ーThe Ghost Legionsー EP:7 仄暗い水の底

 今でもこの時期になると、まるで国全体が五年前のことを思い出しているような感覚を覚える。

 首都・東京を襲った巨大地震。

 国の首都が壊滅的打撃を被ったというのは、人間で言えば脳に致命傷を受けるようなものだ。その多大な出血によって、その当時の国の機能は完全に麻痺していた。

 内閣府要人の死、都市インフラの失陥、建造物の大量破壊。そのすべてが大きすぎた。

 だが人的にも国家的にも大きな傷跡を残したこの未曾有の大災害から、私達の国は何とか立ち上がらなければならなかった。

 そんな時、救世主とも言える技術が、私達に手を差し伸べた。

 それが、ヘカトンケイル・コーポレーションが主導で開発していた、ジェミニ・システムである。

 元は宇宙空間などの過酷な環境で、巨大重機をオペレーションするために生み出された技術であったが、その革新的な技術は物量と人的リスクの課題を両方ともクリアし、復興作業に集中投入された。

 結果として、倒壊したビル群は元通り以上の再生を遂げ、インフラ整備も凄まじいスピードで進んでいった。

 今私達がSUVを走らせているこの高速道路も、震災後に新たに建設されたものだ。

 いくらクアッドコプターやイオンクラフト技術によって、空飛ぶ車が実用化されたとはいえ、いまでもこういうオールドな自動車を乗り回す人間は少なくない。

 運転は凱さんが行っている。この車は彼のお気に入りらしく、私が運転席に乗り込もうとしたら、凄い剣幕で止められてしまった

 やむなく助手席に座った私は、落ち着かない気分を紛らわすため、高速道路からの景色を眺めるしか出来なかった。

 たった五年の歳月で、東京のいたるところに雲を突かんばかりの超高層ビルが乱立するようになった。

 その中でも一際目立つ建造物は、現在建造中でありながら雲どころか宇宙空間にまで到達している。

 巨大軌道エレベータ「バビロン」。

 復興した日本が同盟国と共に宇宙開発を進めるため、急ピッチで建造が進められている巨大建造物だ。

 その頂上といえる成層圏の低軌道ステーションが完成すれば、月資源を輸送するための定期便の運行が可能となる。

 この軌道エレベータの建造には、先日凱さんが倒した双脚建機の一つ、「阿修羅」も使われている。

 「阿修羅」のようなジェミニ制御の双脚建機を使えば、1人のオペレーターが複数の大型クレーンを超広範囲で運用するような離れ業も可能になる。また人的コストも労災リスクも最小限に抑えることが出来る。

 最近では、ジェミニにラーニングさせる深層記憶をあえて制限し、自発的に思考する能力をオミットした廉価版を作るユーザーも増えているらしい。阿修羅のような複数のジェミニを同時に使用するユーザーにはもってこいだろう。

 まぁ、結果としてその廉価版ジェミニを使った犯罪も増えているらしいが。

 いまや国民の7割以上がジェミニを保有している。

 もはやジェミニを持たない人間は、時代に取り残された遺物といって大差なかった。

 先ほどから人事のように考えているが、当の私も今日初めて、自分のジェミニを作ることになるのだ。

 といってもジェミニを作るのに最短で1週間ほど掛かるのだが。

 

「そう気負うな、そんなに難しいことはない」


 肩に力が入っていた私を見かねたのか、タバコを口に咥えながら凱さんは語りかけてくる。


「深層記憶の抽出には確かにコツがいるが、慣れちまえばあっという間だ。それに、ちゃんと持って来たんだろ?」


「あ、はい。ちゃんと親から貰ってきました」


 凱さんから今日のジェミニ作成に関して、事前に用意するべきものを教えられていた。

 さすがに手元に無かったので、実家の母から郵送してもらったが、一体何に使うのだろうか。

 

「だいたい、アンタも鹿島室長に見込まれてウチに来たんだ。何かしらの素質があることは確かだろう。存外、記録抽出の最短記録更新なんてこともあるかもな」


「だと、いいんですが……」


 タバコの煙を窓の外へ吐き出し、凱さんはくつくつと笑う。なにが可笑しいのかはよくわからないが、彼なりに励ましてくれているのかも知れない。

 そうこうしているうちに、私達を乗せた車は首都脳科学総合研究センターに近づいていた。

 

 

 

 研究センターに到着し、受付を済ませた私達は、目的地である情報抽出セクションへと向かう。

 この施設は元々は国主導で建てられたものだが、建造や運営には数多くの大手企業がバックアップしている。

 その中でもこの情報抽出セクションには、ヘカトンケイル・コーポレーションの技術者が大量に出向している。

 そのため、通路を歩く研究員の首には職員IDと共に、ヘカトンケイルの社員証が下がっている。ジェミニ技術の最新技術はヘカトンケイルが独占しているので、当然といえば当然だが。

