010 屋上で考え事をしています。

「いい天気だな……」

 放課後。公彦は学校の屋上にいた。

 危険なので普段は立ち入りを禁止されているが、正当な理由があれば鍵を借りることができる。今は美術部の活動中である萌佳が許可を取り、キャンパスに風景画の下書きを描いている。

 コンクール用の抽象画がしっくりこないらしく、今日の萌佳は気晴らしに別の絵を描いているらしい。公彦はその様子を眺めながら、屋上の落下防止策にもたれかかっていた。

 天気は快晴。しかし、公彦の内情はどこか晴れないでいる。

(未晴さん……)

 未晴とクラブやホテルで過ごした時間を思い出してはみるものの、浮かぶのは今まで見たことのない旦那のことだった。

(でも旦那さん、なんで連絡しないんだろう……)

 ホテルからの帰り道、未晴から聞いた旦那との現状を公彦なりに考えてはみたものの、何かがおかしかった。

 生活費を常に振り込むのは分かる。収入が途切れれば、それを理由に浮気を言及されてしまうからだ。しかし、その上で連絡をしないのはどういうことだろうか。

 連絡をしない、もしくはほどんとなくなるのは他にすることがあるか、興味が逸れているかの二択だ。そのため、連絡が途切れるというのも浮気のサインとなる。

 だから未晴の旦那が浮気を疑われないようにするには、生活費を振り込みつつも、連絡を絶やさないよにしなければならない、はずだ。

 しかし結果はどうだろう、旦那は生活費を振り込むだけで連絡一つ寄越さない。それどころか、メッセージアプリを確認している様子すらない。

 何らかの事件に巻き込まれた、とかではないと思う。それなら会社から連絡があるはずだ。連絡がない以上、少なくとも所在は把握していないとおかしい。

「いや、待てよ……」

 そもそも、未晴の旦那の仕事とは何か。

 公彦が未晴から聞いているのは単身赴任しているということだけ。仕事の詳細は知らないが、それでも一つだけ、疑問に思うことがある。

「……何で単身赴任しているんだ?」

 今、未晴が住んでいるのは公共住宅、低所得者向けの賃貸物件だ。

 そこまでいい仕事ではないだろうが、わざわざ旦那だけ単身赴任する必要があるのか。未晴は仕事をしていると言っても、アルバイトだからいくらでも融通は効くはずだ。

 短期間だけかとも考えたが、それなら未晴が寂しがるのはおかしい。単身赴任が終わるその日まで待てばいいのだから。

「何かあるのか……?」

「公彦君……どうかしたの?」

 気がつけば、萌佳が公彦の前に立っていた。

 一纏めにされた画具を見ると、もう下書きは終わったのだろう。公彦はなんでもない、と手を振って応えてから、立ち上がって軽く身体を伸ばした。

「ん、くぅ……終わったのか?」

「うん、一通り」

 気がつけば、陽光に赤みが差している。日暮れの近い証拠だ。

「私は職員室に鍵を返してから、部室に寄って帰るけど、公彦君はどうする?」

「ちょっと用事を思い出したから、校門のところで待っているよ」

 そう言って、公彦は萌佳と共に屋上から降りて行った。

 職員室へと向かう萌佳と別れた公彦は、そのまま校舎を出て高校の敷地から外へと出た。ただ電話をするだけなら美術部の部室でもいいのだが、内容が内容だけに、人に聞かれるリスクは可能な限り避けたい。

