ーThe Ghost Legionsー EP:8 ココロノキズ
「どういうことなんだ、室長」
俺は静かな怒号と共に室長用の机に資料を叩きつける。執務室にその音が響いても、目の前の少年は脅えるしぐさも見せやしない。
その資料は、奥原凛の人事資料の秘匿されていた部分だ。
過去の健康診断の時点で彼女の脳波データを計測していたようだが、その際に特定の数値が異常に高いことが分かっていた。
そしてその数値が高ければ、偶発性記憶特異点、所謂『狐』に遭遇しやすい。
世間には公表されていないため、その事実を知るものは少ない。
だが俺は知っている。
なぜなら過去にこの俺、榑林凱の人生を狂わせた事実に他ならないからだ。
「アイツが『狐』に遭うリスクが高いことは、アンタが一番知ってたんだろう。なのに何故、ジェミニを作らせたんだ」
声に凄みを持たせ、どれだけ威圧しても鹿島室長の顔色は変わらない。
趣味の悪い革張りのリクライニングチェアに腰掛け、組んだ手の上に顎を乗せながら、悠々とこちらを眺めている。
なんとも癪に障る態度だ。上司ではあるものの、俺はコイツが気に入らない。
あどけない少年の面を被りながら、その本性は悪魔に近い下衆の極みだ。俺やシズカ、クロムがコイツの下で何度死線を掻い潜った事か。
そしてどんな状況下でも、コイツは不適な笑みを張り付かせてる。まるでジェミニの力に溺れた者たちをあざ笑い、神を気取っているかのように。
「確かに彼女が『狐』に遭遇するリスクが非常に高いことは、事前に把握していました。ですがそれでも、彼女の潜在ポテンシャルは非常に高い。私の予想では我が保管室の誰よりも卓越したジェミニ使いになると思っています」
「その結果、アイツが死ぬ事になってもか」
そう、それが想定しうる最悪の結末。
『狐』はいつ、ジェミニの母体の前に現れるか分からない。
奥原凛のように、記憶を抽出している時かもしれないし、俺やシズカのように過剰同調した時かもしれない。
だがどちらにしても『狐』と遭遇し、そのまま『あちら側』に引き込まれれば、それ相応の代償を払う必要がある。
俺は味覚を含めたいくつかの感覚を失い、シズカの母体は発狂した。
俺やシズカより高い数値を叩き出している凛が、もし『狐』に引きずり込まれた場合、最悪の結果は避けられないだろう。
「最悪の結果になった場合、奥原さんを失うことは手痛い損失ですが、それは私の見込み違いだったということでしょう」
いけしゃあしゃあと抜かすこのクソガキの顔に、一発ほど拳をぶち込んでやろうか。
こみ上げてくる怒りの矛先を決めあぐねていたが、どうにかして溜飲を下げる。
「全部が全部、アンタの思い通りになると思わないことだ。ジェミニを作らなくても、此処から離れても、それは彼女の意思次第だ」
「では、彼女がジェミニを作ったとしても、それは彼女自身の意思、ということになりますよね」
どこまでも自信に満ちた表情を鹿島室長は浮かべる。
「ああ、彼女次第だ」
そう一言だけ応えて、俺は執務室を後にする。
交渉決裂、といったところだ。
これからもこの少年の下で仕事は続けるが、またしばらくは気をつけなければならないわけだ。
数十分後、情報庁舎から近くの病院に向かっていた。
途中、こみ上げてくる怒りで情報庁舎のそこら中を穴だらけにしたい、と思っていたが、なんとか我慢する。
病院にたどり着き、肩を強張らせながら凛がいる病室へと向かうと、入り口の扉には門番が立っていた。
普段のタクティカルドローンの姿ではなく、生体ボディのシズカだ。
「どうだ、様子は」
腕を組みながらたたずむシズカに、俺は声をかける。
「まだぐっすり寝てるわ。とりあえず、後遺症とかはなさそうだって、先生が」
どうやら、しばらく彼女に付き添ってくれていたようだ。わざわざ生体ボディを引っ張り出してきてくれるとは、頭が下がる。
凛は研究センターで俺が無理やり起こしたのち、またすぐに気を失ってしまった。
精密検査の必要あり、ということで情報庁舎近くの総合病院に運ばれた彼女は、脳波検査を行い、今は此処で休んでいることになる。
「悪いな、シズカ。面倒をかけちまって」
「別にアンタが謝ることでもないでしょ。それに凛ちゃんの為だからいいの」
まだコンビを組んで日が浅いとはいえ、やはりこの女は頼りになる。普段背中を預けているだけあって、シズカだけは信頼していた。
