2、ローマ建国とモーセ

 航海は順調だった。ペロポネソス半島の南岸を旋廻し、また多くの島に寄港しつつ船は進み、イオニア海の横断に入った。

 そして出航から三日目、ウタリがどうも調子が悪いと言いだした。時折戻したりしている。顔は蒼白になり、全身がだるくて立てないようだ。イェースズは、付き切りでウタリの看病をした。ウタリが吐くと、「体内の汚い物を、どんどん排泄させて頂こう」とウタリに手をかざし、ウタリはそれでだいぶ楽になったようだった。

 十三日目の朝、とある港にと船は入っていった。だが、大きな都市などその港にはなかったので、イェースズは不思議だった。


 もうすっかり、本格的な夏だった。目指すローマは港から内陸に少し歩くということで、道理で港に大都市がなかったのだ。

 ローマまでは歩いても一日はかからないとのことだったが、港に着いたのが夕方だったのでその小さな港町の船宿で一泊し、翌朝三人はローマへ続く石畳の街道を進んだ。

 とにかく広い。緑豊かな地ではあるが一面の麦畑で、ところどころに木々が生えている程度だ。そしてどの方角を見ても山がないのである。それがとてつもない開放感を味わわせてくれた。

 そして夕方前には行く手に小高い丘が横たわり、そのすべてが城壁で囲まれた巨大な都市であるようだった。

 ついにローマに着いたようだ。

 城門をくぐった。

 何もかもスケールが大きく感じられた。町の大きさ自体がエルサレムの何個分に相当するのか、計ってみないと分からないほどだった。エルサレムにいたらガリラヤは田舎だと感じるが、ここではイスラエルの地の全土が田舎となってしまう。

 なにしろ地中海沿岸すべてを統治する大ローマ帝国の都なのだ。イェースズたちが目を見張ったのは、巨大建築群だった。宮殿、大浴場、競技場など、その一つ一つがすべてエルサレム最大の建築物の神殿よりも大きく、しかもそれが町中に無数に点在している。

 たいていは入り口部分が数本の巨大な円柱に支えられた白亜の石造りで、二階建てどころか三階建て、四階建てもある。民家はギリシャのような白壁ではなく赤茶けた土造りで、どの家も傾斜のある屋根があった。

 エルサレムで反ローマの戦いを企てて燻っている熱心党ゼーロタイなどがこの風景を見たら、自分たちがいかに無謀なことを考えているかと分かって尻ごみするに違いない。

 それでも、熱心党ゼーロタイなどはローマといえば悪の塊のように思っているが、このローマの地にも同じように泣いたら笑ったり、ささやかな生活をしながら日々を送っている全く同じ人間である民衆が暮らしているのだ。

 そんな人々の雑踏の中を三人で小さくなって歩きながら、この地でしなければならない霊的使命をイェースズは考えていた。

 

 城壁は内と外の二重になっていて、内側は共和制時代のものだということだった。街道は見事な石畳で、軍用道路のようだ。外壁の門をくぐり、さらに内側の門をくぐると、すぐに視界を大競馬場が遮った。その背後が皇帝の宮殿で、そういった巨大建築の間におびただしい人々がいる。だが、すべてが市民とは限らず、肌の黒い奴隷もたくさん使役されていた。

 今、この町の宮殿の中に、ローマの皇帝アウグストゥスのティベリウス帝がいる。そのローマ皇帝と同じ町にいて同じ空気を吸っているわけだが、イェースズにはそれ以上に重苦しくのしかかってくるものがあった。

 この町の霊界を支配しているのは、副神系統のいちばんの頭目の女神で、かつて天地創造の国祖神の隠遁を策謀したのもその神なのであった。何かに抑えつけられている感じと、監視されている感じをイェースズはぬぐいきれなかった。

 ヌプとウタリはそのようなことは関係なく、珍しがってあちこち見物して回っていたが、とにかく宿を探さねばならない。ローマの人口はこの時すでに百五十万を突破しており、そのうちユダヤ人の数も数万人に上っていた。彼らは市内の数ヶ所に自分たちのユダヤ人街を持ち、会堂シナゴーグも建てていたが、帝政になってからしばしば弾圧の対象となった。彼らが、皇帝崇拝を拒否したためである。

