彼女のお願い(1)

「お願いがあるの」


 翌日の昼休み、社食に呼び出された俺は柚子と向かい合って昼食をとっていた。

 ちなみに俺は唐揚げ定食、柚子はきつねうどんを食べている。それだけで足りるのかと尋ねてみると、これが普通だよと返された。そういえば柚子は比較的小食だったっけ。スイーツになるといろいろと手を出したがるくせに。


「どうしたの?」


「私が鷹尾くんとデートした場所に、もう一度連れて行ってくれない?」


 突然の『お願い』に俺は思わず箸を止めていた。

 急にお願いがあるなんて言い出すかと思えば、デートした場所に連れて行けだなんて。

 戸惑って固まった俺を見て、柚子はなぜかくすくすと笑い出した。


「何だよ」


「鷹尾くんって、びっくりすると目をぱちぱちさせるのね。面白い」


 ツボに入ったようでまだ笑い続けている。笑いすぎてうどんが食べられなくなっている。

 俺は面白くないぞ。


「そんなに笑うことないだろ……にしても、何でまた急に?」


 そう尋ねると、柚子はやっと笑うのを止めた。


「だって、付き合ってた頃と同じ場所に行って、同じことをしたら、何か思い出すんじゃないかなって……」


 そう話しながら、柚子の顔はどこか思い詰めたような、陰のある顔になっていった。途端に心配になる。


「佐藤、お前……無理してない?」


 恐る恐る聞いてみると、柚子はしっかりと俺を見つめ返した。


「私は大丈夫だよ。それに——」


 そして柚子はふっと微笑んだ。その顔に光が戻ったように見えて、なんだか眩しい。


「失恋したばっかりだから、慰めてほしいなあ」


 明るく笑う柚子からはもう悲しみの面影は感じられなくて、少し安心する。

 つられて俺の口角も自然と上がった。


「そういうことなら、さっそく週末に出かけようぜ」




 ということで、五月中頃の土曜日。


「お待たせ!」


 県内で一番大きな遊園地の入場ゲートの近くで待っていた俺はスマホから顔を上げた。

 この遊園地は、一昨年のゴールデンウィークに柚子と遊びに来た場所だ。

 どこに出かけるかを相談したとき、初デートがここだったんだと話すと、柚子が目を輝かせて『行きたい!』と言ったのであっさりと決まったのだ。


「ごめんね、準備してたら遅くなっちゃった」


 時刻は十時ちょうど。待ち合わせの時間ぴったりだ。


「ちょうど十時になったところだよ」


 今日の彼女の服装は、ふわっとした白のワンピースにジージャン、そしてヒールの低い黒のバレエシューズ。髪は下ろしていた。

 遊ぶときの柚子の格好を見るのはすごく久しぶりだ。

 一目見たときから胸が高鳴って、もう彼女しか目に入らないくらい。本当はデートのたびにこんなことを考えていたんだけど。

 今のこの関係では今日も相変わらずかわいいなんて言えないから、この言葉はしばらく胸にしまっておこう。


「じゃあ、行こうか——」


 つい付き合っていた頃の癖で彼女の手を取ろうとして——胸中の動揺を悟られないようにそっと手を引っ込めた。

 二人で歩くときはいつも繋いでいた手に、今では触れることさえできない。この距離がもどかしい。

 幸い柚子は俺の気持ちにも差し出した手にも気づかなかったようだ。


「うん! まずはあれ乗りたい!」


 柚子が指差した方を見ると、ちょうど後ろ向きに走っていたジェットコースターが、コースの頂点から落下しているところだった。


「……いきなりあれに乗るんですか?」




 俺は絶叫系アトラクションが得意な方だ。得意なはずだった。

 しかし久しぶりの遊園地で、しかもここで一、二を争うほどのコースターに乗せられたせいで、柚子が隣にいるにもかかわらず絶叫してしまった。降りた後も足がガクガクしているというのに、当の柚子は至って普通の様子だ。

 そう、柚子は大人しそうな見た目に反して絶叫系が大好きで、遊園地に行くたびにたくさん乗りたがるのだ。

 俺もそっち側の人間だったんだけどなあ……。


「鷹尾くん怖がりすぎだよー。こういうの苦手だっけ?」


 またおかしそうにくすくすと笑われてしまった。何だか恥ずかしくなって頭を掻く。


「いや、そうでもない……はずなんだけど……」


 ジェットコースターとか久々だったから……と、柚子から目を逸らしながら言い訳をした。


「じゃあ、次はもうちょっと緩いのにしようね。——あっ、あれ乗ろ!」


 さっそく次のアトラクションを決めた柚子は、この二年間、時々俺だけに見せてくれたような無邪気な笑顔で俺を見て——俺の心臓は大きく飛び跳ねた。


「っ……」


 やっぱり俺は、柚子が好きだ。

 でも、今はまだ伝えるべきではない。柚子のペースに合わせて、支えてあげるのが俺の役目だ。


「……オッケー、行こうか」


 俺は平常心を装って足を踏み出した。

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