011 人妻が酔っ払っています。
ゴロウから紹介されたのは、若干印象の薄い青年だった。
しかし仕事に関しては誠実なのか、必要な情報だけを受け取ると、経費の件は一度保留にしてくれた。後程請求するとは言っていたが、それでも金銭のかかる手段を使うのは最後に回してもらえたのは、公彦にとっても助かる。
最初の交渉を終えた公彦は、放課後ということもあり、そのまま家路へと着いていた。
交渉時に必要かと自室の金庫からいくらか隠し持ってきていたが、それも無駄に終わったので、大金には手を付けていない。その状態で出歩くのも物騒なので、今日は帰るしかなかった。
……と、歩いている時だった。
「あっれ~……公彦君じゃん」
「未晴さん……」
その調査対象である未晴が声を掛けてきたのは。
「って酒臭っ!?」
……アルコール検知に引っかかるほどの呼気を吐き出しながら。
「はっはっは~ごめんね~……」
よく見ると、薄闇の中でも未晴の顔が赤く火照っているのが分かる。その表情に妙な
「結構飲んでますね……」
「ぃやぁ~旦那がいないとどうもね……ちょっと酔い
「いや、送りますよ。危ないからもう帰りましょう」
肩を貸すほどではないが、そのまま放置して勝手に歩かれるのも怖い。
とりあえず公彦は未晴の隣を歩いて、危なくなったら引き寄せられるようにしていた。
「今日はどうしたんですか?」
「ん~……ちょっと
夜風が火照った身体に涼しく感じているのか、気持ち良さそうに未晴は歩いている。
「普段は飲まない方なんだけどさ、たまぁに、飲みたくなっちゃうんだよね~」
「……美味いんですか、お酒って」
「人によるかな~」
おぼつかない足取りだが、意識までは
「駄目な人は全然駄目だし、相性いい人とかはバカスカ飲んじゃうし……私は気が向いた時以外は飲まな~い」
「それ、普段から飲んでいるより怖いんじゃあ……」
アルコール中毒の例もあるが、普段から節度を持って飲み慣れていれば、多少は増えても
身体を慣らしている方が、かえって安全だったりするのだ。それに飲み慣れてさえいれば、自身の限界値も分かるので、そこで踏み
しかし見ている限り、未晴は本当にギリギリのところで踏み
「大丈夫大丈夫~行ってたの旦那との通いつけだったから、飲み過ぎない前に追い出されたし~」
「思いっきりお店に迷惑かけているじゃないですかっ!?」
「ケラケラケラケラ……」
何がおかしいのか、未晴は腹を抱えて笑い出している。
公彦も未晴をこのままにしては置けないと、一先ず見えてきた公園に運び込む。ベンチで休ませようかとも考えたが、何故か酔っ払いの足は止まらない。
「……未晴さん?」
「ごめん公彦君……ちょっと待ってて…………」
「……………………吐く」
公園内にある公衆トイレに駆け込んだ未晴は、男女共用の多目的トイレの中へと入り、オストメイト用の汚物洗浄台の方にゲロゲロと吐いた。本来とは違う用途なのだが、すでに夜なので人の目は公彦のものしかなく、苦情を言う者は一人もいない。
「公彦君……扉閉めて…………うぷっ!?」
「未晴さん、もう見たから一緒ですって……」
背中を
大抵の男ならば女が吐いた時点で少し距離を置くものだが、公彦の場合は違った。
(萌佳の奴も、昔は乗り物酔いとか酷かったからな……)
酒と乗り物と原因は違えど、酔った人間の介抱には慣れていた。だから公彦も未晴が洗浄台に
「ちょっと水買ってきますんで、少し待っててください」
「う~ん……あればぬるめでよろしく…………」
普段とは違って気が抜けている未晴をそのままにして、公彦は自販機ではなく、近くのコンビニまで走っていった。
**********
「……ぷはぁ~生き返るぅ」
「それなら良かったです……」
常温になったミネラルウオーターを飲み、ある程度酔いが
「いやぁ~助かったよ公彦君。まさかここまで酔っちゃうなんてね……」
「あの、未晴さん……」
その時ふと、疑問に思ったことを公彦は口にした。
「……未晴さんから会いに行こう、とは考えないんですか?」
「旦那に?」
「旦那さんに」
その言葉を聞き未晴は、んっ、と指を口に当てながら考え出した。
「別に考えなかったわけじゃないんだけど……会社に連絡しても仕事の都合か、『問い合わせには応じかねます』としか答えてくれなくってね~。旦那も単身赴任する前に何処へ行くかとかは教えてくれなかったし」
「そうですか……」
もしかしたら、人探しを依頼したのは正解だったかもしれない。
内心複雑な公彦だが、未晴は気にせずスマホを取り出して画面を操作していた。
「せっかくだし電話してみよ~」
「旦那さんに?」
「旦那に」
何か言われたりしないか、と公彦が身構えるのも気にせず、未晴はメッセージアプリの無料通話を発信する。しかし相手が応答しないのか、数コールしてからあっさりと切ってしまった。
「駄目か~何度電話しても音信不通なんだよな……」
「アプリじゃなくて実電話は? 留守録とか」
「駄目。お金掛かるから、どっちも入れてないのよ」
世知辛い世の中である。
キャリアにもよるだろうが、留守番電話自体がサービス化し、通常の電話で録音するには通話料にプラスしなければならない。これも通話無料アプリが一般化したせいかとも思うが、もしかしたらSIMカードのフリー化が影響しているのかもしれない。詳しい話は詳しい人に聞いて下さい。私こと桐生彩音には分かりません。
「まあ、反応しない以上無駄だろうけど、久々に実電話してみますか~」
「全然電話しないんですか?」
「バイトも今はアプリだけだし、問い合わせとかなら家電で済むしね~……」
……しかし、その通話は繋がらなかった。
「未晴さん……?」
「……ごめん、公彦君」
気の済むまで吐き、水も飲み干し、おまけにスマホから流れてきたアナウンス。
それだけの材料がそろったからか、未晴の頭から
「もう帰るね。今日はありがとう……じゃ」
手を振り、あっさりと背を向けた未晴に、公彦は何も言えなかった。
流れてきたアナウンスは、公彦の耳にも聞こえてきた。
「あれ、絶対……聞いちゃ駄目なやつだろ」
公彦はしばらく、ベンチに腰掛けたままじっとしていた。両親が帰る時間帯まで、一切動かずに。
「とりあえず見つけたら……旦那殴ろう」
本来ならば公彦にとって、まったく関係のない話だが、それでも許してはいけないと考えてしまう。
未晴はいつも、メッセージを出しても既読がつかないとぼやいていた。当たり前だった。無料通話が繋がらないのも、同じ理屈だろう。
『おかけになった電話番号は、現在
電話番号で無料通話アプリを使っていると、解約してもしばらくはそのアカウントが残るのは、たまにある話だった。
結論はただ一つ。
未晴の旦那は、携帯を解約していたということだ。
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