 イェースズは、あえてそのユダヤ人街には行こうとはしなかった。もはやユダヤという一民族にこだわるイェースズではなかったからだ。ローマ市民の日常語であるラテン語をイェースズは知らなかったが、不自由はなかった。相手がしゃべったことは想念を読み取れば分かるし、また日常使ってはいないにしろ、ギリシャ語が分かる人もだいぶいる。

 市の西側をティベリ川が蛇行し、川向こうにも一部の市街は広がっている。そこがトラスティベリと呼ばれる市民の住宅地で、その中にイェースズ一行は宿を見つけた。このあたりはローマの先住民族のエトルリア人の居住地でもある。川は大河というほどではない普通の川だがちょっとした幅があり、橋が何本もかけられていた。それらは皆見事な石造りのアーチ橋で、ローマの建築水準の高さが伺われた。

 イェースズがこれまで見た最大の都市はシムの都のティァンアンであったが、ここはそれをも遥かにしのいでいる。

 驚いたのは水道が発達していることで、水というのは川か井戸に女が瓶を持って汲みに行くものだというユダヤの常識は、ここでは軽く覆されている。だから市内は川から離れた所でも水が豊富で、到る所に噴水のある泉が見られた。どんな乾季でも、この都市の人は水には困らなさそうだ。

 

 ティベリ川は、市民たちの憩いの場で、恋人同士や夫婦で無数の小舟をその川面に浮かべ、午後の日ざしの中でそれぞれがのんびりとくつろいでいる。

 微笑ましい光景ではあるが、支配者の都と被支配者の都の差が歴然と感じられる。エルサレムには、決してこのような市民の娯楽の場はない。劇場も競技場も、進駐しているローマ兵のためのものだ。

 ところが、その平和なはずのティベリ川で、騒動が起こった。ちょうどイェースズがヌプやウタリと共に、川岸を散策していた時だ。人々は大騒ぎして、一定方向に向かって駆けていく。

 イェースズたちも行ってみた。人々が口々に騒いでいるが、言葉が分からない。そこでイェースズは、特に激しく人々に向かって事情を説明しているらしい男の想念を読み取ってみた。すると、小舟がぶつかって、そのうちの一つが転覆したということのようだった。

 ギリシャでも船が転覆したのだが、自分の行く先々よく船が転覆するものだと、イェースズはすぐに川へ飛び込んだ。だが彼は泳ぐのではなく、そのまま水面上を歩行して転覆した小舟に向かった。そして川に投げ出されていた若い男女を引き上げ、両脇に抱えてそのまま川面の上を歩いて岸まで戻った。

 目の前で起こった信じられない光景を目の当たりにした多くの人々は、ただただ言葉を失って体を硬直させていた。

 岸に着いてからまだ状況がのみこめずにいる助けられた男女のうち、男がイェースズの顔をはじめて見た。そして、

「あ、あなたは!」

 と、ギリシャ語で叫んだ。

「あの、ユダエアのエルサレムの神殿で人々の説法をされていた方ではありませんか?」

 少なからず、イェースズも驚いた表情を見せた。

「エルサレムに行ったことがあるのですか?」

「はい、私はずっと千人隊としてユダエアに派遣されていまして、この間やっと帰ってこられたばかりです」

「そうですか」

 イェースズも、旧知に再会したような喜びの笑みを見せた。

「あなたのお話を、私はずっと人々に混ざって聞いていたんです」

「アラム語が分かるのですか?」

「いえ、実はあなたのお弟子さんが、いつもわざわざ私にあなたのお話をギリシャ語に訳して話してくださっていたのです」

 使徒の中にそういう気のきいた人がいたというのは、イェースズにとって驚きだった。ギリシャ語が分かるといえばトマスかマタイかピリポか、しかし今はそんなことを詮議してもしょうがない。

「でも、言葉は分からなくても、あなたのお話の波動というか、ものすごい力を感じたのです。それで、私はずいぶん救われた気がしました。それなのにこの地でまたあなたに救っていただけるなんて、偶然とはいってもあまりにも」

「世の中に偶然というものは一切ありません。これが御神縁というものですよ。エルサレムであなたが私の話を聞いたということ自体が、御神縁の始まりなんです。だからこそ、必然的に救われたのかもしれませんよ」

