第5話 灰色の楔

何事にも意味がある。事象に原因があるように。(名もなき詩人)



――… アルノー王国 第一王子執務室


 シュバルツシルト王家第一王子であるフランツは、厚いカーテンが覆う薄暗い部屋にいた。そして、その傍らには鈍色に輝く鎧を身にまとうエミールが立っていた。職人の技が施された調度品の数々は、必要最低限の数だけ揃えられており、部屋の広さと相まってどこか無機質である。そしてフランツの表情もまた、どこか無機質で読めない。それは彼の手元にある資料からなのか、それとも彼の本来の姿なのか定かではない。


「医者の忠告は無視か? フランツ第一王子」

「…エミール、君は彼女の素性を知っていたのか」

「素性?人の許可なく、過去や行動のすべてを調べ上げた物を素性と言うのか?…君は次期国王としての自覚はないのか」

「次期国王だから、調べているんだろう。国境付近の偵察で俺の命が狙われていることがわかった」

「暗殺、ということか?なぜわかる。…あと、話をすり替えるな」

「冬に熊がでてくるのはおかしいだろう?この寒い時期は、冬眠していなければおかしい」


 フランツが淡々と紡いだ言葉に、エミールの端正な顔が歪んだ。その様子を対照的にフランツはどこか愉快そうに口角を上げ、問題の資料をエミールに渡した。


「…フランツ、なんでこの関係者リストに彼女の名前が載っているんだ。そんな真似をすると思うか?」

「いや、しないだろうな。我々は彼女に助けられた。殺す機会はいくらでもあったが、一晩寝ずに看病された私が五体満足でいるのだから、敵でないことには間違いない。…だが、彼女は今回の件で何かに気付いてる可能性がある」

「だから、名前がリストに載っているのか?」

「彼女の家が所有している別荘は4つ。その中で、我々の偵察箇所に一番近い場所はあそこ以外なかった」


そんな理由で、とエミールは思った。しかし、次期国王ならば、たとえどんな些細なことであろうと見逃してはならない、そんなフランツの冷酷な判断をエミールはどこか寂しく感じてしまった。


――…


 オリヴィアの母アリシア・ルートレッジは、厳格な女性であった。隣国の貴族であったアリシアだが、国の内乱で彼女の一族は没落した。死の危機を感じたアリシアは、1人の騎士と数名の侍女を連れてアルノー王国へと逃れた。彼女の顛末を知ったアルノー王国は彼女らを受け入れ、使用人としてアリシア達を受け入れた。紆余曲折を経て、アリシアは生涯の伴侶となるスターチス(オリヴィアの父)と添い遂げ、やがてオリヴィアが誕生した。


しかし、アリシアの娘に対する教育は、過剰を極めるものであった。オリヴィアが3歳の誕生日を迎えると、アリシア自らオリヴィアに礼儀作法を教え始めた。6歳の誕生日を迎えた頃には、語学、文学、歴史、美術、数学、医学、薬学、法学、帝王学、政治、経済といったありとあらゆる学問をアリシアが教鞭を執っていた。その時間は、ときにオリヴィアにとって苦痛を感じるほどであった。しかし、それ以上に母と共に過ごせる時間が、オリヴィアにとって何物にも代えがたい瞬間であった。


『皆のために幸せになりなさい。貴方の周りが幸せであるために』


それが、アリシアの口癖だった。母の暖かい手がオリヴィアの頭を撫で、窓から優しく吹く風と古い本特有の甘い匂いがあの頃のすべてだった。


そんな平和に転機が訪れる。オリヴィアが12歳になった頃である。1畳ほどのオリヴィア専用の庭で、水やりと花の間引きを終えた時だった。いくつかの花を押し花にしようと、オリヴィアが顔あげると強い風が吹き、1本のカスミソウが彼女の手から転げ落ちた。そのまま風に運ばれ、木の幹にぶつかる。ようやく静止したその場所は、母アリシアの自室の近くであった。声がした。


冬の名残が吹く。


吹いた風と踊るように、白いカーテンが舞い上がる。


陽の暖かい光を、白い布が反射して、目に痛みを焼きつける。


部屋には、男と母と。

見知らぬ男と、女で。

父といるときとは違う母の顔。

左頬に傷のある男。

抱き合う二人は、微笑み合いながら踊る。

聞きなれないメロディーを奏でる2つのハミング。


その男と目があったオリヴィアは、気づけばその場を逃げ出していた。


「オリヴィア、今日のスープは美味しいわね」

「はい、お母様」


その日の夕食の味はよく覚えていない。母のいう美味しいスープが、私にはただの暖かい塩水にしか思えなかった。母の顔が、よく見れなかった。


…それが、母との最後の会話だった。


まず始めに、目に焼き付いたのは赤。次に、鼻腔に張り付く生ぬるい鉄の匂い。母の胸元から生える無機質な短剣。白魚のような指が、赤黒く染まっていた。それが、オリヴィアの見たすべてだった。


