第3話

 サーカスのテントまでは毎年、三十分近くかけてみんなで歩いて行く。大きな南門市場の裏手だ。


 家を出て少しの所に真亜子の好きな氷屋さんがある。後の時代の氷屋さんと違ってかき氷を売っているだけでなく、本当に大きな氷を切って売ったり配達したりしていた。氷屋さんが近付くと空気がヒンヤリと感じられるので、真亜子は氷屋さんの前を通るのが好きだった。

 氷屋さんと同じ並びに硝子ガラス屋さんもある。お父さんの時計宝飾店とけいほうしょくてんの戸棚の硝子ガラスにヒビが入った時、硝子ガラス屋さんが寸法を測って真新しい硝子を嵌め込みに来た。その作業を見ているのはとても楽しかった。


 ――いつかこの硝子ガラス屋さんに頼んで小さな長方形のガラスを三枚作ってもらおう――

 それは真亜子の内緒の計画だった。以前、子ども向け科学雑誌に載っていた万華鏡まんげきょうを作るためだった。まず長方形の三枚の硝子ガラスをテープで三角柱に組み立てて底には丸い鏡を置く。全部を接着剤で頑丈にして、それを黒い色画用紙で包み、中に色とりどりのビーズやセロファンの切れ端を入れ、上に透明なセロファンを貼る。これで手作りの万華鏡まんげきょうの完成だ。


 実際には万華鏡まんげきょうの計画はなかなか実行に移される事なく、季節は過ぎてゆく。でも硝子ガラス屋さんの前を通る度、真亜子の心はこの小さな計画を思い出し、ほっこりするのだった。


 氷屋さんと硝子屋さんとは何となく似ている。透明で美しいものをスーッと切っていく手際の良さ。ピンと張り詰めた空気。


 でも氷はすぐに溶けてしまう。


 夏祭りの日、氷屋さんは毎年大きな氷の中に造花を入れた氷中花を道の脇に置いて、通りを歩く人達の目を涼ませる。でも何時間後かには真四角だった氷の角は丸く溶け、申し訳なさそうに小さく縮こまってしまう。

「硝子だったら溶けて水にならないのにねえ」

 と真亜子が言うと、氷屋さんは言った。

「でもね、お嬢ちゃん、水はまた凍らせて氷にする事が出来るからね。無くなる事はないんだよ。硝子だったら割れたら最後だろう?」


 ――じゃあ氷はずっとなくならないんだ!――

 真亜子はそれがとてもすごい事に感じられ、お店で作業中のお父さんに話すと、お父さんは、硝子だってうんと熱く熱すると溶けてまた別な硝子の製品を作る事が出来るのだと言った。


 やがてみんなは大きな四つ角に差しかかった。両側には桜並木が貫いていて、この並木道を右に真っ直ぐ行くと真亜子の通う小学校に着く。この道は五月頃には桜の花が綿菓子のように咲いて花びらが辺りに舞い散り、信じられないくらいステキな風景になる。


 左側に真っ直ぐ行くと、やがて川がすぐ隣に流れ始める。この川は真亜子達の学校の裏にある山から流れていて、並木道と近付かず、離れずずっと流れている。


 お母さんは真亜子が生まれてからずっと体が弱かった事もあって、くどくどと真亜子に注意したり、強く何かを押し付けたりする事はなかった。その代わりその言葉はいつも不思議に心に残った。一つとても印象に残った言葉があった。それは、真亜子が小学校三年生の時、山を少し登った所に住む友達の家から帰る途中で道に迷い、遅く家に帰った時言われた言葉。


 ――真亜ちゃん、道に迷ったら横に川の音を聞きながら、でも川に近付かないようにして川の水の流れる方向に歩くのよ――


 そうすると必ず人の集まる村や町にたどり着くのだと言う。

 それはお父さんの注意とは真逆だった。お父さんは川というものにはもう二度と近付いてはいけないと言っていた。


 というのも真亜子はそれまでの短い人生の中で二度も川で流されかけた事があったからだ。どちらの場合も運良く近くにいた人に助けてもらえたから良かったようなものの、普通ならばそのまま流されてしまい、元気な姿で家に帰っては来られなかっただろう。お父さんから二度と川に近付いてはいけないと言われても仕方なかった。


 それなのにお母さんは川の流れを強調した。全州の山の中で耳を澄ませば必ず川のせせらぎが聞こえてくるだろうから、と。

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