「本当に有り難うございます。私、クラウダスといいます」

 クラウダスと名乗った男は、涙を流し始めた。いっしょの助けられた女も、また泣いている。気がつくと、その周りにはものすごい数の人で人垣ができていた。ローマの人々は冷静で、突然現れた異邦人の顔の男の水上歩行という不思議な現象を見ても、それで預言者だとかなんだとか騒いだりはしない。ただ、純粋に驚いていただけだった。

「あ、でも!」

 突然、クラウダスが声を上げた。

「そうだ、あなたは確か十字架にかかって……」

 イェースズはそれを笑みで制して、集まった人々の方に柔らかな笑顔を見せた。

「ローマの皆さん」

 イェースズは人々に、ギリシャ語で話しかけた。ギリシャ語が分からない人は立ち去りかけたが、クラウダスが、

「待って! 帰らない方がいいですよ」

 と呼びかけて、イェースズの言葉を同時にラテン語に通訳し始めた。イェースズは安心して、ギリシャ語で話し続けた。

「この方は今、十字架で私が亡くなったのではないかと尋ねたのですけど、私は生きているとだけ皆さんにはお話しておきましょう」

 十字架刑はローマの刑法とはいえ、平和に過ごすローマ市民には無縁の言葉だったようだ。誰もが首をかしげている。かまわず、イェースズは続けた。

「皆さんは、多くの神々をご存じですね。そして神様はこれまでそのような神々や半神半人デミゴッドの口を通して教えをお伝えになってきましたけど、これからは人間の口をお使いになります。私も人間です。私の口を今、神様はお使いになっているのです」

 ローマ人といえばかつて自分を処刑しようとしたのもローマ人だし、弟のイスカリス・ヨシェを身代わりとも知らずに処刑してしまったのもローマ人の手によってだった。だが、今の目の前にいるローマ人たちは、皆実に善良な人々だ。政治的にローマ帝国という国がどのような国であれ、また霊的にもこの国の霊界には副神系統の神々が支配し、邪神も多く控えているのだとしても、そこで暮らす一人一人の人間は皆神の子であり、いい人たちばかりであった。

「やがてこの地にもいい知らせ、福音が告げられる日が来るでしょう」

 イェースズはそれだけ言うと、その場を後にした。ヌプとウタリが慌ててそれを追った。

 

 イェースズがローマで人々に話したのは、あとにも先にもそれきりだった。それから数日間、イェースズはまたローマ市内を歩き回っていた。案内役は小舟の転覆からイェースズに助けられたクラウダスだった。だが、イェースズとしては見物をしているわけではなかった。自分がこの地でしなければならない霊的使命を行うにふさわしい場所を探していたのである。

 イェースズたちが投宿している所から見てティベリ川の対岸は、丘となっている。イェースズたち三人とクラウダスはティベリ川の岸辺に立ち、対岸のそんな風景を見ていた。その丘の上にはおびただしい数の、豪華で巨大な邸宅が立ち並んでいる。いずれも貴族の邸宅で、その中央にひときわ高く先代皇帝アウグストゥスの宮殿が残っている。だが、当代ティベリウス帝の宮殿は、この丘の向こうとなる。

 観光案内よろしく、クラウダスがイェースズにそう説明した。この丘の左の方は低地となっており、そこがローマの政治の中心地で、元老院はじめ裁判所、市場、数々の神殿が立ち並んでいるという。確かに川向こうの繁る木々越しに、多くの屋根が見え隠れしていた。

「この丘がパラティーノの丘で、ずっとずっと昔のローマの発祥の地なんですよ」

 木々が生い茂る川向こうを指さすクラウダスに、イェースズはうなずいて聞いていた。そして、

「ずっと昔って、どれくらいですか?」

「約八百年ほど前ですかね。ロムルスという王があの丘の上に建てた小さな集落が発展して、今の大ローマ帝国になっているんです」

「そうですか」

 イェースズは口元に笑みを含ませ、うなずいていた。そして少し間をおいてから、

「ローマの建国は八百年ほど前って言われたけど、本当はもっと古いですよ」

 と、言った。クラウダスは意表を突かれたように、驚いてイェースズを見た。

「古いって……?」

「そうですね。千二百年か千三百年ほど前でしょう」

「え? どうしてそんなことがいえるのですか? ロムラスというのはイリオスのアエネアスの十四代の子孫ですから、そんな昔だとむしろそのアエネアスの時代になってしまうのではないですか?」