アリシアは、自室で冷たくなっていた。


鍵のかかった部屋の中で、1人静かに。

家族に向けてしたためた手紙だけを残して。


―――…


「…お嬢様、屋敷に着きましたよ」


声をかけられたことで、自分が眠っていたことにオリヴィアは気付く。夢だとわかっていてもやはり、身内が死んだ現実を再度突きつけられるのは憂鬱になる。


「…わかったわ」


長い時間、馬車に揺られていたせいかオリヴィアの体はブリキ人形のように凝っていた。それに加えて、先ほとの悪夢も相まってオリヴィアの気持ちは沈んでいた。視界に入る母親譲りの灰色の髪は、どこか覇気がない。


(あれは、12の頃の出来事。私はもう16になって、4年は経ったのだから、いい加減、前を向かなければ)


「…私の周りが、幸せであるために」


一定のリズムを刻む馬車の揺れに紛れて、オリヴィアは独りごちる。暫くして馬車は停止した。開けられた扉をくぐり抜け、青々とした芝生と晴れ渡る青空に躍り出て、少し肌寒い空気を肺に取り込んだ。すかさず横からミモザが、オリヴィアの肩にショールをかける。


「ありがとう、ミモザ」

「いいえ、お嬢様。着替えの後は、旦那様の元へ向かわれますか?」

「ええ、帰宅の報告を」

「かしこまりました。では、すぐに準備を」

「長旅で疲れているのに、悪いわね」

「いいえ、お嬢様」


手早く着替えを済ませ、父スターチスのいる書斎へ向かう。数回、ノックを済ませてオリヴィアが名乗ると、扉が開いた。


「お父様、ただいま戻りました」

「おかえり、オリヴィア。あっちは寒くなかったかい?」


栗毛色の髪を乱れることなくオールバックに纏めあげ、オリヴィアと同じ色の瞳が緩ませてオリヴィアの父スターチスは静かに微笑む。物静かな父は多くは語らず、ただオリヴィアの報告に耳を傾ける。


「以上が、今回の療養の内容ですわ」

「オリヴィア、よく頑張った」


 ただ、とオリヴィアは言葉続ける。その先を察して、スターチスは片手をあげてオリヴィアの声を遮る。背後のスターチスの執事が、壁にかけられた国内外の勢力図を広げる。琥珀色の二つの双眸は、自然とそちらに滑る。


「わかっている。最近のオーキッド家の動向だろう?マクベス家との技術提携、その後の私たちルートレッジ家との10年以上の婚約解消、まだ大きな混乱はないが市場に少なからず影響が出始めている。そして、今回の国境付近の次期国王率いる偵察部隊の急襲」

「はい、他国との貿易が盛んなオーキッド家と一代限りですが技術開発に優れたマクベス家の連携。さらに、オーキッド家は王家の分家、有事には政権に関わる権利且つ次期国王候補がない場合の継承権を与えられています。エドワーズ様は候補ではありますが、現状この国は有事でも無ければ、次期国王候補がいないわけでもありません」

「そうだ。それにオーキッド家当主は王国の大臣と懇意にしている。とくに、防衛大臣と」

「オーキッド家は4代前の国王の愛人との間に出来た子の家系、貿易は他の貴族より優遇されています。また、外交の円滑をはかる一面も持っています」

「…ここで1つ、疑問が浮かぶ」


スターチスは、勢力図を睨むオリヴィアの顔を見つめる。その頼もしさと容姿は妻を彷彿とさせ、まだ幼い娘にここまで強がらせるまでに至る経緯に胸を痛めると同時に、寂しさを覚えた。決して父に甘えない距離と言葉遣い。


「はい。なぜ、私たちルートレッジ家との関係を切ったのか」


オリヴィアは"ああ"言ったが、あの言葉は事実上の社交辞令。彼らが本当に困って訪ねたところで、療養中だの病弱の身であまり騒がせたくないといった理由を並べ立て、門前払いするための口実である。


「あくまで私たちは中立。私たちが騎士と軍兵の教育及び軍略に関わっている限り、一切の協力や情報がないと思ったのだろうな」

「さらに、マクベス家エリザベス様とエドワーズ様は互いに盲目なほど傾倒しあっておられます」

「それこそ、周りが見えないほどに、か」

「はい」


昨今のオリヴィアの同年の娘は、エリザベスのように宝石や舞踏会に胸を馳せているのに、当の本人は学問に打ち込んでいる。婚約破棄を申し込まれた日は、侍女によると泣いていたと聞く。


「オリヴィア、君はエドワーズくんを愛していたか?」

「…わかりません。でも、これだけはわかりました。私は、エドワーズ様となら皆が幸せになれる未来があったと。それこそ、母が望んだような」


琥珀色の瞳が静かに閉じられる。その言葉を聞いて、スターチスは灰色の髪を撫でるほか術はなかった。





―――


新たな登場人物

●アリシア・ルートレッジ(旧姓アリシア・メーティス)

オリヴィアの母であり、スターチス・ルートレッジの正妻。今は亡き隣国ヴィタ王国の貴族。

灰色の髪と青の瞳をもつ。


●スターチス・ルートレッジ

ルートレッジ家当主。オリヴィアの父であり、アリシアの夫。

栗毛色の髪とべっ甲色の瞳をもつ。


花言葉

●カスミソウ

「清らかな心」「無邪気」「親切」「幸福」

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