「この辺りでいいか……」

 公彦はスマホを取り出すと、ある人物に電話を掛けた。

「ゴロウさん、今いいですか?」

『……どうした?』

 公彦が電話を掛けたのは、バイトの雇い主であるゴロウだった。

『金が必要なのか? 悪いがバイトの予定はないぞ』

「いえ、違います。ちょっと人を紹介して欲しくて……」

『人?』

 電話越しに不思議そうな声が聞こえてくる。

 公彦は周囲に視線を巡らせてから、聞き耳を立てられていないことを確認してから、ゴロウに本題を話し始めた。

「ゴロウさんの知り合いで、探偵とか人探しが得意な人って、いませんか?」

『人探し? それは何人かいるが……どういう事情だ?』

「ちょっと気になる人がいまして……」

 それを聞いて、ゴロウは少し考えてから、言葉を続けた。

『この後いつもの所に来い。詳しい事情はそこで聞く』

「ありがとうございます。では後で」

 スマホの通話を切った公彦は、片付けを終えて出てくる萌佳を待った。

 少ししてから出てきた萌佳と帰宅した公彦は、そのまま家の中へと入っていく。

「ぼちぼち片付けないとな……」

 家には誰も居ない。

 せっかくの一軒家にも関わらず、人の気配がまったくない空間を歩き、階段を登って自室へと入る。クローゼットの奥から小型だが頑強な造りの手提げ金庫を取り出し、ナンバーを合わせて鍵を外すと、中には分厚い札束が詰められていた。

「これもそろそろ隠さないとな……」

 ほとんど帰宅しないとはいえ、人の出入りのある自宅に多くの現金は置けない。手提げ金庫一つなら『大事な物を仕舞っている』とでも言ってごまかせるが、二つも三つもあると不審がられてしまう。

 だから公彦は手提げ金庫の中身がいっぱいになると、別の場所へと隠すようにしていた。今隠しているのは一個だけだが、二個目ももうすぐ一杯になるので、三個目を購入しなければならない。

 ただ、しばらくはまだ持つだろう。

「相場としては二、三十万か?」

 一先ずは、と三十万円程を金庫から抜き取り、十万円を財布に仕舞うと、残りを鞄の中に入れた。いつもの配達用ではなく、プライベートで使っているボディバッグだ。

「こんなものだな……よし」

 金庫を閉じ、ダイヤルをデタラメに回してから、再びクローゼットの奥へと仕舞い込んだ。

 そして公彦は制服から着替えると、隣家の萌佳達に気づかれないように外へと出た。




「ゴロウさ~ん、いますか~」

「ちょっと待ってろ、すぐ行く」

 そして出てきたゴロウは、一先ず座れ、と玄関口の縁に腰掛けるように指差した。公彦もそれに従い、二人並んで向かい合う。

「人を探すって、何かあったのか?」

「どこから話していいものか……」

「……最初から話せ。事情が分からなければ紹介のしようがない」

 公彦はゆっくりと、未晴とのことを話し始めた。

 ナンパから始まり、その後よく一緒に遊ぶ仲にはなったものの、連絡のない旦那のことで寂しくしていることを伝え終わると、ゴロウは頭を抱えながら、思わず呟いた。

「人の女に手を出すか、普通……」

「今のところ、ただの遊び相手ですよ」

「……それで、旦那を見つけてどうするつもりだ?」

 ゴロウの問いかけに、公彦は居住まいを正してから答えた。

「個人的に気になるんですよ。なんで連絡一つ寄越さないのか。それに……」

「……女が寂しそうにしているのが気に入らない、か。お前、いちいち人に構っている余裕があるのか?」

「それはゴロウさんのおかげで」

 再び漏れ出てくる溜息。ゴロウは少し考えてから、懐からガラケーを一台取り出した。ボタン操作で番号を指定すると、そのまま通話ボタンを押して電話を掛けた。

「俺だ。この前みたいに人探しのバイトをする気はないか? ……そうか、分かった。いや、今回は堅気カタギだ。詳しいことはまた後で連絡する」

 一度通話を切ると、ゴロウはまた別のガラケーを取り出し、それを公彦に手渡した。

「そいつが持っている携帯の番号だけ登録してある。電話させるから依頼内容を正確に伝えろ。全部終わったら返さずに、砕いて捨ててくれればいい。料金は携帯込みで最低でも二十万円、後は向こうとうまく交渉してくれ」

「ありがとうございます」

「これくらいなら別にいいが……ただ、覚悟はした方がいいぞ」

 公彦は一度頷いてから、ゴロウに頭を下げ、そして背を向けて去っていった。




「ただの浮気で済めばいいんだがな……」

 公彦が帰宅した後、ゴロウは再びガラケーを操作しながら、こう呟いていた。

「……どうもきな臭い」

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