平川静香 file07

 戦場から帰還し、ギリギリのところで『彼女』と同調できたあの日から、すでに一ヶ月が過ぎていた。

 一応彼女の言い付けを守って、戦争関連の話題やFPSゲームの話題からは遠ざかるようにしている。透過ディスプレイにもリアルタイム検閲フィルターを設定し、戦場での映像には処理が施されるようになった。

 言いだしっぺの『彼女』はというと、同調後にそそくさと戦場に戻っていってしまった。

 あと少しで借金を返せるとあって、彼女もだいぶ躍起になっているようだ。挙句、浮いたお金で旅行にでも行けばいいと勧めてきた。

 まぁ、確かに少しは羽を伸ばすのも悪くないかもしれない。

 もう何年も母と旅行なんていってないし、どうせなら温泉旅行にでも一緒に行くのも悪くない。

 ただ、それだと『彼女』が少し可哀想だなぁと思ってしまった。

 いくら作り物であっても、電子上の存在であっても、『彼女』は私自身でありながら一人の個人だ。

 そんな『彼女』が戦場で酷い目にあっているのに、私は何も出来ない。

 だから何か出来ないものか、日ごろの恩返しが出来ないものか。

 そうやって考えていると、ふと今日の日付を思い出す。

 今日は4月19日、つまり明日は『彼女』をジェミニとして迎えてから丸五年経った日ということだ。


――これは所謂、誕生日というやつではないか?

 

 まるで天啓が降りてきたような感覚だった。

 よし、明日は彼女の誕生日ということにして、何かサプライズでプレゼントを用意しよう。

 サプライズプレゼントは何がいいだろう。

 ネットワーク上の彼女には、何を送れば喜ぶのだろうか?

 そういえばちょっと前、『彼女』がショッピングサイトを眺めながら、自分のアバター用のドレスが欲しいと言っていたことを思い出した。普段はデフォルトのダイバースーツのようなものしかないので、やはりお洒落をしたいらしい。その時熱心に眺めてのは、私のお気に入りの白いワンピースによく似たアバターアイテムだった。

 善は急げだ。

 私はジェミニAI用のアバターアイテムを取り扱うショッピングサイトにアクセスし、目的の商品を見つける。

 値段自体は安いものではなかったが、もうすぐ借金も返済できるし、私自身の貯金もあるし、この際だから奮発してしまおう。

 白いワンピースのアバターアイテムをネット上のショッピングカートに入れ込み、矢継ぎ早に決済を確定させる。

 そしてショートメッセージにアイテムを添付し、明日の夕方に届くように設定する。

 これでよし、と思っていると、気付かないうちに天の川保育園の前まで来ていた。

 脳内で色々なタスクをこなしながら自転車を漕げるのも、マイクロマシニングによる電脳化の賜物だ。

 だが普通に考えてかなりあぶないことをしていたので、事故を起こさなかったにしても今後は気をつけようと思った。

 自転車を駐輪場に停め、いつもどおり園舎に向かう。

 すると園舎には先客がいた。昨日の仕事を片付けるために割りと早めに来たのに、いったい誰だろうか。

 近づいてみると、デスクトップ端末を操作している女性が一人。

 あの長い黒髪とキツめの風貌は間違いない。佐原さんだ。


「あ、佐原先生。おはようございます」


 嫌味のない唐突な挨拶に佐原さんは驚いていた。

 

「・・・・・・平川先生、おはようございます。ずいぶん早いんですね」


 こちらに向けていた視線をすぐに端末へと移す。どうやら彼女も何か仕事を行っているようだ。

 だが彼女はどうやら電脳化を行っていなかったようだ。こういった時代遅れなデスクトップ端末で作業しているのが何よりの証拠だった。


「昨日の仕事がまだ終わってなかったので、今から取り掛かろうと思いまして。佐原先生もですか?」


「・・・・・・私は徹夜です。貴方と違って優秀だから、新人でもいろいろな仕事を任せてもらえますので」


 佐原さんはあからさまな苛立ちを表に出しながら、力強く指でキーボードを叩いていた。

 ふと、佐原さんはこちらを向く。その顔にはまるで、いい事を思いついたと書いてあるようだ。

 

「平川先生、先輩だからこの程度の仕事なんて朝飯前ですよね? ついでに私の仕事も代わりにやってもらえません?」


 とても先輩にしていい態度とも思えないし、普通に考えて嫌がらせてしかなかったが、めずらしく上機嫌だった私は特に気に留めなかった。

 

「いいですよ。必要な情報がクラウドスペースにあるならこちらでやっときますね」


 そこから先のリアクションで楽しもうとしていたのか、佐原さんは拍子抜けといった表情をしていた。

 

「佐原先生もお疲れでしょうし、まだしばらく子供たちもこないから奥の会議室で休んでてください」


 どうやら完全に予想外の反応だったらしく、佐原さんは短く「ええ・・・・・・」とだけ返して、そそくさと事務室をあとにした。

 呆気にとられた後にしたあの苦虫を噛み潰したような表情は傑作だった。

 私は上機嫌でネットから保育園のクラウドスペースにアクセスする。

 そこには佐原さんが中途半端に手をつけた仕事が散乱している。

 それら全てが、電脳技術で行えば本当に朝飯前に終わってしまうような代物ばかりだった。


――こんな簡単な仕事に対して徹夜で格闘していたのか。


 電脳化技術自体がまだ普及しきっているわけではないが、電脳技術を使いこなすにはそれ相応の素養が必要となるのだ。

 私にとって電脳化とジェミニAIは努力によって得た成果の一つ。それが今、社会的カーストのトップだった女を、いとも簡単に乗り越えるために遺憾なく発揮されたのだ。

 私は凄まじい優越感に浸りながら、簡単すぎる仕事を消化していった。

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