19話 第六章 ならばいっそ……この世界を――


ここは地下に続く牢獄。


俺の足音が、ひんやりと冷えた空気の中で冷たく響き渡る。


石造りの廊下を歩く俺の左には、鉄格子に阻まれた洞穴の様な部屋がいくつも並んでいる。


そしてある場所で俺は足を止めると――


「よう。」


一室の牢屋の中を覗きこんだ。


「なんか……デジャヴだな。」


ただ人が寝ころぶ目的の為だけに作られた――と言っても良いくらいの粗末なベッドに腰掛け、項垂れる男がそこにいた。


「マイトか。」


俺に目も向けないまま、セタスは声を返す。


「ま、ただあの時は立場が逆だったけどな。」


俺の軽い皮肉に、セタスはフッと力なく笑った。


「……お前は何も考えなくていいぞ。」


そう呟いたセタスの言葉。


いつだったか――


その言葉は、前にも聞いたことがある。


「お前はただ黙ってお利口さんに勇者を続けていればいいんだ。」


「…………。」


奴のそんな姿に、俺は何となく返す言葉が思いつかず、手持無沙汰に明後日の方を眺めていた。


……別に返す言葉が見つからないわけじゃない。


いろいろと言いたい事がありすぎて頭の中がまとまらないのだ。


しかし――


「……まあでも――」


しかしそれでも口から洩れる言葉というのは、きっと純粋に言いたかったことなのだろう。


「勇者なんてクソ食らえだ。」


セタスの身体が、ピクリと動いた。


こんなの冒険でも何でもない。


こんなの異世界でも何でもない。


この世界はとてもじゃないが、ラノベとかに出てくるような、そんな夢みたいな世界じゃない。


「じゃあどうする?魔王にでもなるか?」


相変わらず俯きながら、セタスはそう返した。


「出来ればそうしてやりたい気分だ。」


「無理だ。」


奴は即答する。


「魔王どころか、お前たった一人でこの都市の兵士たちを相手取る気か?

訓練された兵士たちに――

腰抜けだが一応魔法が使える貴族。

無理だ。勝てるわけがねえ。」


分かってるよ……


俺は弱い。


だから一人じゃ何もできない。


「ここを出ていくにしたってどこか当てでもあるのか?

正直手持ちの資金じゃあ夜逃げするには足りねえぞ。」


結局――俺は名ばかりの勇者なんだな。


何もできない。


ただお利口さんに言う事を聞くだけの使い勝手のいい勇者。


「なあ……」


俺はしばらく黙って……


それでも、聞きたかった。




「説明してくれよ。隔離区って、何なんだ?」




俺の心の中でモヤモヤとした疑問。


奴は俺の問いかけに対し、しばらく無言を守っていたが……


やがてセタスは――



「昔々、この地域にはある異民族が住んでいた――」



ポツリ、ポツリ、と話し出した……


「この恵まれた地域で平和に暮らしていたそいつらは独自の神を信仰していた。」


確かこの街に来たばかりの時に、衛兵から聞いたな。


「しかしある日、パテル神を信仰する奴らがこの肥沃な土地を求めて進出してきたんだ。

異民族ってのは武勇に長けた民族でな、魔法を操ることが出来る中央国の軍相手にも、一歩も退く事無く戦ったんだ。」


セタスは尚も続ける。


「しかし、なかなかこの土地から異民族を追い出すことのできない中央国のもとに――

ある日、勇者が現れたんだ。

魔の者達を打ち滅ぼす為に、この世界に転生してきたんだってよ。」


「勇者って……」


「……お前と同じだよ。その勇者は、『弓使い』。

元の世界では『キュウドウ』というものをやってたらしい。」


……弓道。そいつも日本人か?