「で? そんな顔をしてるってことは、またあのチビ室長のいいようにされたって感じ?」
彼女にはお見通しだったらしく、俺は不機嫌な表情のままうなずく。
「まぁ、私も思うことは腐るほどあるけど、今は彼女のケアのほうが優先よ。一番辛いのは、アンタでも私でもない、凛ちゃん自身なんだから」
「わかってるよ」
彼女にこうやって窘められるのもこれで何度目だろうか。
年齢的に俺のほうが年上ではあるが、修羅場をくぐってる場数が違う分、シズカには姉御肌な気質があった。
バツが悪くなり、俺はシズカの横を通り過ぎ、病室の扉を開ける。
すると、置くのベットで横たわっているはずの凛が、目を覚まして身体を起こしていた。
「凛!」
俺の声に驚いたように、凛がこちらを振り向く。
後ろにいたシズカも、俺の声に反応して後に続いて病室へとなだれ込む。
「凛、気がついたのね。よかった」
心配そうな声をシズカがかけると、凛は申し訳なさそうに笑っていた。
「なんか、すいません。私の所為で大事になっちゃってるみたいで……」
えへへ、と頭を掻く凛に対し、シズカは肩に手を置きやさしく語る。
「アンタが悪いことなんて何もないよ。全部こっちが至らなかっただけなんだ。ホント、ゴメンね」
「そんな、シズカさんも凱さんも何も悪くないじゃないですか」
肩に置かれた手をやさしくつかみ、凛は申し訳なさそうな表情を浮かべる。
今回のことは誰も悪くない、というのは正直に言うと、嘘だ。
鹿島室長はこうなることを予見できていただろうし、事前に何かしらの対策は取れたはずだ。
だが俺だって、彼女にもっとしっかり警告できたはずだ。『狐』と遭遇するリスクは、他の誰よりも分かっているはずだった。
俺はパイプ椅子をベットの近くに運び、そこに腰掛ける。
どう言葉を取り繕っても、彼女に伝えなければならない事実は変わらない。俺は意を決して口を開いた。
「凛、やはり今回の件はこちらの落ち度だ。本当にすまなかった。ソレを踏まえた上で、お前に言わなければならないことがある」
一度言葉を切り、大きく息を吸い込んだ後に続ける。
「恐らく、お前がジェミニを作ることはほぼ無理だろう。だがこの人格保管室で、ジェミニが使えないのは致命的だ。俺が上に掛け合うから、今からでも他の部署に転属を……」
最後まで言おうとしたところで、凛が俺の言葉を手で制する。
「凱さん、シズカさん。私、やっぱりジェミニを作ります」
彼女の言葉に、俺もシズカも目を丸くした。
「だが、しかし」
もしまた『狐』にあってしまったら、もしまたアチラ側へ引きずりこまれてしまったら。
今度は本当に廃人になってしまうかもしれない。
だが、彼女の意思は固い。そう言わんばかりに、彼女の瞳には決意の炎が灯っていた。
「確かに、こないだは失敗しちゃいました。でも、ここで諦めたくないんです。もしかしたら命の危険にさらされちゃうかもしれないのも、勿論わかってます」
真正面から立ち向かおうとする凛の気迫に、歴戦の勇者であった俺達ですら少し気圧されそうになる。
「でも、ここで諦めるわけには行かないんです。私にはまだ、果たさなきゃいけないことがあるんです。それが達成できないなら私は悪魔にでも魂を売るつもりです」
何が彼女をそこまで突き動かすのかは、正直分からない。
だが、彼女の固い意志を動かすのは、俺達ではとても困難なことだと、この時俺は感じでいた。
「だから凱さん、シズカさん。お願いします。私に力を貸してください」
まだ配属されて1ヶ月も経っていない彼女がここまで言ってくるとは。
俺もシズカも、ただ黙って、頷くしか出来なかった。
今日の俺はいつもと違った。
馴染みの店であるクラブ『ディアボロ』。
人格保管室の面子のほとんどがオーナーとは顔なじみ。つまり常連の好みもしっかり把握しているってことだ。
だが、オーナーはいつものキンキンに冷やしたテキーラではなく、店で一番度数の高いスピリタスをショットで出してきた。
普通の客なら激怒モノだが、俺からしてみれば最上級のサービスに違いない。
カウンターの左から二番目は俺のお気に入りの席だ。だが今日の俺は左隅の席に座っている。
――そこに座るときは、誰かをもてなす時。
――そしてその時はいつもより酔いたいから、テキーラではなくスピリタス。
