契約は突然に②
「わぁーーおー!」
ふよふよと宙を漂うクラゲは、二本の触手を頬の辺りに当てながら、感動したような声を上げた。
「えー?なに、なに?一人暮らしなの?!」
「……そうだけど。悪い?」
俺はコンビニ袋をテーブルの上にガサッと置いた。
『そこは調べてないのかよ!』と、いうツッコミはしない。……疲れるから。
「ぜーんぜん、悪くないよ!でも……ふふっ。私ってもしかしなくても、ご家族以外で初めて君の部屋に上がった女性じゃなーいー?ごめんねー?」
今まで部屋の中をうろちょろしていたクラゲは、俺の前でニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべている。
「……『女性』って、お前はただのクラゲだろ!」
悪いだなんて少しも思っていないだろうに。
って、……思わずツッコミを入れてしまったじゃないか。
はあ……。
俺はどうしてこんなクラゲを家に上げてしまったのだろうか。
いや……コイツが強引に入り込んで来たのだ。俺は悪くない。
「ひーどーーい! 私は、立派な成人女性です!そ・れ・に!クラゲじゃなくて【
クラゲ……こと、海月はプウッと頬を膨らませた。
「成人……女性?
声は女だが、海月に女は全く感じない。寧ろ、ゆるキャラみたいなクラゲをどう意識しろと……。無茶振りにも程がある。
「まあ、私のことは良いや。それより――『
振り回されている気がしなくもないが、いつまでもジメジメされる方が……正直面倒くさい。
「契約しないっていう選択肢は――」
「ない」
即答された。
だったら……。
俺は深い溜め息を吐いた後に決心をする。
「お前の持っている……いや、この世界に出回っている【NOZOMI】の全データの削除だ。一つ残らず消してくれ」
俺にとっての黒歴史である【NOZOMI】の存在を抹消しなければ、この先の平穏が保証されない。
「……私は好きなんだけどな」
ボソッとした海月の呟きは、小さすぎて聞こえなかった。
「今、何だって言った?」
すぐに聞き返してみたが、ニッコリ笑顔を貼り付けた海月は教えてくれる気が無いようだ。
だったら……これ以上の押し問答は無意味である。気にはなるが仕方がない。
「それにしても、君は欲がないねー」
「いや、充分だろ。……個人所有のや、世界中のネットに溢れた物を含む全てだぞ?」
ネットに流失しているデータの全削除をするのは、かなり難しいと言われている。
……俺一人では何も出来ない。
「んーー」
「……無理なのか?」
「えっと、ぶっちゃけ何でも叶えられるよ。 『世界征服』だって、『世界一の大金持ち』だって可能。まあ、その対価分は当然、身体で支払ってもらうことにはなるけどね?」
「ブラック企業か!」
「……ブラック企業? こんなのはただの等価交換でしょ?」
海月はキョトンと瞳を丸くしながら、首を傾げた。
「……本当のブラックっていうのは、こんな生易しいもんじゃないよ」
海月の瞳からスッと光が消え去る。
「……っ!?」
海月の表情の変化に驚いた俺は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
『無』……だった。
決して触れてはいけない深淵というものを、海月の瞳の中に垣間見えた気がした。クラゲのくせにブラック企業に勤めたことがあるいうのか……。
「み、海月……?」
恐る恐る呼び掛けると、
「その点、うちはグレーなので大丈夫です!」
ニッコリ笑う海月の瞳には光が戻っていた。
「グ、グレーかよ!ってか、怪しいことに変わりねぇし!」
「大丈夫、大丈夫。ほんのすこーし黒寄りのグレーだから☆」
「そうか。それなら…………には、ならねえからな!? やっぱりブラックじゃねぇか!」
「チッ……」
「……クラゲが舌打ちしやがった」
「『クラゲ』じゃない! み・づ・き!」
「どっちでも良いわ!!」
第一、『海月』も『クラゲ』も読み方一緒だろうが。
「……もう嫌だ」
「何言ってんのー。まだこれからだよ?」
ガックリと項垂れた俺に向かって、触手を突き出してきた海月は、満面の笑みを浮かべた。
「本当にデータの全削除できるんだよな?」
「勿論だよ!」
「それなら……分かった」
「よーし!じゃあ、望の願いを叶えようか☆」
「……ああ。頼む」
どうしても避けられない嫌なことや面倒なことならば、早く終わらせてしまうに限る。
……それに。
先に願いを叶えてもらえば、こちらのものだ。
データーを消してしまえば、海月が俺を脅すネタが無くなるのだ!
そんなことにも気付かないなんて……流石は脳ミソの詰まっていないクラゲだ。
俺は内心でほくそ笑んだ。
主導権を握られ続けるのは面白くない。
だったら先に俺が有利なように動いてしまえばいい。
心に闇を抱えてそうだが……相手はゆるキャラっぽい
「じゃあ、君の願いを叶える為にコレを」
海月は俺に、新海のように深いブルーの石を渡してきた。
「……どこに隠してるんだよ」
海月は自らの傘の下から、その石を出したのだ。スマホの時と同じよう原理のようだ。
「ふっふっふー♪乙女のヒ・ミ・ツ☆」
海月は口元に両手……二本の触手を当てながら笑っている。
乙女の……?って、ダメだ。
このままだと、また海月のペースに巻き込まれる。
「これは?」
「望の願いを叶えるアイテムだよ。さあ、願いを強く思いながらこう言って。『ジェリーフィッシュ!』」
「……って、クラゲかよ!」
※ジェリーフィッシュ=クラゲである。
「細かいことは気にしないのー」
海月はプウッと頬を膨らませる。
「じ、じぇー……」
「声が小さーい!」
「『ジェリー フィッシュ』!!」
海月に煽られるようにしながら、半ばヤケクソ気味に叫ぶと……
足元から漂ってきたフワッとした淡い光が、俺の身体を包み込んだ。
「なっ……!?」
驚く俺を余所に、足元から徐々に『ポンッ』『ポンッ』という可愛い音が聞こえてくる。
これはまさか……!?
光と音が胸元で弾けた瞬間に……俺はやっと理解した。
『これは変身のシーンじゃないか』と……。
「おい……クラゲ」
「『クラゲ』じゃなくて
「名前なんてどうでも良い。これは……」
「おお!ご契約ありがとうございます!
ニッコリ微笑む海月とは真逆に、俺は愕然と自身の姿を見下ろしていた。
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