平川静香 file03
――人生とは何か。
私は哲学者じゃないから、人生とはこういうものだと、胸を張って断言することなんて出来はしない。
でも大した学のない私ですら考えるのだから、人間誰しも一度は考える事なのではないだろうか。
そもそも、私の人生は、胸を張って人に自慢できるようなものだろうか?
あまり思い出したくない記憶の数々が、私の精神の奥底で蠢く。
もちろん悪い思い出ばかりというわけじゃない。甘酸っぱい青春の思い出もあったりする。
最近は精神調子がよいのだから、今は気がめいることを考えるのはよそう。
(いけない、遅刻しちゃう。急がなきゃ!)
自転車を漕ぎながら通勤途中だった私は、気持ちをリセットするかのように、立ち漕ぎに切り替える。
科学文明がもたらした技術の恩恵は、ジェミニシステムだけではない。
今の世の中、ガソリン駆動の自動車はその半分以上が、自動運転のクアッドコプターに置き換わっていた。お陰で交通渋滞や交通事故は目に見えて減少したが、また別の問題として自堕落な人間が増加傾向にあるというのだ。
そこで政府はジェミニシステムの使用者に対し、一日に一定のカロリーを消化するように喚起を促している。
一日の消費カロリーはウェアラブルデバイス上で管理され、何日も目標に達していなければ健康診断を受けるのを奨励されるようになっている。
そんなわけで私は通勤の際、自転車を使用している。これのお陰で、運動嫌いの私でも健康的な生活を送れている。
通勤路には車どおりの少ない道を使っている。満開の桜が咲き誇っている小さな公園を抜ければ、勤め先の保育園はすぐそこだ。
桜並木の横を進む私の体を、春の陽気がやわらかく撫でる。ひらひらと舞い散る桜の花びらが、まるで宝石のかけらのように輝く。
この公園の桜並木は子供のころから大好きだった。父に肩車されながら、いつか桜の木に手が届くぐらい大きくなったいいなぁと、よく思っていた。
あっという間に公園を抜け、私の勤め先である「天の川保育園」に到着した。
「ひらかわせんせー! おはよー!」
「わー、せんせーきょうピンクだー!」
「せんせー、おりがみしよー」
自転車を駐輪場に停めると、子供たちが一斉にこちらに集まってきた。
底抜けの笑顔を向けてくるカオリちゃん。
ごっこあそびが大好きなタクミくん。
ちょっと眠そうにしているけど、折り紙が得意なマナちゃん。
みんなの満面の笑顔に迎えられ、仕事の始まりとしては最高の気分になった。
「みんな、おはよう。今日は何してあそぼっか」
こころからの笑顔で応えると、子供達の声がさらにヒートアップする。
「おうたうたうー! あたらしいおうたー!」
「えー! おまわりさんごっこしよーよー!」
「おりがみしたいなー」
子供達は体全体を使ってアピールしてくる。といっても、マナちゃんは控えめだけど。
「じゃあ、順番にあそぼーね」
どうやら、早くも今日が慌しい一日になることが確定しそうだ。
無邪気な子供達の相手をしていると、園舎の中から妙齢の女性が現れる。この保育園の園長である倉田初枝、私の叔母でもある。
「おはよう、静香ちゃん」
「叔母さ・・・・・・いえ、園長先生、おはようございます」
柔和な表情の初枝叔母さんと挨拶を交わす。
「今日も元気で何よりだわ」
「園長先生も、お変わりないようで何よりです」
初枝叔母さんとは子供の頃からよく面倒を見てもらっていた。
この園に就職したのも身内が経営しているからという理由だけじゃなく、叔母さんが子供が楽しく過ごせる保育園にしたいという考えに共感したからだ。
「高校生の頃はふさぎこんでたから心配だったけど、元気になってくれてホントによかったわ」
初枝叔母さんはうれしそうに語るが、私としては心中穏やかではなかった。
恐らく、私が不登校にあっていた時代の話をしているのだが、個人的には触れられたくない過去だ。
ただ初枝叔母さんも悪気があるわけではない。
「すいません、あの時は色々とご迷惑をおかけしました」
「いいえ、元気になってくれさえすればいいのよ」
叔母さんのフォローがどうにも痛々しい。そんなやり取りを子供達がきょとんとしながら見ている。
「ねーねー、なんのおはなししてるのー」
子供達が不思議そうに問いかけてくる。私は精一杯の作り笑いを浮かべる。
「うーん、ちょっとむずかしいおはなしかなー」
どう子供達に話すか迷っていると、園舎から長い黒髪を揺らしながら近づいてくる人影が見えた。
「園長先生、平川先生、おはようございます」
近づいてきたのは、最上理恵先生だった。彼女は保育園の経理も担当してる、とても優秀な方だ。
「すいません、ちょっとよろしいですか?」
最上先生が申し訳なさそうに話を切り出そうとしている。
初枝叔母さんと顔を見合わせるが、肯定の意で首を縦に振った。
最上先生は右腕の腕時計型デバイスを操作し、ホロディスプレイを出力する。
ホロディスプレイ上には、銀行口座のデータが表示されていた。
「うちの園の口座に、匿名で物凄い金額の振込みがあったんです。銀行に問い合わせてみても分からないって言われちゃって」