「その勇者は弓の名手ってだけでなく、ある反則級の能力も持っていた。」


異世界お約束の、チート能力……か。


「そいつは捕虜となっていた異民族の一人の左腕に、『的』の様な模様を描いた。

その模様は特別な力で描かれており、消すことも洗い流すことも出来ない。」


それってまさか、前に衛兵が言ってた……


「その刻印って確か……矢を引き寄せる効果――

つまりはその対象者に矢を放てば、確実に射止められる――というやつだったな?」


おぼろげな記憶を確かめる様に、俺は呟いた。


「そうだ。

そしてその異民族の身体に刻印を入れた後、勇者は何も言わずに、そいつを逃がしたんだ。」


「なんで……?」


「その能力にはな……

さらにタチの悪い効果がもう一つ――


――刻印を持つその人間が誰かに触れると、自動的にその者の身体にも刻印が現れるんだってよ。」


「じゃあ……その異民族はその後……」


「ああ。そんなことも知らずに仲間のもとに帰ったそいつは、たぶん……誰かに触れたんだろう。

まあ、普通に生活を送っていて誰かに触れないで過ごす方が難しいもんな。」



その後の事は容易に推測できる。


気付けば俺はその内容を口にしていた。



「そして、触れられた人間はまた誰かに触れて、まるでネズミが増えていくように……」



俺がそう言うと――


案の定、セタスは頷いた。



「そう言う事だ。」



「でも、それって百年前の出来事なんだろ?

なんで今の隔離区の住人までそんな刻印が残っているんだ?」



俺が尋ねると、セタスは一呼吸おいて――



「ああ……

……これが、この能力の本当に厄介なところだったんだ。」



手を額に添えた。


それはまるで、頭を抱える様に……



「なぜかは分からねえが、生まれてくる子供にもこの模様は現れるんだ。」




そんなのまるで……呪いじゃねえか。




「だが、それはあくまで模様だけだ。

『弓を引き寄せる』効果までは受け継がれないらしい。

だが……模様だけはしっかりと受け継がれる。」



子供が親の特徴を持って生まれる様に……模様も血とともに受け継ぐってわけか。



「その後の戦闘は、とても戦闘と呼べるものじゃなかった。

中央国軍の兵士たちはただ弓だけを射ちまくり、その全てが命中した。」


そんなのただの、虐殺じゃねえか……


「結局異民族は抵抗を諦め、この土地を明け渡した。」



まさか……


「まさか……その隔離区の住人ってのが……」




「ああ。その時の異民族の末裔だ。」




「じゃあ……犯罪組織がやる……その犯罪ってのは……」



「思っている通りだよ。

隔離区から外に出る事自体が犯罪なんだ。

俺も言ってた様に、隔離区の中は酷い有様で……あの中だけで生きていくことなんて到底できない。

だから――皆外に出ようとするんだ……

――俺みたいに、刻印を無理矢理抉り取ってな。」



「でも……街を荒らし回っている連中ってのも、その隔離区の連中なんだろ?」



「ああ。それは兵士たちに身元がバレた連中だ。

捕まったら六年の強制労働……そんなもん死ねって言ってるようなもんだ。

だから奴らは『どうせ死ぬなら――』っつって抵抗する。

あわよくば、少しでも長く生き延びる為に、食料とかを強奪するんだ。」



ここまで聞いて――俺はやっと理解した。



傷の理由、差別の理由、そして――


隔離区の住人がなぜ犯罪を犯すのかを。



しかし――


「ちょっと待て。」


そこで俺は、ある疑問点に気付く。



「異民族は土地を明け渡したんだよな?

だったら……こういっちゃなんだが、住む場所を限定されているとはいえ、何でこの都市に住んでるんだ?