「おそらく伝承では、アエネアスの時のローマ建国で本当はロムラスが活躍したのに、ずっと後世のことになってしまったんでしょうね」

「なぜ、分かるんですか?」

「ロムラスというのは、我がイスラエルの民の祖先でもあるモーセその人だからですよ。ロムラスとは、モーセの別名です」

 クラウダスは、しばらくイェースズが何を言っているのか分からずに、ぽかんと口を開けていた。

「つまりイスラエルはモーセの末裔、ローマもまたモーセつまりロムラスの末裔。そういうことは、イスラエルの民とローマの市民は、祖先を同じくする兄弟ということですな。まあ、今では顔つきはそれぞれ全く変わってしまいましたけどね」

 イェースズは高らかに笑った。慌てているのは、クラウダスだ。

「ちょっと待って下さい。どうしてそんなことが分かるんですか? あなた方の聖典に、そう書いてあるんですか?」

「いえ」

 イェースズは首を横に振った。

「書いてはありませんが、実は私はモーセとは霊界で、直接お会いして話をしていますから間違いありません」

 こうなるとクラウダスの理解の範疇外だったが、エルサレムでの話を聞いてイェースズに感化されていたクラウダスは、ス直にその言葉を受け入れた。

「しかし、そんな話……」

「分かっています。あなただからこそ話したんです。ローマでは、ほかの人にはこんな話はしませんよ」

 イェースズは再び、大笑いをした。

 そしてイェースズは、その場を後にした。対岸が今のローマの中心地だと聞いても、イェースズの霊勘には何も響かなかったからだ。

 そしてイェースズは何かに導かれるままにティベリ川に沿って北上し、川が右に湾曲するあたりで歩を止めた。もはやトラスティベリを出ており、ローマの市街の城壁よりも外であった。珍しく空は曇っている。そこにはただ広々とした草原があるだけで、何もなかった。周囲を見渡しても、視界を遮るような高い山はなかった。大地がどこまでも続いている。そして、東の川向こうにはローマの市街が横たわっている。

 しかし彼の目には、肉眼では見えない何かが見えるような気がした。そして彼の前に現れたビジョンは、ただの広い草原であるはずの所に実に巨大な楕円に細長い競技場が見えはじめたのである。近い将来、このような巨大建築がこの場所に建てられる、そんな予見だったのかもしれない。

 だがそこで行われているのはただの競技ではなく、人々の殺戮だった。しかも残虐に殺されている人々は、自分の信奉者のようだ。競技場の外に、そんな人々の墓が建てられた。

「ペトロ」

 と、イェースズはつぶやいていた。なぜ自分がそうつぶやいてしまったのか、イェースズ自身にも分からなかった。この場所が、遥か遠い東の国にいるはずのペトロと、何かしら因縁があるような気がしてならなかったのである。

 イェースズはここでも、ギリシャでしたのと同じように両手を霊界に向けてかざした。だが、正神系統の大神様がその霊界に隠遁されているギリシャと違って、ここの霊界は副神系統の水・月の神の大親玉の女神が支配している。だから、霊界に火・日の神の霊流を放射することは危険でもあったし、またしなければならないことでもあった。

 現界的にモーセ・ロムラスによって建国されたローマだが、この地の霊界に居を構えた女神は金毛九尾などの邪神や超太古以来の人類の物欲、支配欲の念が凝り固まって発生した思凝霊などの邪霊を使って「ヨ」の国の拡大を図っていた。

 だが、この女神は決して邪神だというわけではない。そもそも天地創造が終わったあと、国祖の神の命でこのヨモツ国を修理固成したのはほかならぬその女神であったゆえに、その拡大を図るのは当然であったが、なかなか思うようにならなかった。

 ローマがこのような巨大な帝国になる礎を築いたのは皮肉にもギリシャに隠遁していた正神系統の大神のみ魂を分けみ魂と受けたカエサルであったが、帝国を完成させたのは副神の女神自身の分けみ魂を持つオクタビアヌス、すなわち先帝アウグストゥスだった。

 副神系統の親玉とはいえ、天地創造のみぎりは国祖神の統率のもとに共に働いた功績ある大天津神である。そして今や、本来なら自分の配下であるはずの金毛九尾や思凝霊空もややをすれば反抗されている女神で、そういった神霊界の状況もイェースズは熟知していた。