 セクションの中で一番大きな部屋、「記憶収集室」に辿りつくと、丸眼鏡をかけた初老の男性が出迎えてくれた。

 

「ようこそ、奥原様。本日はよろしくお願いいたします」


 白衣を着た研究者でありながら、どこか執事のような雰囲気をかもし出す初老の男性が、右手を差し出し握手を求める。

 

「お、奥原です。こちらこそよろしくお願いいたします」


 焦りながら手を握り返すと、男性は柔らかなの笑みを浮かべる。

 

「申し遅れました。今回の担当になりました、赤見と申します」


 赤見と名乗る男性は手を離すと、部屋の中へと私達を誘う。

 

「では、事前にご用意をお願いしていたものをお預かりします」


 そう言われた私は、いそいそと鞄から一枚のデータディスクを取り出す。

 カードサイズの小さなデータディスクだが、その中身は私がこの世に生まれてから高校時代までの成長記録が入っている。

 丁度私が生まれる少し前ぐらいから、情報を3Dデータで録画する技術が普及しだしたため、私の成長記録は全て3Dデータで保管されている。VRでダイブすれば、さながら我が子を愛でる親の気持ちにもなれるかもしれない。


「私の出生から、高校卒業までの映像データでよかったんですよね?」


 何に使うのかさえ見当もつかない私は、恐る恐るディスクを渡す。

 

「結構です。これがあればとても助かります。このデータから作成された擬似記憶を貴方の脳に体験させることで、脳が懐かしさを感じ、それが深層記憶を呼び起こすための入り口が作られるのです。そこからあそこにある『DME(Deep・Mind・Extractor)』、すなわち『深層精神抽出装置』にてあなたの深層記憶を抽出します。深層記憶の量が多いほど質のよいジェミニが生まれますので、多少お時間は頂きますが」


 赤見さんは早口で説明しながら、部屋の置くに鎮座する装置を指差す。

 まるで手術台に巨大なディスプレイを無理やり付けたような仰々しい見た目の装置。丁度頭部が置かれるであろうところには、大型のヘッドギアが置かれている。

 

「では、こちらで調整を始めますので、奥原様は『DME』の上でおやすみになられてください」


 促されるまま、私は奇妙な鋼鉄の寝床に横たわる。ひんやりとした感覚が、服越しに伝わってくる。

 

「榑林様は外の控え室でお待ちください」


 外に出るように言われた凱さんだったが、その前にそそくさと私の耳元に近づいてくる。

 

「基本は楽にしてていい。だが『狐を被った自分』にだけは近づくな。」


 唐突に凱さんに言われたアドバイスに、私は困惑してしまった。


「どういう意味ですか?」


「言った通りの意味だ。まぁ、頑張れ」


 そう言い残し、凱さんは部屋を後にする。

 そして入れ替わるように、白衣を着た研究者がぞろぞろと現れ、私の手足に電極を付けたり、頭にヘッドギアを被せてくる。

 されるがまま全身に器具を付けられた私を残し、研究者達がまた外に出て行くのが分かる。

 

「では、始めます。睡眠を促す電波が流れますので、そのまま眠ってください」


 部屋全体に赤見さんの声が響くと、確かにどこからとも無く眠気が襲ってくる。

 昨晩、緊張で眠れなかったのもあってか、うつろになっていく私の思考は瞬く間に深い眠りへと落ちていった。




「きょうはね〜、おうたをい〜っぱいうたったんだよ〜」


 目の前の少女が、大きな声をあげ、手を振りながら話かけてくる。

 ピンク色のワンピースに黒いお下げ髪。そして太陽のようなまぶしい笑顔。


「そうなのね〜、楽しかった?」


 少女に対し、私はやさしく問いかける。

 いや、私ではない。

 確かに視線は私のものだが、言葉は私の意志で発したものではない。

 それにまず、声が私のものではない。

 だがこの声にはとても聞き覚えがある。

 落ち着いた、とてもやさしい声。

 まず間違いない、これは母の声だ。

 どういうことかよくわからない。

 母の声なのは間違いないが、幾分か声が若い。

 それに私自身の意識はあるのに、身体が勝手に動き、母の声で言葉を発している。

 恐らくこれは、母の見ていた記憶、過去の記憶だ。

 とすれば、この目の前の少女は誰か。

 それは考えなくても分かってた。


「うん! とってもたのしかった〜!」


 身体を使って嬉しさを表現する少女。

 間違いない。これは私だ。

 幼稚園で母の迎えを全力で喜んでいた、とても幼い私。

 うれしいことがあると母に思いっきり話し、それを母は優しい笑顔で聴いてくれる。

 とてもとても、懐かしい記憶。

 見る視点は違えど、私の脳の奥底で、私が見ていた情景がぼんやりと浮かぶのが分かる。

 だがしかし、母と手を繋ぎ家路に着く私の姿が、次の瞬間にはふと消えている。

 突然の暗闇の中に取り残された私は、押さえようの無い不安に襲われる。

 

