第7話 月から隠れて2
背後で扉の蝶番が、静かな音を立てた閉まる。暖炉の火が揺れ、柔らかな温もりが冷えた体を包み込んだ。壁一面は本棚で埋めつくされており、接客用の革張りソファは暖炉の光を反射してオレンジ色に染まっている。
「よく来てくれたの!」
「相変わらず古くさい話し方ね、リラ。人を男装させてまで屋敷に呼んで、仕事でなければ断っていたわ」
「やはり、オリバー殿は勇ましい。目の保養になるよの」
「お嬢様、お戯れもほどほどに」
リラと呼ばれた身長約140センチほどの少女が、椅子の上で無邪気にはしゃいでいる。白のレースと刺繍が施された赤いドレスを身に付け、頭部は真っ赤なリボン、2つに結わえられた金髪は蝋燭の光に反射して煌めいている。彼女こそ、今回の仮面舞踏会の主催者リラ・クラーク、オリヴィアの寄宿舎時代の友人である。
「さて、オリヴィア殿。そなたの屋敷に入った【フェーリスの目】が、少々手荒い歓迎をされたとのことだが……もう一つの"物"も買うかの?」
「商売上手ね。残念だけど、見当はついてるわ。それより、前に手紙で頼んだ物は?」
「久しぶりにしては人使いが荒いことよ。あの無法者共は生きとるか?」
「もちろん」
「恐ろしい女」
リラは子供らしからぬ笑みを浮かべて、椅子から跳び降りる。彼女はオリヴィアに向かって微笑むと、机の引き出しから紙の束を取り出して言った。
「あの女狐…えっと、マクベスだったかの。爵位の中でも一番下の士爵を得れたのは、官僚の手引きもあったとか。ポンコツの役割も大きいが、それを調べるも調べぬもそなたの自由よ。気晴らしに例の2人も呼んだからの。煮るも焼くも好きにせよ」
オリヴィアは書類を丸めて、腰の書簡入れにしまった。支払いの小切手を入れた封筒と依頼用の封筒を隣の従者に渡す。
「恐ろしい女はどちらかしら」
「なんのことかの?」
背後の少女が、くつくつと笑いを零す声が耳をくすぐった。扉が閉まると、冷たい風が衣服に滑り込み、まだあの笑い声が聞こえているようで、静かに帽子と仮面を被り直した。廊下の窓の外では、風が吹く音と木々のざわめきが一段と強くなった。
「…あの、」
「アイビー、書類をヨハン達に預けてくるわ。裏から会場へ入りなさい。私も後で合流するわ」
「はい、お嬢様」
意気揚々と久しぶりの社交場に来たけれど、主催のリラの言葉に心は鬱々と翳っていた。挨拶を済ませたら、アイビーに事を任せて早々と退散しようとオリヴィアは心に決めた。
――…
「つまらん」
2階の手すりから下を見下ろすフランツが、吐き捨てるように言いはなった。手に持っているグラスのシャンパンは、炭酸が抜けて温くなってなっている。隣のエミールも同様に見下ろしており、小さく欠伸を溢した。
「まだ少し時間がかかるな、可愛い子ちゃんもいないし」
「お前のたらしっぷりには、尊敬すら覚える。仕事はまじめなのに女にはだらしない所とかな」
「公私混同はしない主義なんだよ。互いに大人だし。それより、お前はその女嫌い直せよ。ま、例のお嬢様のこと気になるようだが?」
「あんな生意気な女は知らんだけだ。俺の知ってる女は政治か権力に固執する高飛車で高慢な奴か、着飾ることしか脳のない金持ちのアバズレだ」
「酔ったか?口悪いぞ。あ、俺ちょっと下に行ってくる」
「どうした……ったく、護衛として来たくせに何やってるんだアイツは」
足早にその場を去っていくエミールを横目に、フランツは温くなったシャンパンを一気に煽る。バルコニーに通じる扉を見つけたフランツは、すれ違った使用人にグラスを渡し、風に当たりに行った。扉の向こうは、アルコールで熱くなった体を冷やすには適していた。
(1人でいる時間ができるのは、久しいな)
バルコニーの下は遊泳に使うような深めの水泳場と噴水が併設されており、風と水流によりさざ波が立っていた。水鏡に映し出された丸い月は、水の波紋に乗ってるようにゆらゆらと揺れ、人工的だが美しい光景になっていた。壁際の手すりに腰掛け眺めていると、誰かの足音が聞こえた。
―― 小柄な男性のように見える。
なぜだろう。その人物から目が話せなかった。藍色の外套、羽根付き帽子……童話の英雄の服装にみえる。その者も水泳場の水面を眺めては、やがて上空の月を仰いだ。強めの風が吹くと、帽子の隙間から束ねた銀色の髪が零れ落ち、外套と共に揺れて光った。
背後の扉が開く音と共に会場の熱気と喧騒が流れ、男女の笑い声が耳についた。そのまま彼らの会話に耳を傾ける。アルコールで高揚とした男の声と仮面パーティーで興奮している女性の声は、銀髪の人物に絡んでいるようだ。