ホロディスプレイに表示された振込み額を見ると、百万円以上の振込みが複数回されていることが記載されていた。
それを見て、初枝叔母さんも何かを思い出したかのような顔をしていた。
「そういえば私のところにも変なお手紙が届いてたわ。
なんか「少ないですが、借金返済にお使いください」って書いてあったの」
最上先生も初枝叔母さんも不思議そうな顔をしている。
振込みについても、手紙についても心当たりがあったのだが、私は精一杯不思議そうな表情を取り繕った。
実のところ、その両方ともが私が行ったことだったからだ。
この「天の川保育園」は初枝叔母さんの夫である、倉田幸雄さんが創設者であった。
幸雄さんに病気で先立たれた現在、園の経営は妻の初枝叔母さんが行っている。
だが初枝叔母さんが2年前に詐欺被害に遭い、多額の借金を背負わされてしまったことで、園の経営は一気に傾いてしまった。
このままではこの保育園はなくなってしまう。子供への愛情に溢れたこの保育園が、悪人達の手によって潰されてしまう。
それがどうしても耐えられなかった私は、とある行動にでた。
借金を一気に完済させるために、莫大な資金を調達できる方法。
それがジェミニシステムを使った、危険な戦場での傭兵家業だった。
今でこそ保育士として、こうやってまともに働くことができているが、高校時代に私は酷いいじめを受けていた。
高校の女子グループのリーダーに目をつけられて以降、わたしの高校生活はどん底に叩き落とされた。
トイレの中に閉じ込められて汚水を被らされたり、靴や制服を切り刻まれたり、金銭を集られたり。
あまりの所業に耐えられなくなった私は、一度は自殺も考えた。しかし、校舎の屋上から飛び降りようとした時、下の景色を見て足がすくんでしまったのだ。
その後、私は不登校になり、自室に引きこもるようになった。その後も自殺衝動はくすぶり、自傷行為などもするようになっていた。
そんな時、私の心のよりどころになっていたのが、ネット対戦が可能なFPSゲームであった。
攻撃をかわしながら敵を撃ち殺すゲームに寝食を忘れて熱中し、常に腕を磨きつづけていた。
学校の勉強とか、友達とかは、すでにどうでもよくなっていた。
その時はただ、グングンと上がっていく自分のランクと、共に戦うネットの戦友だけが、心のよりどころとなっていた。
気付けば世界ランクまで手が届いていた私にとって、ゲームの中の自分が、まるで本物の自分のような錯覚を覚えていた。
そんな時に目についたのが、ジェミニシステムの広告だった。
――ジェミニシステムは、あなたの可能性の進化を促します。
――ジェミニシステムで、文字通りのもう一人の自分を手に入れてください。
――ジェミニシステムで、あなたは生まれ変わることが出来ます。
広告を見た私は半信半疑だったが、そこで何かが変わることをほのかに期待していた。
母に懇願し、とある条件を約束することで、私は高額なジェミニシステムの施術代を母に支払ってもらった。
通信制の高校でもいいので、高卒認定資格を取得し、大学に進学する。それが、母が提示した条件だった。
そうして私は、私自身の分身である、もう一人の『平川静香』を手に入れたのだ。
そこからというもの、本来の自分、つまり『私』は通信制の高校に通い、無事高卒認定資格を取得できた。
その一方で、もう一人の自分、つまり『彼女』はFPSゲームを続けていた。
『彼女』という存在がゲームの中で活躍し続けることで、私のアイデンティティを確立しながら、人並みの生活を送れるようになっていたのだ。
その後『私』は短大に進学し、保育士の資格を取得。かねてからの夢であった子供と接する仕事につけるようになった。
一方『彼女』は世界レベルの大会で優勝し、その界隈で私の存在を知らない人間はほとんどいないようになっていた。
二束のわらじの人生、その人生にこれ以上ないほど満足していた私は、ジェミニシステムの素晴らしさに心から感謝していた。
だが、私の人生をさらに変えたのは、その後だった。
母の紹介で就職させてもらった、叔母が経営する保育園。
そこが詐欺被害による借金地獄で、閉園の危機にさらされている。
私は行動にでた。
まずネット上でFPSゲームを完全に引退することを決めた。
その後、紛争地帯に傭兵を派遣する民間軍事企業にて、『彼女』を一人前の兵士へ成長されることに成功した。
戦場で多くの敵を撃ち殺せば、それだけ多くの金が手に入る。
そう考えながら、『彼女』は戦場で敵の兵士を殺し、それによって得た報酬を初枝おばさんの借金返済にあてるよう考えたのだ。
当初人の命を奪うことに、激しい抵抗を覚えていたが、気付けば『彼女』はただ任務を遂行し続ける戦闘マシーンへと変わり果てていた。
――大好きな子供とふれあいながら、緩やかな生活を送る『私』。
――自身の才能を遺憾なく発揮し、殺戮を続ける『彼女』。
奇妙な表と裏の存在の不思議な均衡によって、私の今の生活は守られていたのだった。
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