普通だったらこの都市自体追い出されてるだろ?」


しかし、返ってきたセタスの反応は、どこかはっきりとしないものだった。


「それが……分からねえんだ。」


「分からない?」


「ああ。まあ、約百年前の話だしな。

だが……一つ分かるのは、どうやら勇者の計らいで、この街の一部を異民族の居住区としたらしい。」


「勇者の計らい……?」


「まあ、もしかしたら勇者のせめてもの情けなのかもな」


皮肉めいた笑いを浮かべ、そう解釈したセタスだったが――


「それは違う」



と、俺は何故か、はっきりとそう言い切れた。



「……?」



なぜなら……俺は知っている。


勇者気取りの人間って奴を。



「たぶん、カッコつけたかっただけだと思うぜ?」



俺の一言に、セタスは眉をひそめた。


「なんだそれ?」


「ごめんなさいしてきた悪者を許して、さらに情けを掛けてあげて……

そうすることで、勇者である自分に酔ってるんだ。」


俺の言葉に、いまだ眉をひそめるセタス。


「ったく……なんだよ、それ。」


さっきの言葉と同じだが、その声にはわずかに怒気が含まれていた。


「だけどよ……」


俺は話を切り替えるように、切り出した。


「それにしても差別が徹底的過ぎねえか?

市民達と異民族の違いなんて、刻印の有無くらいなもんだろう。

だったら……」



いや――



そこまで言いかけた時――



俺はある事を思い出した。



確かどこかで聞いた……



――体に変な模様が出来てる人たちが隔離されている区域。

そこの人たちに触られると移るよ。



そうだ……あの、いつも通ってた店の女の子が言っていた。



「伝染病……?」



俺がふと口にした言葉。



するとセタスが引き継ぐように、その続きを答えた。


「ああ。

『刻印は触った相手の身体にも現れる。』

この言い伝えは今でも残っていて、もはや伝染病みたいに扱われている。

隔離区ってのがその証拠だ。

もちろん、移る事なんてないけどな……

だがどうやら皆、そこまでは理解しようとしないらしいが……」


分かる……


人間ってのは信じたい事しか信じようとしない。


冷静に考えたら嘘だって分かる事も、関係ない人間にとっては、冷静に考えようともしない。



今までの話を聞いたら、何だかすべてが馬鹿馬鹿しくなってきた……



「勇者って……いったい、なんなんだ?」



気付けば悔しさを滲ませたような声が、俺の口から洩れていた。



それに、セタスはどこか抑揚の無い口調で答える。



「魔の者を打ち滅ぼすものだ。」


「だけどよ……実際勇者がやってることって言えば……」



自分も――


勇者である事実が、今は何とも情けなく……



だが、次に放ったセタスの言葉は――


さらに信じられない内容だった。




「ちなみに魔の者っていうのは……パテル神を信仰しない連中の事な。」




「……は?」




「最初に言っただろ?

異民族は独自の神を信仰してて、そこで勇者が転生されたって。」



「え……待てよ。だったら魔王ってのは……」



「だからその当時での魔王軍ってのは、異民族の事なんだ。」



ごく当然のように返答するセタス。


しかし――


「え、魔王って何か絶大な力とかに目覚めた奴じゃねえの⁉」


ついつい声を荒げる俺に対し、セタスの目はなぜか冷めていた……


「何なのそれ?

絶大な力って何?」


俺は思わず、言葉を失う……


「何と勘違いしてるのかは知らんが……

このパテル神を国教としている国々に敵対する奴らが『魔の者』として認定されるんだ。

そしてその組織のトップが魔王と見なされる。」


「てことは……」


「今でいうとそうだな……

ずっと東の国が、この中央諸国と険悪な関係になってる。

で、ついこの前その国が『魔国』認定されてたな。

ま、向こうからしたら俺達の方が『魔国』なんだろうけどな」


くだらねえ……


じゃあ、神は、ただ自分にとって都合の悪い奴を魔王と見なしてるだけってことか……?


