平川静香 file06
私は自分自身を助けたかった。
自分自身を地獄から助けたかった。それだけだった。
『自分の気持ちに正直になってください。 ジェミニシステムが貴方の気持ちに応えてさしあげます』
ジェミニシステムが世に公表された時のキャッチフレーズの一つ。
自分を救いたいという想いから、私は自分の分身を作り上げた。
確かに『彼女』は、あの地獄のような世界から抜け出す手助けをしてくれた。
だが果たして『彼女』は、本当に私を救ってくれたと言えるのだろうか。
これから私を、あの悪魔から救ってくれるんだろうか。
最初に人を殺した時の感覚は、今でも覚えている。
よく戦場の兵士が、最初に引き金を引いた時の感触を覚えていると言う。
鉄の引き金の硬さ、銃の反動の大きさ、敵兵士から噴き出す、血潮の生臭さ。
だが私が始めて戦場で人を殺した時、その全てを味わっていない。
当然だ。
戦場に降り立つ際、私の体は生身ではない。
あらゆる環境に適合し、人間が持てない様な強力な銃火器を装備できる、鋼鉄製の体。
一つの兵器と一体化した私には触感、嗅覚はもちろん、強力な銃の反動すらも感じることは無いからだ。
そんな私が初めて人を殺したとき感じたのは、呆気なさだった。
引きこもってFPSゲームに興じていた時、敵を倒すたびに爽快感を覚えた。
そのまま、色々な覚悟を抱きながら戦場に出たにも関わらず、その爽快感すらも無かった。
一発の銃弾を発射しても私は何も感じないが、その一発の銃弾は一人の人間の命を奪うことが出来る。
誰かの父親を、誰かの夫を、誰かの息子を。
尊い命を奪っても、何も感じることが出来ない。私は敵を殺すたびに、自分の中で何も感じないことに違和感を感じ出ていた。
「シズカ、大丈夫?」
暗闇の中を飛ぶカーゴヘリの中で意気消沈している私に、同僚であるメイアが声をかけてくれた。
お互い、まだ戦闘用ドローンの中にインストールされたままだ。黒光りした凶悪な風貌だが、彼女からはどこからか慈愛の雰囲気を感じる。
「大丈夫よ。ありがとう、メイア」
肩に置かれた手を握り、彼女へ感謝の言葉を返す。
お互い女性で主人格が軍人でないという接点から、メイアと私は比較的仲がよかった。
初めて彼女と会ったのは、M.E.D社のリラクゼーション用チャットルームだった。
彼女は、私よりもう少し年上の、色気のある女性だった。聞けば彼女の主人格は、日本人の男性と結婚し北海道で主婦をしているそうだ。彼女がM.E.D社へ入社したのは、日々の家事から来るストレスを発散するためだったそうだ。
「メイアこそ、大丈夫? あなたも今回のことは聞かされていないみたいだったけど」
どうやら今回の作戦の真の目的を知っていたのは、シャーティだけのようだった。
彼は長いことM.E.D社に在籍しており、私達のような民兵部隊のお目付け役も兼ねていた。
「ええ、何も聞いてなかった。ずいぶんとナメたマネをしてくれたものだわ」
メイアは戦闘用ドローンのカメラアイを、シャーティの機体へと向ける。彼は既にドローン用ラックに鎮座し、その人格はネットを介して本社のサーバーへと移していた。
「今回みたいなことが何度もあったら、主人格のほうにもかなりのストレスがあるでしょうね」
メイアはうんざりするように言った。
戦闘行為によるストレスは、同調率の抑制や心理セラピーの受診で緩和していたが、今回のようなことが頻発したら、それも追いつかない。
前回の少年兵の件も、主人格へのストレスが高くなる懸念があったため、心理セラピストが捕まるまでは同調処理を延期している。
このままでは不味い。早く心理セラピストを捕まえないと。
考えをめぐらせているうちに、私はある一つの疑問にたどり着いていた。
「メイアはこの業界、私より長いんだよね。何か続ける秘訣とかってあるの?」
そう、メイアはジェミニシステムの導入初期、この副業が莫大な稼ぎに繋がると踏んで、いち早く参入していた。夫にはこのことを秘密にしているらしく、へそくりも既にかなりの額になっているらしい。
彼女は腰に手を当て、人差し指をあごに添えるポーズをとる。筋骨隆々の大男を彷彿とさせるドローンの体で女性的なポーズをとるのは、とても滑稽に見えた。
「そうねぇ。あんまり人に教えたくないんだけど、シズカは特別よ?」
彼女はもったいぶるかのように、あごに添えていた人差し指を口の前に動かす。所謂口外禁止のポーズだ。
「これ、認可の下りてない電子薬なんだけど、ウチの会社が秘密裏に開発したの。同調率を下げてストレス因子の高い記憶を抑制しながら、同調ズレのストレスもほとんどないっていう優れものよ」
