平川静香 file11
何もない広大な空間の中に、私は漂っていた。
いつもの鋼鉄の肉体でもなく、静香の家のホストサーバーでもない。
現実世界から隔離されたネット海のどこか。本当に何もない電脳空間の虚空。
まるでネットの海をゆっくりと泳ぐかのように。
――ああ、わたしはこうやって漂いながら、ゆっくり消えていくんだろうか。
静香が交通事故に遭い、命を落としてしまったというのを知ったのは、つい先ほどだった。
しかも私に届いた報せは、電子ダイアログでただ一文。
『母体とのリンクが確立できなくなりました』
ただ、それだけだった。
母体とはつまり静香そのものだ。
電脳化した彼女がリンクできないということは、脳殻が破壊されたことに他ならない。
そこから彼女が自動運転化されていないトラックに轢かれ、脳挫傷で即死したことの情報へはすぐ辿り着いた。
また司法解剖の結果、トラックに轢かれる直前には過剰同調を起こしていたことも。
――私が、静香を殺したようなものだ。
暗いネットの海に声にならない怨嗟の声が響いた。
もっと早くセラピーを受けていれば。
もっとちゃんと静香に注意していれば
いや、そもそもあの薬に手を出さなければ。
どんなことを思っても、現実に「IF」は存在しない。それは戦場と変わらない。
――このまま、私も消えていくんだ。
母体とのリンクが確立できず、同期が出来なくなったジェミニは、記憶データが徐々に劣化して行き、人格が形成できなくなる。
つまりはゆっくりと消えていくということだ。
そもそもジェミニに死という概念は存在しない。いくら忠実に母体の人格を再現したといっても、所詮はただのデータの集合体だ。 ソレは『魂』と定義するには、あまりに不安定な存在なのだ
――あの世で、静香に謝ることも、できないのかぁ。
もう考えることを辞め、徐々に消えていくことを受け入れようとしていたとき、私の目の前に電子ダイアログが浮かびあがった。
『一件の新着メッセージがあります』
私は怪訝な面持ちでダイアログをタップする。
メッセージの送り主は、静香だった。
件名はなく、本文はただ一文だけだった。
『シズカ、お誕生日、おめでとう!』
その一文を見た瞬間に、私の思考は停止しかけた。
――ジェミニに誕生日?
――一体、どういうことだ?
――彼女自身の誕生日は半年前なはずだが?
色々考えた末に、日付を見て私はハッとした。
そう、今日は私が、ジェミニとして始めて静香と対面した日だった。
それを彼女は私の誕生日にしてくれたということだ。
彼女の想いに気付き、気持ちの整理がつかなくなっていたが、ふとメッセージに添付ファイルがあることに気付いた。
恐る恐る添付ファイルを開封する。
すると初期設定であるダイバースーツのような私の衣装データが、瞬く間に変わっていく。
気付けば私は、一着のワンピースを身に着けていた。
そう、これは静香のお気に入りのワンピースで、私がずっと着たかったもの。
白い袖の先には、アノテーションでこう記されていた。
『この服、すごい素敵って言ってくれたよね。絶対シズカにも似合うと思って買っちゃいました!』
気付けば、私の瞳からは、一筋の涙が流れていた。
ジェミニでも、泣く事ができるんだ。
湧き上がってくる感情が悲しみであると分かった瞬間、私は涙が止まらなくなった。
静香を殺してしまったこと、そして静香からの想いもいっしょにこのまま消えてしまうこと。
それが耐えられなくなり、戦士だったはずの私は泣きじゃくるしかなかった。
「いやだよ・・・・・・」
初めてまともな言葉を発することができた。
「このまま静香の思いも、静香との思い出も全部消えちゃうなんて、そんなの嫌だよ・・・・・・」
ただ無力に泣きじゃくりながら、誰にも届かない懇願が電脳空間に漂う。
『本当に、消えたくないのかい?』
不意に、背後から声が聞こえた。
聞き覚えのない、男の声だった。
無力な少女は泣き止み、一転して戦士の顔になる。
「・・・・・・誰?」
振り向きざまに言い放つと、そこにはおどけた表情の若い男が立っていた。
特徴的なまでに整った顔立ちと、後ろで結い上げた白髪というよりは銀の長い髪。
彼はパッと見では男か女か判別できない容姿をしていた。
『そう警戒しなくてもいい。僕は別に君を消去したり、悪用したりするために来た人間じゃない』
彼はおどけた口調でいうが、どうにも信用できない。
高そうなスーツ姿のアバターをしているが、所作からでも只者ではないことが分かるからだ。
『知ってのとおり、君は母体を失い、このままだと徐々に消えいくのを待つしかない。それがジェミニの宿命だ』
彼は改めて現実を突きつけてくるが、煽っているようではなく、ただ説明しているといったような口調だ。
『だが、君は母体とはまったく違う人生を経験したことで、母体と正反対の人格を形成し始めていた。これは非常にレアなケースだ。しかも、君のタクティカルドローンや双脚戦車の操縦スキルは、数十年に一人の逸材と言ってもいい。このまま君がただ消えていくのは、非常に惜しいことだ』
男は流暢に語りながら私にゆっくり近づいてくる。
『僕達は君達のような特殊な進化や変化を経たジェミニのことを、『アブノーマル・ジェミニ』と呼んでいる。ちなみに僕もその一人らしい』
「貴方が、私と一緒?」
私の問いかけに対して、男は立ち止まると、キザっぽく指を鳴らす。
男の傍らに、見知らぬ男のアバターが形成される。そのアバターは彼とは対照的に、短く切った黒髪と顎鬚が特徴的な強面だった。
『僕は今、彼と同期をしている。僕は母体を失ったあと、肉親でもない彼と同期することが出来た『アブノーマル・ジェミニ』なのさ』
彼がもう一度指を鳴らすと、強面のアバターは虚空へと消えた。
赤の他人同士で同期する?
そんな話聞いたこと無かったし、記憶の齟齬の観点から不可能だと私は思った。
『僕と彼は、君達のような存在を時には保護したり、時には駆除したりする組織に属しているんだ。もし君が本当にこのまま消えていくのが嫌なら、僕達の組織で一緒に働かないかい? 幸い、僕達は君が消失しないように出来る装置を持っている』
彼は再び私に近づき、右手を差し出してくる。
突然のヘッドハンティングに私は、正直かなり疑っていた。
赤の他人と同期できるジェミニに、ジェミニを保護したり駆除したりする秘密組織。
すべてが胡散臭い、そう思いながらどこかそれにすがりたくなっていた。
静香との思い出を、静香が生きた証を残すことが出来るなら、なんだっていい。
「言っとくけど、ギャラは弾んで貰うわよ。こっちにはまだ、『彼女』が遣り残したことがあるんだから」
そう、まだ天の川保育園の借金は完済できていないのだ。
せめてそれが完済できるまでは、絶対に消えるわけには行かないのだ。
『勿論、傭兵時代以上の稼ぎを約束するよ』
男は相変わらず、得体の知れない笑みを崩さない。
どうにも苦手なタイプだと思いながら、契約成立とばかりに私は彼の手を握り返した。
『公安部人格保管室へようこそ。歓迎するよ、『ファントム3』』
――『ファントム』
どうやらそれが、これからの私の新しい呼び名らしい。
『ケース0107、ヒラハラ・シズカ、収容完了。』
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