平川静香 file02
――恐らく、ここには硝煙や砂埃、血や肉が焦げた匂いが充満していたことだろう。
――恐らく、ここは凶悪なまでの直射日光が、体力を奪っていたことだろう。
――だが、今の私は匂いも感じなければ体温も存在しない。
――たとえ此処がこの世の地獄であったとしても。
タジキスタンの日本人大使館に車爆弾が突入し、日本人大使を含める16人が死亡したテロ事件が起きたのが、およそ一ヶ月前。
大使館爆破事件の主犯を表明した「DDF(ドゥシャンベ自衛軍)」は、タジキスタン政府に拘束されている宗教的指導者、カハル・マリュスコフの釈放を要求。
要求が認められない場合、現地住民に対する無差別攻撃を行うと表明した。
国連は多国籍軍を派遣するが、現地民を盾にゲリラ行為を行うDDFによって、想定外の被害を被っていた。
業を煮やした多国籍軍は、DDF殲滅作戦を民間軍事企業に委託することを決定した。
その民間軍事企業というのが、私の雇い主である「ミストラル・エレクトリック・ディフェンス(M.E.D)」である。
つまり私は今、多国籍軍から委託された作戦に従事していることになる。
町外れの礼拝堂がテロ組織の拠点になっているという情報を元に、作戦部は特殊攻撃部隊の派遣を決定。
小隊規模のタクティカルドローンをもって、礼拝堂を制圧する作戦が立案された。
そして今まさに、朽ち果てた礼拝堂を包囲しているドローンの内の一体が、私、平川静香である。
――いや、私が「平川静香」である、というのは現密には間違いだろう。
まず私は人間としての肉体を持っていない。
本来の平川静香は非常に女性的な体系をしているが、今の私は女性的という言葉とは程遠い鋼鉄の肉体となっている。
この鋼鉄の肉体というのは比喩表現ではない。超剛性フレームを形状記憶合金の筋肉で覆い、カーボンファイバーの皮膚を纏わせたくろがねの四肢を持っている。
バッタのような逆間接の両足が特徴のこの「FE-033」は、自動車を超えた速度で走り、高い跳躍力でビルからビルを飛び移ることも可能だ。
狭い市街地での戦闘や、拠点制圧戦において猛威を振るっているこの機体は、その形状から戦場の兵士には「グラスホッパー」の愛称で親しまれている。
つまり私は作り物の肉体を持っているのだが、さらに言えば私自身も作り物といっていいだろう。
――ジェミニ・システム。
とある大企業が開発した、人工知能をベースにしたネットワーク上のクローンともいえる存在を作り上げる技術。
人間を更なる進化に導くとさえ謳われたこのシステムによって、私は平川静香のクローンとして生まれたのだ。
人間的な実年齢で言うなら、私はこの世に生まれてまだ5年も経っていない。
しかし「平川静香」本人から抽出された記憶を私は追体験しているため、幼少期の記憶という概念も持ち合わせている。
つまり私は作り物でありながら、「平川静香」という人物の「魂」を完璧にコピーできた存在だ。
だが、すべてをコピーしていながら、本物の「彼女」と作り物の「私」では、今の境遇には雲泥の差がある。
「彼女」は今、遠く離れた日本で保育士として、たくさんの子供たちに囲まれながら働いている。元々子供と触れ合うのが好きだった「彼女」にとって、これ以上のやりがいを感じる仕事もない。
平和な国で、家族と共に、望んだ仕事に就き、穏やかな生活を送る。
まさに理想的な環境だろう。
――だがどんな物にも、表と裏はかならず存在する。
「彼女」が"表"だとすれば、「私」は「平川静香」という存在の"裏"だろう。
戦場を転々とし、ただ敵を冷酷に射殺し続ける。生身の人間を殺し、敵の兵器を破壊することで、クライアントから莫大な報酬が支払われるのだ。
こんな生活を、もう2年以上も続けている。
「彼女」が平和に暮らしている裏で、「私」は冷たい鉄の体を駆りながら、人を殺す冷酷な機械になりきらなければならない。
だが、「彼女」を恨んだことなど一度もない。
こうすることが「私」の、「平川静香」の幸せのためなのだから。
テロリスト達が潜伏しているとされる礼拝堂は、この町で一番大きな建造物だ。大きな石造りのドームから、翼を広げるように建造物が伸びる。
礼拝堂はいたるところがひび割れ、真新しい銃弾の痕も少なくない。
正直、今にも崩れそうな古めかしい建造物だが、近づいてみるとその大きさに圧倒されそうになる。
『アルファ2、正面玄関から建物内に進入。ターゲットは確認できず、オーバー』
無線通信から響く戦友の声。先行したアルファ2からだ。
その奥から炸裂する爆弾の音が聞こえる。恐らく壁をグレネードランチャーで吹き飛ばしたのだろう。
無線越しでも、不意打ちを受けて狼狽している敵兵士が次々と銃撃している音が聞こえる。
『こちらアルファ3、屋上の戦力を無力化した。後続部隊の到着を待つ』
また別の声が無線から聞こえる。その声を掻き消すようにヘリのローター音が響く。
アルファ3はヘリからの空挺降下を行いながら、屋上の対空兵器の掃討を任されている。これで後続の部隊の安全も確保できた。
「こちらアルファ1、裏口に到着。これより突入します」
私の役割は、礼拝堂の裏口からの挟撃だ。