そういいながら、彼女は小さなデータチップを取り出す。今の時代、この切手サイズの小さなチップの中にペタバイト級のデータが用意に格納できるものが、比較的安価で手に入れることが出来る。
手渡されたチップをやさしく手にとり、いぶかしげに眺める。
「でも、ごくまれに意識の深層の記憶が掘り返されてしまうらしいから、出来るだけ主人格に戦争関連の映像とかは避けるように伝えといてね」
メイアが伝えてくれた注意事項を意識の中で何度も反芻する。
「ありがとう、メイア。悪いけど、早速試させてもらうわね」
そういって、うなじの部分のソケットにチップを挿入する。
インストーラーが起動し、膨大な量のデータが流れ込んでくるのを感じる。そのデータの奔流が、私の中の封じ込めたい記憶を次々と飲み込んでいく。自爆しようとしていた少年兵達、同僚に虐殺されていく罪もない人々、そんな凄惨な記憶が濁流に流されていった。
あっという間の出来事に呆気に取られていたが、とあるポップアップを見て我に返る。
【インストール完了。パッチ適応済み】
どうやら電子薬の適用が完了したようだ。
試しにストレスチェッカーを起動。先ほどまでオレンジゾーンからレッドゾーンの間だった数値が、嘘みたいに下がっていた。
今ではグリーン値、所謂日常生活でのストレスと大差ないレベルだ。
「驚いたわ。こんなものがあるなら、早く教えてくれればいいのに」
私が恨み節をメイアへ向けると、彼女は肩をすくめるポーズをとる。
「さっきも言ったけど、副作用の観点から認可が降りてないの。あなたも使うときは気をつけてね」
メイアは心配そうに言うが、既に主人格のほうはFPSゲームを引退してるし、ニュースを見ないように警告すれば、特に問題もないだろう。
「でもメイアは、これまで特に問題なく日常生活を送れてるんでしょ? じゃあ問題ないわ」
そう言うとメイアは首を振りながら、自分のドローン用ラックに戻っていく。
「まぁ大丈夫だとは思うけど、何かあったら言ってね。相談に乗るから」
「うん、ありがとう」
手を振りながらラックに座るメイアに、手を振り返す。が、次の瞬間にはメイアの鋼鉄の肉体は、糸が切れた人形のようにだらんとラックに寄りかかる。シャーティと同じように、ネットを通じて戻っていったようだ。
とりあえず問題が解決しそうだ。
そう安堵しながら、私も自分の意識をドローンから離脱させ、ネットの海へとダイブする。
――行く先は勿論、しばらく会っていない私自身だ。
―――――――――
『というわけだから、しばらくニュースを見るのは控えたほうがいいわね。透過ディスプレイにもフィルターをかけておいたほうが良いかも』
何日も戻らなかったくせに、『彼女』は唐突に舞い戻ると共に矢継ぎ早に説明を始めた。
聞けば作戦中に色々と酷い目にあったようだ。同調したら私に酷い影響を及ぼしかねないからと、色々苦労をしていたらしい。
「そのぐらいなら簡単だけど、貴方は大丈夫なの?」
彼女が戦場でそこまで追い詰められているなら、もうこんなことを『彼女』に強いるのはやめたほうがいいのかもしれない。
そんなこちらの気も知らないかのように、『彼女』の表情はとても明るかった。
『大丈夫、何も心配ないわ。もうすぐ借金も完済できそうなんだから、この調子で頑張るわ』
小さなガッツポーズをとりながら息巻いているところを見ると、どうやら大丈夫そうだ。
確かにあともうちょっとで、初枝叔母さんが背負ってしまった借金は全て完済できる。過酷な戦場で『彼女』に頑張ってもらってるのは、恩義のある初枝叔母さんへの恩返しと、思い出の場所である天の川保育園を守るためだ。
『そういう貴方こそ、本当に大丈夫なの? アイツと一緒に働くなんて』
心配するつもりが、逆に『彼女』に心配されていた。同調処理の際に、佐原さんとのやり取りの記憶も同調されてしまったようだ。
「うん、ホントはちょっと不安だけど、お金さえあげてれば彼女は何もしてこないし、額も大したことないからね。そう考えたらなんか可笑しいと思っちゃって」
そうやって笑うと、『彼女』は呆れ顔でつぶやく。
『その彼女にあげてるの、私が稼いだお金じゃない。付け上がらせる一方だから、私が物理的にシメたら早いと思うんだけどね』
彼女は物騒なことをつぶやく。半分本気で言ってそうで怖い。
「できるだけおばさんに迷惑はかけたくないわ。だから貴方もおとなしくしておいて」
今にもドローンを連れてきて暴れそうな『彼女』をいさめながら、透過ディスプレイを外し、寝床に着く。
「とりあえずあと少しだから、それまで頑張ってね。じゃあ、おやすみ」
『ええ、おやすみ』
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