006 雨天で気が滅入っています。
「降りそうだな……」
配達用の鞄を背負いながら、公彦は曇天の空に胡乱気な眼差しを向けていた。
雨が降りそうな時に限って配達員のアルバイトが入ってしまい、公彦は憂鬱な気持ちを抱えたまま歩いていく。しかし賃金がかかっている以上、その足はバイト先である配送拠点まで止まることはない。
そして到着したバイト先は、一見すると運送会社の営業所には見えなかった。見た限り一般より広々とした、少し寂れた一軒家だからだ。
その家の門をくぐり、勝手知ったるとばかりに公彦は戸を開け、玄関に入って声を張り上げた。
「ゴロウさ~ん、いますか~」
そして返事もないまま、奥から一人の男が鞄を片手に歩いてきた。
公彦からゴロウと呼ばれた男は東洋系の顔立ちをしているが、日本人というには少し雰囲気が違う。その証拠かは分からないが中国語も堪能で、取引先の台湾人や上海人と澱みなく交渉を行っている。
「来たか。今日は雨が降りそうだから中止にしようと思ったんだが、先方がしつこくてな……割増出すから、荷物を濡らさないように注意してくれ」
「分かってますよ。それで荷物は?」
ゴロウは玄関先に腰掛け、手に持っていた鞄を開けた。中からは新聞とビニールで包装された、鈎型の物体がいくつも出てきた。公彦も慣れた調子で持ってきた配達用の鞄を降ろすと、口を開けて中に移していく。
「場所は廃ビル内のロッカーだ。駅中の方はこれ以上使うと目立つから、しばらくはそっちを使ってくれ」
「分かりました。鍵はどこに?」
「それは変わらず依頼人に
それだけを確認すると、公彦は鞄を担ぎ直してゴロウに背を向けた。相手も慣れたものなのか、黙って送り出していく。
公彦の仕事は、いわゆる運び屋だ。
物流センターで荷物を積み込むバイトをしていた時に、運送側に回った方が時給もいいと当時の収入で原付の免許を取ったのだが、そこで働いていた他の運転手の伝手で、個人での配達を行うようになったのだ。
実のところ、公彦は運んでいるものの正体には勘付いている。このまま警察に捕まれば厄介なことになるのも重々承知していた。
しかしそれでも、今の公彦にはまとまった収入が必要だった。
雇い主であるゴロウも、公彦の事情を理解しているからこそ、仕事を割り振っているに過ぎない。
それこそ……機会があれば、辞めさせたいくらいに。
「……よし、終わった」
ゴロウから預かった荷物を廃ビル内にあるロッカーに仕舞うと、その鍵を駅前のベンチまで運んだ。そのベンチの裏にテープで張られた封筒があり、中に入っていた別の鍵と入れ替える。その鍵は別の廃ビルにあるロッカーのものだ。
少し時間を置いてから相手が用意した鍵に合うロッカーのある廃ビルへと向かい、中にある現金を引き抜けば、公彦の仕事は終わりだ。後は連絡を入れたゴロウと合流し、現金を手渡すだけでいい。その中から報酬を支払ってくれる。
「このまま持ち去りたくはなるけど……」
鞄に入っている現金、札束の重さを実感しつつも、持ち逃げしようとは考えられない公彦だった。たしかに魅力的な誘惑だが、一生を掛けるには金額が全然足りない。
「……ま、地道に働くのが一番だな」
まともとは言い切れないが、どんな仕事でも長続きさせたいならば地道にやるしかない。たとえ多少のリスクを背負おうとも、真面目にやれば無理なく多額の現金を稼げる。だから公彦は、今の仕事を続けたいと思っていた。
そんなことを考えていると、いつの間にか合流地点へと着いていた。すでにゴロウが運転する車は駐車しており、運転席で手帳に何かを書き込んでいる。ウィンドウを軽くノックし、公彦は声を掛けた。
「ゴロウさん、終わりましたよ」
「ああ、ご苦労さん。ちょっと待ってろ……」
受け取った現金入りの分厚い封筒をあるだけ手渡していく。
中身を全て確認したゴロウは、その中から数十枚の紙幣を抜き取って公彦に手渡した。