「なんだよ……それ。

それって神にとっての、ただの私利私欲じゃねえか。」


結局自分を信仰しないものが気に入らないからって――


排除しようってだけの話じゃねえか。



あまりの理不尽さに反吐が出る――


でも、もっと反吐が出るのは――



俺も今まで、その片棒を担がされてきたってことだ……




その会話を最後に――



しばらくの間、俺達の間に言葉は無くなった……



俺の頭はいまいち整理できず、怒りを通り越して、ただやるせなさと、馬鹿馬鹿しさだけが体の中をぐるぐると渦巻いていた。



「でもな――」



ふと――


唐突にセタスは呟いた。


見上げると、奴は依然俯いたままでその表情は窺い知る事が出来ない。


だが、その口調はどこか――


自嘲する様に、自分を責めるかの様に……



「かといって、隔離区の住人が被害者ヅラ出来るわけじゃねえ。

隔離区の住人が人を傷付けているってことも、事実なんだぜ?」



その事については――



俺は何も言う事が無かった。


だって、確かにその通りだったから。


結局その事実が――


悪党を悪党として決定付けている。



「あの――クリスタお嬢様ならこういうだろうな。」


そんな中でセタスは突然、場違いな声を出し始めた。




「『たとえどんな理由があったって、悪事を働く事は許されない』ってな。」




どうやらクリスタの声マネらしい。あまり似てない。



でも――



どんな理由があっても……か。



確かに、それは正論だ。


「今となっちゃあこのザマだが、俺だって隔離区から逃げ出して、兵士として真っ当に働いてたんだ。

まあ、結局は下手打っちまったがな……」


セタスはそう言って頭をボリボリ掻く。


「でもさ――」


奴は再び真剣な表情になると、言葉に力を込める。


「隔離区の人間として生まれても、悪事を働かずに生きる奴も居る。

だから、生まれた環境が悪かったから――なんてのはただの言い訳なんだ。」


それでも最後の一言は――


なんだかとても悲しそうに聞こえた気がした……




……分かってる。お前が言うんだったら、そうなんだろう。


でも、それは本人が自らそう思うべきことであって――




決して、どこかのお嬢様が言っていいセリフなんかじゃない。




「なあセタス。」



ああそうだ。


あとこれも聞きたかった……



「うん?」




「お前、隔離区の住人を殺してるとき――どんな気分だった?」




「別に何も……

……もう慣れてたし。」



無機質にそう言ったセタスだったが……




違うな……


慣れてる訳がねえ。




「だったら……何で隔離区の住人に金渡したんだよ。」



それを聞いた途端、セタスは腕を組んで考え込む様子を見せる。



その様子を見るに、恐らく自分でも自分の気持ちに気付いてないんだろう……




「何で、なんかなあ……

下手に助けなければ……今頃バレてなかったのに……」



そうだ。



仲間を殺すことを何とも思ってなかったら……助ける訳ねえ。




セタスは考えを巡らす様に、一つ一つ言葉を紡いでいく。



「俺も……中央国の兵士として、自分は、中央国の人間だって……そう、思い込んで生きてきたんだけど……

何だかな……お前、見てると……ダメだと分かってながらも……その……」



まだ言い終わってないが――



俺は出来る限り感情を抑え込んで――



セタスに尋ねた。




「世界……消滅させたいか?」




その言葉に、セタスは黙り、俺の顔を見る。


そして、少しの間を開けて、ようやく口を開くと……



「確かに……無くなりゃあいいと思う。」



しかし言葉は続く。




「だが……それは最後だ。みんな仲良く、おさらばするのは最後で良い。

だから今は、生きるんだ……死ぬまで。」




最後の言葉は、まるで、言い聞かせる様に、そんな、言い方だった。


俺は、最後に聞きたい。




「セタス……俺は――」


これが最後の質問だ。



「俺は、どうやって生きればいい?

勇者としてチヤホヤされたまま、たくさんの美少女達に見取られながら死ぬか……

感情のままに暴れまわってクソみてえに死ぬか。」



するとセタスはフッと俺に笑いかける。



「もう……任せるよ。」



よし、これで決まった。


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