そういう俺なりの流儀を覚えているとは、本当に恐れ入る。
席についてから数えて三杯目のショットグラスが俺の目の前に鎮座する。
俺はグラスの中の液体を勢いよく飲み干す。
喉、食道、胃と通り抜けていく液体は、常人ならそれらを焼き尽くすような感覚を与える代物だ。
だが、過去の過剰同調の弊害で、俺の味覚や痛覚は消え失せている。
あるのはただ、かすかな高揚感と脳機能を麻痺させる感覚だけだった。
「珍しいこともあるもんだね」
ショットグラスをカウンターに打ち付けた瞬間、一人の男が俺に声をかけてきた。
こちらがホスト役ならば、こいつはさしずめクライアント役。
だがそいつは俺が一番、俺の隣に座らせたくないヤツだ。
「君がその席でスピリタスを飲む、ソレはつまり誰かに頼み事をするということだ。一体僕に何の頼み事かな?」
クソッタレ。本当にいけすかねぇ野郎だ。
今日の飲み相手、クロムは俺の隣に座ると、マティーニを注文する。
「聞いたよ、奥原クンの事。君がついていながらどうして『狐』を見過ごしたんだい?」
「アイツの同調率があそこまで高いのは予想できてなかった。研究センターの職員に聞けば、数値上では過去最高値だったそうだ」
目の前でステアされるジンとベルモットを眺めるクロムの表情も、かすかに曇る。
いつもニヤケ面を崩さない優男のコイツが、ここまで露骨に表情を露わにするとは。
どうやらコイツにも彼女の情報は開示されてなかったわけだ。あのチビタヌキめ。
「アイツが普通にジェミニを作ろうとすれば、次は命が危ない。だがアイツは諦めてないみたいだ」
「馬鹿げてるね、自殺行為もいいところだ」
吐き捨てるようにクロムは言った。
ヤツの言うことは最もだが、俺の頼みはさらに馬鹿げてると言われそうなことだ。
「自殺行為なのは俺も理解してる。だからお前に頼みたいんだ」
いつの間にかカウンターに置かれたマティーニのグラスを口に運ぼうとするクロムを横目に、俺は続ける。
「"ディープ・マイニング"を」
その単語を出した瞬間、クロムはマティーニに口をつけるのをやめた。
そしてやや乱暴にカウンターにグラスを置くと、右の拳で勢い良く殴りつけてきた。
正直、避けられないわけじゃなかったが、俺はあえて受けた。
「君は、いったい何処まで愚かなんだ」
明らかな怒りの声色。
そして、先ほどのニヤついた表情とは真逆の、鬼の如き憤怒の表れ。
「また僕に、愛理さんの時のような気持ちを味わえっていうのか!? あの時、ただ外野で見ていただけのクセに、何も出来なかったクセに、僕を責め立てた君が!」
椅子から崩れ落ちた俺の胸倉を、クロムがつかむ。
怒りの表情が俺の目の前まで近づく。そして鋭い眼光が、俺の瞳を貫くように見つめる。
「あの時だってそうだ! 君は自分勝手に僕や愛理さんを振り回し、滅茶苦茶にしたんだ。そして今、奥原クンのことも滅茶苦茶にしようとしてる。それがわかってるのか!」
店内に響き渡るクロムの怒号。
ヤツの言うことは間違ってない。
俺がヤツに頼み込んでいるんのは、博打以外の何者でもない。
もし失敗したら、クロムの言うように奥原凛の人生を滅茶苦茶にしてしまうだろう。
最悪の結末も考えられる。つまりは、死。
「無茶を言ってるのは分かってる。博打だってことも分かってる。だけどもうお前に頼む以外に選択肢がないんだ。俺はどうしても、凛にジェミニを授けてあげたいんだ」
「何のために、なんでそこまでする」
俺を掴む力が一層強まる。
「俺はもう、自分の間違いで誰かを不幸にしたくない。それだけだ」
そう言うとクロムの目から怒りが引き、悲しみの感情が溢れ出てきた。
ゆっくりと力が緩められ、俺は床に座り込む。
「一つだけ聞かせてくれ」
クロムは俺を見下ろしながら問いただす。
「君は本当に、愛理さんを愛していたのか」
「無論だ」
即答する。
その応えに一切の曇りはなかった。
「その言葉、もし偽りがあったら、今度こそ僕が君を殺す」
クロムはそういって、マティーニを一気に飲み干す。
「騒がせた。ここは僕が払うよ」
精算を終えたクロムは、ゆっくりと出口へと向かう。
「クロム、すまない」
俺が絞るように出した言葉は、クロムの耳に届いたのか、分からなかった。
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