「いつも言っているが、現金は」
「小出しにしろ。残りは時が来るまで隠しとけ、でしょう?」
「……分かっているならいい。また電話する」
ゴロウの乗る車が離れていくのを見送ってから、公彦は紙幣を数枚財布に移してから、残りを鞄の中に仕舞い込んだ。この現金は家に帰ってから、親のいない時を見計らって買い入れた金庫に保管する。
そう……いつ一人で生きることになってもいいように。
「帰るか…………」
公彦もゆっくりと家路に着いた。
いつも通り帰宅するルートを変え、誰かがつけてこないかを確認しながら、ゆっくりと。
そうしていると、雨雲に追いつかれてしまった。
「降り出したか」
公彦は慌てて近くにあるコンビニの軒先に入る。折り畳みの傘は持ってきているが、鞄を開けなければならないので、先に雨宿りできる場所に入るしかないからだ。
万が一にでも雨水が入ってしまえば、完全に乾くまで鞄をバイトで使えない。予備もないので、最悪休まざるを得ないのだ。
「ついでに何か買っていくかな……」
コンビニに入り、店の中を物色していくが、特にめぼしいものはなかった。仕方がないので軽く雑誌を立ち読みしてから帰ろうとして、いくつか手に取っては、パラパラとページをめくってから棚に戻すのを繰り返していた。
「最近はエロ本とかも規制されて並んでないし……あ、そうだ」
その時ふと、ある場所を思い浮かべた公彦は、コンビニを出て傘を差してから迷うことなく歩を進めた。
向かう先は自宅への道すがらにはあるが、少し遠回りする場所だった。今では人通りもなく、寂れた路地を抜けた先に、そこはあった。
「まだ動いていればいいけど……」
そこは小さな倉庫のような場所で、中には自動販売機が立ち並び、さながら無人店舗の様相を呈していた。しかし売られているものは飲料品ではない。
「……もうやってないのか」
エロ本や避妊具等、アダルトグッズが自動販売機の中で、スケベ心を持つ者に買われるのを待っている……はずだった。しかし今では商品もなく、自動販売機もその動きを止めていた。電気も止められているらしく、いくらボタンを押しても、反応することはない。
それどころか、黒いビニールシートで一角を覆われており、そこから先は立ち入りも覗き込むこともできなかった。
「昔はここでエロ本買うのが夢だったんだけどな……」
子供の頃はこんな路地の中にも人の気配が途切れることもなく、当時の大人達にお菓子や拳骨で追い払われていたのだ。それでもちらりと見える扇情的な光景が忘れられなく、今でもふと思い出して足を運んでみたのだ。
だが、無駄足に終わってしまったらしい。
「仕方ない。帰るか…………ん?」
そんな時だった。公彦の視界にある物が入ってきたのは。
「なんだ?」
自動販売機同士の隙間に、何か光るものが見えた。公彦は気になってそこを覗いてみるも、鈍い光を返すだけで暗闇に塗り潰されていて分からない。
公彦はスマホを取り出して操作し、ライトを点けて改めて覗き込んでみて、ようやくその正体に気がついた。
「指輪……?」
光っていたのは、指輪だった。近くに落ちていた棒を拾い上げて、隙間に挿し込んで引っ張り出してみる。
指輪はシンプルなデザインだが材質はシルバーで、かなり高価なものだと分かる。
まるで……
「誰かの結婚指輪か? でもなんでこんな所に……」
勝手に売り飛ばすのも悪いかと思い、とりあえず鞄に仕舞うことにした。口は開けられないが、横のポケットに入れておく分には問題ない。
指輪を入れるともう用はないと、公彦は家路に着いた。
「ああ、雨の日は気が滅入る……」
ビニールシートの裏側を見ずに済んだのは、公彦にとっては幸運だったのかもしれない。
もし覗いてしまえば…………気が滅入るだけでは済まなかっただろうから。
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