―――暗い。

―――怖い。


 暗闇の中で必死に光を見つけようと手を伸ばす。

 足元もおぼつかない状態で進み続けると、目の前にぼんやりとした人影が現れた。

 最初からそこにいたのか、それとも突然現れたのか。

 

「あなた、だあれ?」


 人影は少女だった。

 着ている服は、先ほどの幼い私と一緒。

 ということは、これはまた何かの記憶だろうか。

 だが、こんな暗闇なんて知らない。

 そして何より、目の前の少女の顔が見えない。

 まるで黒いもやが掛かったかのように、顔を覆い隠している。


「……私は」


 何とか声を絞り出そうとするが、まるで重しを背負わされたかのように全身が重たい。

 まるで空気が液体に変わって、全身に纏わりついているかのようだ。


「……私は、凛。奥原凛」


 何とか搾り出した声が虚空に響く。

 私が名乗ると、黒いもやを帯びた少女は首をかしげる。


「あなた、りん? ほんとに、りん?」


 少女の問いの意味がわからない。まるで脳さえもが奇妙なもやにつつまれているかのように重い。


「あなたは、なんで"りん"なの? あなたは、いつから"りん"なの?」


 少女の問いかけがとても不快なものに感じる。幼少期の自分の声ですら、吐き気を覚えてしまう。


「あなたが"りん"だって、だれもわからないのに、なんであなたは"りん"なの?」


―――うるさい。

―――もう黙って。

―――私が誰かなんて、貴方には関係ない。

―――私は奥原凛。誰になんていわれようと、それは変わらないはずだ。


 そう大声で叫びたかったのに、もやが喉を締め付ける。

 何もしゃべれない、何もできない。

 

「ふふ、へんなの」


 少女はそういうと、どこから取り出したか分からない狐のお面を被り、どこかへ走り去ってしまう。


―――待って!!


 声に出来ない叫びを上げ、少女を追いかけようとしたその時、先ほどまであった足場がなくなり、私の身体が闇の中へ急速に吸い込まれていく。

 落下の恐怖が全身を襲う。

 虚空の奥でもがき続けるが、落下を止めることはできない。


―――嫌だ、怖い、助けて。


 恐怖で発狂しそうになった瞬間、暗闇が赤く照らされる。

 やっと光を見つけた。

 それは私の身体を飲み込むほどの勢いの、爆炎だった。






「おい! しっかりしろ!!」


 朦朧としながら覚醒した私の脳内に、覚えのある声が響く。

 身体をゆすられた後、無理やりヘッドギアが外される。

 眼球に鋭い光が差し込み、ゆっくりと視界が回復していく。

 気付けば私から剥ぎ取ったヘッドギアを持った凱さんが、焦燥を隠せないような顔でこちらを見ていた。


「おい、大丈夫か!」


 再度彼は私の身体を揺さぶる。

 徐々に思考がはっきりしだし、今の私の状態を思い出させる。

 

「あの、私、何が……」

 

 そうだ、本来なら深層記憶の抽出作業の最中だ。

 一体どれぐらいの時間が経ったのだろう。それすらも分からない。


「抽出作業中の事故だ。どうやら、「狐」を追っかけちまったみたいだな」


「……狐?」


 何のことかは、徐々に察しがついた。

 あの黒いもやが掛かった少女のことを言っているんだろう。最後に狐のお面を被っていたのが脳裏にこびり付いてる。


「もっとはっきり警告すべきだった。すまない」


 凱さんは申し訳なさそうにこちらを見てくる。


「『狐』は深層記憶の中で、稀に現れるんだ。アレが何なのか、ヘカトンケイルですら分かってないが、ヤツを追っかけちまうと思考迷路に誘い込まれ、最悪廃人になっちまうこともある」


 つまり私はその『狐』を追いかけてしまい、危うく死に掛けたという訳だ。


「『狐』が現れるのはごく稀だ。それなのに、こんなに早く現れるとは……」


 しっかりと伝えなかった責任を感じているのか、凱さんは頭を抱えていた。

 と、部屋の中に赤見さんたちが助手を引き連れて退去してくる。


「奥原様!! 大丈夫ですか!!」


 先ほどの落ち着きは完全に失われ、赤見さんの顔には玉のような汗がにじみ出ている。

 

「はい、なんとか大丈夫です」


 私は何とか応えるが、皆の顔色は安堵というよりは、悲痛といったほうがいいだろう。


「なんと、なんと申し上げたらいいか……」


 赤見さんは言葉を選んでいるが、どうにも考えあぐねているようだ。

 それを見かねたのか、凱さんが何かを決意したかのように、口を開いた。


「……凛。お前は、多分ジェミニを、作れない」

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