする。私は床に両手をつき、慎重に歩き出した。四つん這いで。
部屋の隅に姿見がある。そこまでなんとかたどり着きたいのだが、ああもう、全然進まない。ちょっとイライラするレベルで遅い。
やっとのことで姿見の前にたどり着いた私の目に映ったのは、まあ大体予想はついていたけど、紛れもない私の息子―一歳になったばかりの、ソラタの姿だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます