第6話 月から隠れて
騎士隊の訓練が終わり、豪華とは言えないが量のある夕食を終えた頃、寂れた図書室にフランツはいた。
「それで、彼女…オリヴィア嬢が仮に味方だとして、その事をどうやって確かめるつもりだ」
無表情で考え込むフランツに、エミールは思考を遮るように声をかける。長年友人としても側にいた彼にとって、彼の悪癖には馴れていた。その悪癖とは、答えのでない問いを一人で抱え込んでは塞ぎ込み、必要のない責任感に精神をすり減らす、というかなり迷惑で我が儘であまりにも愚かな…お人好しがすぎる悪癖である。エミールの声によってフランツは、深い微睡みから意識を取り戻した。
「…お前ならどうする?」
「…そのしたり顔は、もうすでに打つ手は決まっているんだろう?今聞いたとこで俺は何もできないんだから、お前が休んだ後にでも聞いてやるよ」
「なんだ、つまらない男だな」
「つまらなくて大いに結構。お前の謎なぞごっこに付き合うつもりはない。その手でお前に勝った覚えがないからな。いいから、早く休めよ。大事な大事な王子様に何かあってからでは遅いんだからな」
聞く耳を持たないフランツに、エミールは呆れ果てて部屋を後にした。残されたフランツは、オリヴィアの経歴を再度なぞる。長時間文字を読むことを禁止されているが、国政文書を読めるほどに彼の視力は時折文字が霞む程度には回復していた。
(彼女には、感謝しきれてもしきれない)
今、自分が国に戻って来られたのは、1人の女性貴族のお陰である。…苦手意識を抱いていた女性の貴族の1人だ。けれど、どこか懐かしい花の香りを纏う彼女に対して、フランツは不思議と嫌悪感を抱かなかった。それ以上の何かを、彼は感じ取っていた。…敵ではない。けれども、味方でもない。それを知るには、1つの手段しかない。
手にしていた書類を机に放り置き、脚を組み直したフランツの口角は釣り上がる。
「簡単だ。…会って話を聞けばいい」
≪オリヴィア・ルートレッジの調査報告の概要≫
家族構成:父、母、兄の4人家族
父:スターチス
ルートレッジ家家督。国防軍所属教育総指揮官。アルノー国防軍において、最も軍事機密の高い人物。隊士の教育から携わっている可能性高。現時点において家族構成不明。
母:アリシア
ルートレッジ家正妻。出生は隣国ヴィタ王国。アルノー王国現王妃の侍女を3年間勤め、スターチスと結婚。子を二人授かる。4年前に自殺。
兄:氏名不明
出生届のみ確認済。屋敷内に成人男性の痕跡なし。
4年前に死亡届が出されている痕跡有。なお、死亡届の資料紛失。
本人:オリヴィア
ルートレッジ家長女。誕生前よりオーキッド家長男エドワーズと婚約。一昨年、ヘンリー寄宿舎で2年間の博士課程を修了し、博士号を取得。昨年秋頃に、エドワーズ・オーキッドとの婚約を破棄。
備考:アリシアが自殺した同年に、兄(氏名不明)の死亡届が提出及びアリシアは寄宿舎に入舎し、本家を離れている。スターチス家が国防軍と深い関係性にあるため、これ以上の捜査は困難であると判断し、中断。要注意されたし。
以上をもって、【フェーリスの目】による報告とする。
―――…
湯あみを終えたオリヴィアは、鏡の前で髪の手入れをしながら父との会話を思い返していた。窓の外はすっかり暗くなっており、別荘とはまた異なる空模様を見て、あらためて屋敷に戻ってきたのだと実感する。新聞では、王子の怪我は順調に回復していると報道され、オリヴィアは胸を撫で下ろした。
「…懐かしいわね」
恋慕するは、屋敷に戻る前のほん僅かで、騒がしい日々であった。彼らは団花を梅の花に掲げるとおり、春の陽気を思わせる朗らかさで、冬の屋敷内に温もりをもたらしてくれた。フランツが目を覚ましている頃合いを見ては、見舞いとの口実で部屋に訪れ、身体を労りながらも軽口を叩きあっては戯れていた。その輪の中には、もちろんオリヴィアも入っており、身分も性別も越えて談笑をする光景がそこにはあった。
(できるならば、もう一度)
会って話してみたい、そんな叶わぬ願いを掻き消すように、オリヴィアはポケットの懐中時計を静かに取り出して握りしめる。母から渡された時計は、規則的に時を刻み、それでいて人肌の生温さがやけに不快に感じた。時計を元に戻すと、指先に乾いた感触がし、それとなく物を取り出した。ランプの光にかざされたソレは、何か文字が浮かび上がるわけでもなく、無機質な言葉が変わらず並んでいるだけであった。
「でも、そんな場合じゃないわ」
メモをポケットに戻し、机に積まれた手紙の山を手に取る。騎士団一行を都の途中まで送ると決まった日に、オリヴィアはヨハンに手紙を託していた。各方面への帰宅を報せる内容が大半だが、その中には、父へ事の詳細を報告する文書も含まれており、母の件も漏れずに記されている。手紙の返信の大半は、社交辞令やお茶会の誘いもあり、中には舞踏会の招待状も含まれていた。友人たちの気のりしない誘いに、彼女は静かに息をこぼした。