「わっ!すっごーい綺麗!」
「英雄スターリングの格好だね。小さい頃、良く寝物語で乳母に聞いたんだ。藍色の外套に羽根つき帽は、男なら一度は憧れる英雄だよ」
「すたーりんぐ…?よくわかんないけど、めっちゃかっこいいね!あの、パーティーつまらないし、一緒にお喋りしましょ?ね、いーでしょ?」
二人に絡まれた人物は静かに首を横に振ったが、恋に浮かれた阿保カップルにそんな動作は通じることもなく、あれよあれよと会場の中に連れ去られていった。その声は紛れもなく義兄弟のエドワーズとその恋人エリザベスだった。
(こいつらも来てたのか)
赤の外套はエドワーズのお気に入りで、目に染みるような桃色のドレスはエリザベスだとわかった。フランツは小さく息をこぼし、視線を元に戻すとその人物はエリザベスから逃れられないと知ったのか、静かにしていた。フランツは心の中で悪態を吐きながら、バルコニーからエドワーズに声を かけた。
「相変わらずだな……エドワーズ」
「……その声、フランツか?」
「久しいな、上でゆっくり話さないか?」
――
どこかで聞いたことある声だと思って、上を見上げたら薄い布を顔の前に垂らした男がバルコニーからこっちを見下ろしていた。
(え、嘘…なんでここに?リラ、何も言ってなかったわ)
エドワーズは確かにバルコニーの男をフランツと言った。アルノー王国でフランツと呼ばれる男性は何万人もいる。その中で、エドワーズと関わりがあるフランツはただ一人である。アルノー王国第一王子であるフランツ・A・シュバルツシルト。
「そちらのお方も、良ければご一緒にどうでしょう?」
別荘で別れてからもう二度と会うとは思わなかった。彼からの誘いに思わず、体が強張ってしまった。
「ね?行きましょう?」
自分の腕にエリザベスが巻き付かれても、それを解くほどの余裕が彼女にはなかった。疑問ばかりが頭の中を回っている。フランツに男装がばれるのは時間の問題だ。そもそもフランツがここに来た理由がわからない。
(いえ、一つだけあったわ。我が家へ侵入してきた【フェーリスの目】よ。彼らは十分に調査できなかった。"優秀な見回り"がいたことを知らなかったから)
彼がここにいるということは、きっと情報が足りなかったからだ。だから、あえて危険を冒してでもここにくる必要があった。私の別荘の周りで熊の出没記録を調べ、私が売名行為をする人物か信頼に値する人物か見極めようとしている。ここ数年あの別荘近くの裏山に熊の出没情報は少なかった。今年は気温が低く、冬眠している数のが多いはず。たとえ、腹を空かせても人を襲わないように狩りは必要最小限に抑え、人里に下りないように餌を置いたこともあった。
(だから、あの襲撃はきっと故意によるもの。誰かがあの部隊を壊滅させようとした結果。彼を殺して、利益を得るのは…)
「巻き込んで悪かったな」
いつの間にかバルコニーにたどり着いてしまった。目の前には水色の布を全身にまとわせ、金の装飾を施したフランツが立っていた。オリヴィアは、その立ち姿で傷は十分に癒えていないことと顔を覆う布で視力は完全に戻っていないことを察した。
(その謝罪は一体、何に対するものですか。フランツ様?)
――…
バルコニーに並ぶ仮面もとい仮装をする面々。童話の英雄、水の精霊、火の龍神とその番になった姫。円形のテーブルは用意された料理と数種類の飲み物そして、騎士団の隊長、貴族の男、とその婚約者、貴族の元婚約者が並ぶ。オリヴィアの男装は、元婚約者のエドワーズでさえも知らない仕事の一面である。
(……できることなら、会いたくなかったわ。)
「わぁ…うふふふ、格好いい人がいっぱいでエリー嬉しいっ!」
「うわ、なんだこの女」
「フランツ…人の婚約者になんて言葉を。少しはその女嫌い直したらどうだい?」
「断る。」
「あー…すまない。僕の婚約者が無理矢理巻き込んでしまって。僕はエドワーズ。彼はフランツ、そして彼女は婚約者のエリザベスだ」
「エリーと呼んで!」
ニコニコと笑いかける二人とこちらを興味深そうにみる男。声帯を変える道具などない。
「オリバーだ」
苦し紛れにオリヴィアが取った行動は、声をなるべく低くすることと話し方と仕草に気を付けるほかなかった。隣に座るフランツと呼ばれた水の精霊が、こっちをじっと見ているのは気のせいにしよう。
―――
●リラ・クラーク
オリヴィアの寄宿舎時代の友人。仮面舞踏会の主催者。王国御用達の興信所。
古臭い話し方だが、「~じゃ」は絶対に使わない。
金髪。
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