別れは唐突に(2)
柚子は病院に着くなり手術室に運び込まれた。
幸い俺は大した怪我がなかったので、処置をしてもらってからすぐに手術室の前に駆け付けた。しかし今の俺にできるのは、ただ彼女の無事を祈ることだけだ。仕方なくそこにあったベンチに腰を下ろした。
柚子は大丈夫なのか? 元通りの生活が送れるのか? また俺に笑顔を見せてくれるのか——?
俺のせいで……という思考が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
柚子は俺を庇ったせいで、あんな大怪我をしてしまったんじゃないか?
そう考えると自分が許せなくて、組んだ両手に力が入る。
永遠のような時間が過ぎ去り、手術室の扉が開いた。はっと顔を上げた俺は、ようやく『手術中』のランプが消えていたことに気づく。
その瞬間、俺は立ち上がって手術着を着た医師たちのもとに駆け寄った。その後から一台のストレッチャーが運ばれてきて——穏やかな表情で目を閉じている柚子の顔が目に入る。
「柚子……っ!」
医師たちの中にいた、眼鏡をかけている優しそうなおじさんという印象の先生が『出血量が多かったですが、命に別状はなさそうです。ただ、今は眠っているのでしばらく休ませてあげてくださいね』と言ってくれた。俺は先生の言葉にひとまず安心した。
いつの間にか日付は変わっていた。このまま待っていても柚子に会えるわけでもないので、俺はいったん帰り、改めて柚子の様子を見に行くことにした。
同日――体感的には次の日だが――、たまたま仕事がない土曜日だったので、俺は朝から病院に向かった。早く目を覚ました柚子を見て、その声を聞いて、彼女の無事を確かめずにはいられなかった。
受付で柚子の病室を尋ねてから廊下を歩いていると、昨日の先生に出会った。その場に立ち止まって会釈する。
「ああ、佐藤さんの?」
先生も俺のことを覚えてくれていたようだ。
「はい、鷹尾と申します。……昨日は本当にありがとうございました」
今度は深く頭を下げると、
「いえいえ、あなたの大切な方が無事でよかったです」
と落ち着いた低い声が降ってきた。
「僕も今から様子を見に行くところだったんです。一緒に行きましょう」
柚子の病室は、五階の端から三番目だった。
恋人同士だけど先生も一緒だしと思い、一応ノックしてから滑らかな引き戸を開いた。
先生と一緒に柚子の病室に入ると、ベッドの上で身体を起こした柚子は窓の外を眺めていた。俺たちが近づいてからやっとこちらを見た彼女の頭には包帯が巻かれているが、それ以外は元気そうだ。
「あれ、鷹尾くんじゃん。お見舞い来てくれたの?」
柚子の言葉に少し違和感を覚えたけれど、起き上がって喋っている彼女を見て、やっと本当に安心できた気がした。
「鷹尾君、私、変になっちゃったのかなあ」
「何で?」
「
「……は?」
急に何を言い出すんだ?
こんなときに冗談?
俺の知っている柚子はそこまで悪趣味じゃなかった気がする。いや、俺を笑わせようとしてのことなのか?
俺はベッドの側まで歩み寄り、そっと柚子を抱き締めた。
「とにかく、柚子が無事でよかった——」
そのとき、胸をぐっと押される感じがして——俺の身体は柚子から離されていた。
「え、何……?」
「えっ?」
「何で、急にこんなことするの……?」
そう言って俺を見上げる彼女は、戸惑っているような表情をしていた。
「何でって、そりゃ、大事な彼女だし……すごく心配してたんだからな」
「彼女? 私が? 鷹尾くんの?」
疑問符だらけの彼女の返答。
そこで明らかに何かがおかしいことに気づいた。
柚子は二年前に付き合い始めてから、俺のことを『優くん』と呼んでくれていた。
それを『鷹尾くん』だなんて——まるで付き合う前に戻ったみたいだ。
でもそんなこと、あり得ない。
そう考え直していつも通りに喋ろうとしたけれど、声が震えた。
「そうだよ。俺は、二年前からお前と付き合ってて――」
「嘘。だって……」
彼女は俺の話を遮った。
「私が好きなのは、進藤先輩だよ?」
鷹尾くんにも前に相談したでしょ、と彼女は不思議そうに言った。
そんなのあり得ない。それじゃ、まるで……
俺の頭はひどく混乱してしまい、もう何も言えなかった。
さすがに俺たちの会話が噛み合っていないことに気づいた先生が、そこで静かに口を開いた。
「佐藤さん、今、何年の何月か分かりますか?」
「何年の何月って……二〇十七年の十月ですよね?」
違う。今は二〇二〇年の四月だ。
急に得体のしれない恐怖と不安が這い上がってきて息苦しくなり、俺は助けを求めるかのように先生の顔を見た。
「鷹尾さん、いったん席を外してもらえますか? 少し確認したいことがあります」
先生の声は少し低かった。
ちゃんと説明するので待っていてくださいねと言われ、俺はただ頷くことしかできず、一人で病室を出た。
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