「…そんな、場合じゃないのよ」
無情にも時計の針は、時を刻むばかりであった。
―――…
「オリヴィア様、やはりこの格好は、私…っ!」
「何か問題かい?アイビー、とてもよく似合っている…なんてね、男装してるにしては少し台詞が気取りすぎてるかしら?あぁ、でも似合ってるのは本当よ。翡翠色のドレスと赤毛が良く合ってるわ」
「お嬢様、本当にその…男装で?青のお召し物がとともお似合いですが」
オリヴィアは、返答を笑って誤魔化した。後方の馬車にアイビーを無理やり押し込み、扉の鍵を確認して、彼女は前方の馬車に乗り込んだ。
「主催者の指定ですもの。いつもの、我がままな、ね」
灰色の厚い雲は、遥か上空の突風により途切れ途切れに流れ行く。淡い月の輝きに、時折深い陰りをもたらしながら。ロビンフットを彷彿させる羽根付き帽子とアイマスク、腰まで身体を覆う藍色のマントは金糸で装飾が施されており、白の軍服を改造したジャケットに良く映える。どれも実家にあった物を工夫したものである。
一月前、オリヴィアの元に2通の仮面舞踏会の招待状か届いた。1通はオリヴィア本人宛の物で、もう1通はオリヴィアの男性名を模した偽名が書かれていた。差出人は、寄宿舎時代の友人で例の噂を気にしての多少行き過ぎた配慮であった。
("女性の友人を誘ってくること"を勧められるとは思いもしなかったわね)
アイビーに気付かれぬように小さくため息を吐いたところで、馬車は目的地にたどり着いた。 送迎はヨハンとナッツに頼んでいた。
「…オリバー様、会場に到着しました」
「すまないね、あとは宜しく頼む」
「はい、楽しんできてください」
「あぁ、そうするよ」
オリヴィアが馬車を降りると、吹き荒れた風が彼女を襲う。青いマントははためき、帽子の白い羽飾りが激しく震えた。日暮れの風は冷たく、彼女は静かに唇を噛み締めた。後方でアイビーの乗った馬車の扉が開く音を聞き、帽子を被り直して彼女…いや彼は舞踏会の相手の手を取った。
「私はオリバー・エッジ。彼女は連れのアイビーだ」
受付の男に黒い封の招待状を見せると、その背後に立っていた眼鏡の男が急かさず別室へ案内してくれた。
「お嬢様の大変差し出がましい申し出を引き受けていただき、大変感謝いたします。寄宿舎時代より何かとご迷惑をおかけしておりますが、まさか療養から帰還したばかりのオリバー様に対してこのような催し物にお招きするとは…馬鹿なお嬢様の代わりに僭越ながら私から謝罪の言葉を述べさせていただきます。大変、申し訳ありませんでした」
「そんな深々と頭を下げずとも、私はお招きいただいて大変嬉しく思っています。塞いでた気持ちも幾らか軽くなりましたから。まるで気分を変えるには、このような催し物に参加するべきだと教わったようで。ただ、ご要望がいささか行き過ぎた面がございますから、そちらはよろしくお願いいたしますよ」
「はっ、寛容なるお言葉、ありがたく頂戴いたします。私が後日、たっぷりと」
男は顔を上げると、廊下の奥にある扉の前で歩みを止めた。この扉の奥に、今回の仮面舞踏会の主催者であり、寄宿舎時代の友人が憎らしげな笑みを浮かべていることだろう。
「お嬢様、オリバー様がお見えになりました。…どうぞ、中へ。」
「失礼いたします。」
豪華絢爛な部屋の真ん中に、白い装飾が施された背の高い椅子が1つ。
「…やっと来てくれたかの。」
オリヴィアは、帽子とアイマスクを取り、静かに微笑みを浮かべた。
ーー…
「おい、エミール。ここに彼女がくるっていう情報は確かか?…こんな、ふざけたパーティーで」
「お前が彼女を見つけれればな、手伝わないが。あと、フランツ言っておくけど、ふざけたパーティーっていうな。確かに格好は…ふざけているけど」
「そうだな。…それにしても、君ひどい格好だな」
「酷くないだろ。これは、森の精霊。そういう君お前こそ、なかなかに酷い…なんだそれは、水色の布がヒラヒラついてて…水の精霊とでも言いたいのか?」
「あぁ、そうだ。水の精霊だ。文句あるのか」
「…いや、ないよ」
「結構、それでいい」
華やかな会場に、様々な衣装に身を包んだ貴族達が仮面を身につけ、互いの名前を言い当てようと会話を交わす。その会場の端では、男女の姿が仲睦まじく手を取り合う。
「ね、ねぇ、エドワーズ様、私…変な格好じゃない?」
「エリー、何を言っているんだい?とてもかわいらしい。…似合ってるよ」
「ふふ、ありがとう。エドワーズ様も、その…とっても素敵です!」
暖かな会場とは裏腹に、外では冷たい風が吹き荒んでいた。月が雲に隠れた瞬間である。
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