 邪神邪霊は副神系統の神々のいうことすら聞かないようになりだして、暴走しようとしている。しかし、現界的にはまだ遠い将来、東西の霊界がこの地にて融合し、火と水が十字に組まれ、火・日の正神と水・月の副神も十字に組んで再び限定のみ世になることもイェースズは知っている。

 自分は神の実在も知らず、人間と神のつながり、魂の因縁も知らない多くの人々に神の実在を知らしめねばならないということも、イェースズは十分に自覚していた。それが彼の使命である。

 人々が勝手に神より離れるその度合いがキツクならないよう、まずは歯止めをかけねばならない。

 そしてフトマニ・クシロで霊的防御網をも張りめぐらすのも彼の使命だ。

 自分が生まれたイスラエルの民の使命は、地上の物質開発である。副神の神々は、物質開発には長けている。だからこのヨモツ国は将来、物質文明が栄える地となるはずだ。そんな中に正神の神の教えとミチを、イェースズはまずは点じた。

 そしてこれからすべきことは、霊界の大ひっくり返しである。イェースズは周りの四方八方、十六方に向かって両手をかざし続けていた。その顔は、真剣そのものだった。物質文明の国に、歯止めの神のミチを点じた。物資開発が使命のイスラエルの民として、東西の融合地のイスラエルの地に自分が生まれさせられた意味もよく分かる。

 その時、空に閃光が走って雷鳴が鳴った。それは段々と激しくなり、光と音の間隔が近くなって、ついに爆音とともに空が炸裂し、今妻はローマ市街の方へ走った。

「ヤマタケヒメ大神、怒りたもう」

 イェースズはつぶやいて、その怒りを鎮めるべく手をかざし、そして強く念じた。水の系統といえども、決して悪ではない。そもそも宇宙の大根元の神様は、善悪などお創りになってはおられない。火のタテの働きあって、そこにヨコの水の働きが十時に結ばれてすべてのものは生成する。水の働きというのは、実に重要な働きなのだ。

 水の世とはすべてが天地初発の時からの神様の経綸の一つであり、今は金毛九尾などの邪神・邪霊が跋扈しようとも、その中心となる水の副神の神々は悪ではないので、イェースズはその今は一見悪とも見えるその存在をすべて抱き参らせる覚悟でいた。

 今の世は神の経綸も知らずに、自在の世にあって勝手に神より離れ、欲心に操られた人々が火と水のホドケの世を招来せしめてしまっただけである。水の世は悪の世ではない。あくまで火がタテであり主であって、水はヨコ・従であるということだけである。

 ヌプとウタリはそんなことも知らずに雷鳴におびえて縮こまっていたが、恐る恐る目を上げるとイェースズの姿が光っていた。そして激しい音ともに、大雨が降り出した。ところがイェースズの上空だけ丸く雲の穴が開き、そこだけ雨が降らなかった。ヌプとウタリが驚いて顔を挙げると、

「ここに今、目に見えない火柱を打ち建てたのだよ」

 と、イェースズはヌプたちに説明した。

「この地はエルサレムと同じくらい、今後の人類にとって重要な土地になる」

 ヌプもウタリもわけが分からず、ただボサッとしていた。

「神様は五色織りなす立体文明をお望みで、人類を洋の東西に分けられたんだ。そして水の世にあって水の神が統治するこの国では、私の教えも水の教えになってしまうだろうね。だけど、それでいいんだ。とりあえずは……」

「私たちの国は、日の国ですよね」

 と。ウタリが顔を挙げて言った。

「そう、日は火でだ」

 ギリシャ語でこのことを表すのは、おそらく無理であっただろう。だが、ヌプたちとの会話で使う言語では、すんなりと表せる。

「やがて神理のみたまが降ったら、ここで東西の霊界が結ばれる」

 そのへんになるともう、イェースズがしゃべっているというよりも、口をお使い頂いているという感触になった。頭では何も考えずとも、どんどん言うべきことを神様が言わせて下さっているという感じだ。

「神理のみたまのさきがけ救世主メシアとペトロの後継者は、この地でしっかりと手を結ばれる。ずっとずっと先のことだけどね。さあ、この地で私が成すべきことは終わった」

 イェースズは大きく息を吸った。

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