事前のブリーフィングでは、大きなドームの東側に小さな裏口があり、そこが礼拝堂の地下室への階段に一番近いという説明を受けている。
強襲したアルファ2によって炙り出された敵戦力は、恐らく裏口から逃げ出すか、地下室に篭城しようとするだろう。そこを一網打尽にするのが狙いだ。
到着するや、裏口の簡素な木製の扉へ鋭い蹴りを入れる。鋼鉄の逆間接脚によって吹き飛ばされた扉が、外へと向かっていた敵兵士をなぎ倒す。
間髪いれずに銃撃を叩きこむ。カービン銃から放たれた弾丸により、敵兵士が血煙の中に倒れていく。
そのまま施設内に進入、階段がある部屋まで一目散に進む。
再び扉を蹴破り、部屋の中をクリアリング(安全確認)する。部屋の中心を陣取る大きな円卓と、ソレを囲む木製の椅子。
恐らくテロリスト達の会議室か何かだろう。現状、赤外線やサーモグラフィーでは、生体反応は感知できない。
地下室への階段はこの奥だ。はやる気持ちが私の注意力を鈍らせた。
次の瞬間、目の前を閃光が走る。
円卓の下に仕掛けられた対ドローン用地雷が炸裂し、部屋は爆炎に包み込まれた。
無論、私もその炎の渦に巻き込まれる。ドローンにダメージを与えるために焼夷徹甲弾頭を撒き散らす特殊地雷の爆炎をもろに浴びれば、通常なら木っ端微塵になっているところだ。
だが強力な爆発に晒されながらも、私の体の損傷は軽微だった。
地雷が炸裂した瞬間、咄嗟の判断で右腕の単発型電磁シールドが発動させたのだ。強力なプラズマの障壁を生み出すこの装備が、死の炎から守ってくれたのだ。
だが、次はこうは行かない。電磁シールドは充電式であり、リチャージには最大4時間もかかってしまう、まさに最後の切り札だ。
此処から先は、慎重さを取り戻さなければならないという事だ。
「アルファ1、大丈夫か?」
まだ延焼している会議室の中に、アルファ2、同僚のシャーティ・メズノフが入ってきた。彼も私と同じく、「グラスホッパー」を装備した兵士だ。
「対ドローン用の特殊地雷が仕掛けてあったわ。目立った損傷はないけど、電磁シールドを使ってしまった」
シャーティは私の肩を叩くと、カービン銃を構えなおして前にでる。
「ではこちらが先導する。ついてこい」
彼のハンドサインに従いながら、部屋の置くの扉に向かう。先ほどと同じ轍を踏まないよう、X線スキャニングを実施。
ブービートラップの類は見られなかったため、そのまま扉を蹴破る。扉の先は薄暗い階段が続いていた。
赤外線スコープに切り替えながら、ゆっくりと階段を下りていく。
階段を降りきった先には、また鉄製の扉があった。ご丁寧にしっかりと鍵が掛けられてはいるが、トラップの気配はない。
赤外線とX線でスキャンすると、中に複数の生態反応が確認できた。
シャーティの合図に合わせて、ドアの鍵を打ち抜く。すぐさまシャーティがドアを蹴破ると共に、室内に突入。
「動くな! 投降し・・・・・・」
私はヘッドライトを点灯し、電子音で投降を促そうとした。
だが、目の前の光景を見た瞬間、言葉は途切れてしまった。
部屋の中にいたのは十歳にも見たない子供しかいなかった。中には4、5歳の子供までいる。
だが彼らは全員、手に小銃や拳銃を握り締めていた。愛くるしい子供たちには不似合いな鉄の塊を大事そうに握り締めながら、部屋の奥で固まって座っていた。
「少年兵・・・・・・だと・・・・・・」
私の後に部屋に入ったシャーティも、怯えながら此方を睨みつける小さな戦士たちを見て言葉を失った。
少年兵たちはたどたどしい手つきで此方に銃口を向ける。一斉に向けられた銃口は、恐怖で小刻みに震えていた。
恐らく現地の孤児をテロリストが徴兵しようとしたのだろう。中にはセーフティが解除できていない子供もいた。
彼らもテロリズムの被害者だ。
――せめてこの子達だけでも助けてあげなければ。
私は警戒態勢を解く。どうせあの口径の銃弾では、この体に大した傷はつけられない。
「君達、その銃を捨てて此方に来なさい。悪いようにはしないわ。だから・・・・・・」
出来る限り優しい声で、子供達に語りかける。
カービン銃を降ろし、此方に手招きをしようとした矢先、部屋にけたたましい銃撃音が響き渡る。
シャーティがフルオートで子供達に発砲したのだ。
「シャーティ! 何故撃ったの!?」
「冷静になれアルファ1! よく見ろ!」
銃弾の雨で蜂の巣にされた子供達。誰一人として生き残ってはいない。
その中の一人の気弱そうな女の子が抱きかかえていたものを見て、私は戦慄した。
先ほど私が餌食になりかけた特殊地雷。
それを女の子が抱きかかえながら、手動で起爆しようとしていたのだ。
あと一歩遅ければ、今度こそこの鋼鉄の体は粉々に吹き飛ばされていたことだろう。
「俺達の目的はDDFの殲滅だ。そしてあの子達もDDFの構成員だった。それだけのことだ」
シャーティは冷ややかにつぶやく。
確かにシャーティが撃たなければ、私はやられていた。
元人格の子供好きな性格がこんなところで命取りになりかけるとは、夢にも思っていなかった。
『施設内のDDF構成員の掃討を確認。任務完了、撤収する』
失意に落ち込む私は、シャーティの淡々とした通信の声を黙って聞くことしか出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます