020 人妻に囚われてしまいます。

「だから、これでお別れ……」

 公彦は驚きこそしなかったが、簡単に受け入れることも難しく、思わず自身の胸に手を伸ばしていた。

「お互いにもう、会わない方がいい。火遊びはこれで終わり……自分で炎上させたんだから、分かるでしょう?」

「……二度と、ですか?」

「そ、永遠のお別れ」

 ようやく、未晴の顔に笑みが戻ってきた。しかしその笑みは薄く、儚げな雰囲気に包まれている。

「別に会う理由もないでしょう? 元々は無関係な赤の他人、おまけに私はもう大人だけど……公彦君はまだ子供なんだから、さ」

 立ち上がろうとする公彦だが、未晴が距離を詰める方が早かった。その動きを見て、浮かしかけた腰を戻してしまう。

「ちゃんと好きな見つけて、幸せになってね」

「未晴さんは……」

 その先を、公彦は口にすることができなかった。

 公彦自身、とっさに口を開いたので、何を言おうとしていたのかは分からなかった。


 もしかしたら、未晴のことを心配していたのかもしれない。

 自覚が遅れたとはいえ、最愛の伴侶がいなくなったのだ。今はもう、彼女を支えるものは何もない。今後は何をどころとして生きていくのか、心配になって声が出てしまいそうになってもおかしくない。


 もしかしたら、自分を選んでくれないのかと聞こうとしていたのかもしれない。

 きっかけはナンパだったとはいえ、これまでの関係は良好だと言える。本来ならば今頃警察署の世話になるか殺されていてもおかしくないのに、引っ越しの手伝い程度で済まされているのだ。多少は己惚うぬぼれてもいいだろう。


 他にも、考えられることはいくらでもある。

 しかし突発的に思いつく考えなんて、この程度でしかない。所詮は人間だ。自分か相手のことを考えるのがせいぜいだろう。


 そして、この状況はどちらになるのだろうか。


「っ……!?」

 突然だった。

 唇を塞がれ、舌を差し込まれてしまい、言葉を封じられたのは。

 公彦の舌も動くが、あくまで未晴のものに合わせてだ。むしろ、その動きに従わされているというのが近いかもしれない。

 顔に手を添えられて背けることもできず、成すがままにされて数分後に、公彦はようやく解放された。

「じゃあね…………」

 口元から少し零れるよだれをそのままに、公彦は立ち去る未晴を見届けた。


「…………ま、そう簡単にはさせない・・・・けどね~」


 つやのある唇から漏れ出た意味深な捨て台詞と、立てられた中指も含めて。




「そっか……その人はもう?」

「ああ……行ってしまった」

 未晴と別れた後に訪れた休日、公彦は萌佳と共に、以前訪れた自然公園まで足を伸ばしていた。

 人気のない適当な芝生の上にシートを敷き、萌佳が作ってきた弁当を口にするが、公彦の口にはあまりおいしさを感じられなかった。

 萌佳の料理がまずいのではない。未晴がいなくなって生まれた虚しさからか、公彦の味覚が正常に機能していないからだ。

「それにしても拍子抜けだな……」

「捕まるよりはいいと思うけど……」

「……まあ、たしかに」

 公彦はシートの上に寝そべりながら、天空を見上げた。

 隣に腰掛ける萌佳に見下ろされながら、公彦は寝るでもなく、ただ味のしないおかずに指を伸ばしては、摘まんで口に運んでいく。

「…………なあ、萌佳」

「何?」

 ふと、口におかずを運んでいた指を唇に這わせながら、公彦は萌佳に視線を向けた。

「女にとって……別れ際に二度と会う気のない相手にキスしていくのって、何か意味があるのか?」

「……されたの?」

 萌佳がそう問いかけるも、公彦は顔を背けるだけだった。

 それ自体が回答となってしまうが、今の公彦には答える気力もない。

「まあ、普通に考えるなら……これで最後、って区切りをつけるためだと思うけど…………」

「そうだよな……」

 なんだかんだ言いつつも、公彦と萌佳はまだ高校生だった。人並みの恋愛自体、未だに経験がない。萌佳の解答だって、本人の推測も含まれての発言だろう。

 だからこれ以上考える意味はない、と公彦は目を閉じた。

 萌佳はそんな公彦を見つめている。そして、唐突に言葉を漏らした。


「私は……公彦君のことが、好きです」

「……そっか」


 突然の告白だが、公彦は目を閉じたまま、萌佳の言葉を受け入れていた。

 なんとなくでも、公彦は萌佳の気持ちに気づいていたのかもしれない。

 それでも互いに何もアクションを起こさなかったから、純粋な気持ちよりも性欲からくる衝動で未晴との付き合いに発展してしまった。

 それ以前に、公彦に対する負い目もあったのかもしれないが。

「……と言われても、今は傷心中だから今度でいいか? 多分適当にOK出すから」

「それでも……いいよ」

 気がつけば、萌佳の顔が公彦に近付いていた。

 未晴の・・・ものとは違い、ただ唇を重ねただけだが、それでもキスだ。

「ぶっ!?」

 男子高校生を興奮させるには十分すぎた。

 公彦は目を開けるとそのまま萌佳の首を抱え、強引にシートの上へと押し倒した。人目を気にせず覆い被さり、上着越しに未晴より・・・・大きな胸を揉みし抱く。

 硬い下着にも覆われているが、公彦は気にすることなく萌佳の口腔内を貪る。

「ぅ、ん……」

 未晴とは違う・・・・・・不慣れな喘ぎ声を聞きながら、公彦は萌佳をもてあそぶことに興奮を覚え始めてきた。

 経験者の未晴・・・・・・とは異なる反応に自らがたかぶるのを感じ、


「…………ぇ」


 おもむろに、萌佳から手を放した。

「……公彦君?」

 萌佳に声を掛けられるも、公彦はただ地面に腰を下ろすだけ。先程までのたかぶりも、性欲も、ただ一人の人間の顔が浮かんでは気分が落ちていく。

「どうか、したの……?」

 服の中でずれてしまった下着を直さないまま、公彦に声を掛ける萌佳。

 しかし公彦は黙りこみ、ただ地面に視線を落としている。

「ねえ、公彦君……」

「悪い、萌佳……」

 公彦は立ち上がると、萌佳も立たせてから手早く弁当箱やシートを片付け始めた。

「……今日はもう帰ろう」




 萌佳を家に送り届けた後、公彦の足は自然と、未晴と別れた公園へと来ていた。

「…………」

 公彦は黙ったまま、ほんの数日前、未晴から唇を奪われた場所に同じように立ち尽くしている。

 思い出すのは、ずっと浮かんでいた未晴の顔だった。

(なんで……未晴さんの顔ばかり、浮かんでくるんだ?)

 公彦が萌佳を抱こうとすると、なぜか未晴のことを思い出してしまった。

 手を出す上では特に支障はない。けれども、あのまま抱くことは、萌佳自身を見ていない気がして嫌になった。だから公彦は、あの場を後にしたのだ。

(別に…………気にしなくても、いいよな?)

 未晴とは、もう二度と会うことはない。

 二人の道は完全に分かれた。


 なのに、なぜか忘れることができない。


「あのキスか……やられた・・・・

『…………ま、そう簡単にはさせないけどね~』

 公彦はようやく、未晴の置き土産の意味を理解した。




「ちょっと、もったいないことをしたかな~」

「何が?」

 公彦が公園で悩んでいたちょうど同じ頃、未晴はクロと名乗った男と共に、実家近くにあるリサイクルショップの駐車場にいた。

 数日遅れで家具の処分を済ませて一服している時に、未晴は缶コーヒー片手にそんなことを呟いていた。

「公彦君。死んだ旦那から乗り換えても良かったかな~、って」

「本気になりかけた・・・・・から、引いたんじゃないの?」

 同じく缶コーヒーを流し込む合間に漏れ出た声に、未晴の眉が少しの間だけ歪んだ。

「いい大人が、未成年に手を出すのはまずいって……お互いに・・・・

「……あんたさ。なんか雰囲気変わったよね、昔と比べて」

「それだけ歳を取った、ってことだよ」

(どうだが……)

 空き缶を片手に、未晴はもたれていたトラックから離れる。

「じゃあ帰るわ。ご苦労さん」

「はいはい」

 買取金額の一部をクロと名乗った男に手渡してから、未晴は家路に着いた。

(……未成年こども相手に、罰が重すぎたかな~)

 残りの金額を財布に仕舞いながら、未晴は唇を指でなぞりながら考え込む。

 ……別れ際にキスをしたのは、ちょっとした嫌がらせに過ぎない。

 男は夢想家ロマンチストで女は実際家リアリストという考え方はあるが、結局は人生経験の質だ。生きていく中でどれだけ夢見がちのままでいられるのか、もしくは現実を見据えるようになるのか、それだけでしかない。

 そして、子供であるほど現実が見えていない時もあり、そのせいで犯罪という無茶をするようにもなる。

 だから夢見がちな分、人は妥協を覚えず、理想を追い求め続けてしまうだろう。

 そう、公彦が未晴以上に刺激的な性体験をしない限り、彼が誰かを愛することはできない。

 ……未晴以外には。


「…………りた、もう火遊びはしない」


 そう独りちた未晴だった。




 ――――――――――




 あとがき『悪く言ってしまえば打ち切りです』


 ……本当はもう少し、どろっとした終わり方を考えていました。

 最後に未晴との別れづらさを出してから、公彦が未晴理想を追いかけるか、それとも萌佳現実を受け入れるかという展開に持っていきたかったのですが、これ以上更新が滞るのも良くないと考え、これにて完結とさせていただきます。

 リアルの方で少しトラブルがあり、執筆活動にまで時間が割けず、更新が遅れてしまいすみませんました。

 不定期な更新ながらも、最後までお読みいただきありがとうございました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人妻と付き合っています。 桐生彩音 @Ayane_Kiryu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