005 幼馴染に答えられてしまいます。
休み明けの学校の放課後、公彦は相変わらず、幼馴染の萌佳がいる美術部室に遊びに来ていた。
「というわけで考えてんだけどさ、金と性格以外に異性から好かれたり嫌われたりする要素なんてあるのか?」
「清潔感」
普段の萌佳にしては珍しく強気な発言に、流石の公彦も若干引いた。というより、自分の顔をペタペタと触り、どこか汚れてないかと気が逸れているのだ。
「前から思ってたけど公彦君……そろそろひげを剃った方がいいよ」
「ああ……最近伸びてくるんだよな」
実際にひげが伸びている顎を擦りつつ、公彦はどうしたものかと考え出した。
「すぐに伸びてくるし、ひげ剃りでも買うかな?」
「その方がいいよ。微妙に目立ってきているし」
「みたいだな……」
ついでに顔の周りを触ってみると、脂気を感じ取ってしまう。普段は清潔にしているつもりでも、それだけでは足りないと暗に示されているみたいだ。
公彦は顔を触るのを止めると、腰掛けていた椅子の背もたれにどかっ、と体重をのしかけて頭上を見上げだした。
「そっか……未晴さん、それが嫌だから課題にかこつけて注意してきたのか」
「公彦君はまず、身の回りの清掃もした方がいいよ。昔から部屋、散らかしてばかりだよね」
「失敬な。洗濯はしているぞ」
「洗濯だけは、でしょう?」
公彦はぐうの音も出なかった。
脳裏に浮かぶは片付かない部屋ばかり。さすがにごみは捨てているが、それ以外の物は散らかり放題。物が少ないので足の踏み場だけはどうにかなっている状態だ。
「ついでに散髪してきたら? 髪も伸びてきているみたいだし」
「そうするかな……じゃあ今日は帰るわ」
「うん、またね……」
萌佳を美術部室に残し、公彦は散髪へと向かっていった。
学校を出て、向かう先は学校の近くにある理髪店。顔剃りもあるので髭の手入れもできると向かっていたのだが、店があるビルに近づくにつれ、妙な胸騒ぎが公彦を襲う。
「あれ……この辺りだったよな?」
公彦は入学前に一度来た限りだが、値段も手ごろで腕も良かった。おまけに客足も多く、当時は三十分くらい待たされた店は……
「うそだろ……」
……今は倉庫みたいな店構えになっていた。
見かけは閉店中の商店だが、おそらくは通販の小売店だろう。バイトの関係でその辺りに詳しい公彦だからすぐに気づいた。
「店自体は新しい……理髪店の方は潰れたな、こりゃ」
経営していたのは老夫婦だったはずだ。客足が遠のいたか、引退して店を畳んだのかもしれない。
そう考えた公彦は、仕方なく少し離れた所にある、通いつけの理髪店に向かおうと踵を返した。
……ガラッ。
「……ありゃ、公彦君?」
その時だった。最近聞き慣れてきた声で話し掛けられたのは。
「ん?」
再び振り返ると、そこにいたのは未晴だった。
通販の小売店らしき場所から、最初にナンパした時と同様の上着とTシャツ、そしてジーンズ姿で公彦に手を振っている。
「どうしたの? こんなところで」
「いえ、この辺りに理髪店があったのを思い出して、散髪しに……」
「それって、元々このビルの一階でやっていた、老夫婦が経営していたとこ?」
未晴の質問に、公彦は反射的に頷いた。
「その老夫婦なら、今は介護施設内でお世話になりがてら理髪店やってるよ。それで今は息子夫婦が経営している通販会社の営業所に代わっちゃって……ちなみにここ、私のバイト先」
「ここで働いていたんですか……配達とか?」
「ううん、
その物流センターのことは、公彦も良く知っていた。
「そこ、俺も働いたことがありますよ。今は辞めて配達員のバイトをしていますけど」
「へぇ、配達員だったんだ。よくある自転車便?」
「今のところは。一応原付の免許はありますけどね」
公彦は元々、そこの物流センターで荷物を配達用のトラックやバイク便に仕分けして積み込むバイトをしていた。その流れで原付の免許を取ってバイク便になり、今は紆余曲折あって、今のバイトに落ち着いているが。
「にしても散髪か……もしかして宿題の答え、分かった?」
「清潔感、ですか?」
「せいか~い。おしゃれもいいけど、まずは身だしなみからね」
宿題に正解し、内心で幼馴染に感謝する公彦。ほぼカンニングだが、ここは黙っておこうと心に誓った。
「でも散髪か……あ、そうだ公彦君」
「あ、はい……」
ふと何かを思い出したのか、未晴は公彦に聞いてきた。
「この後暇?」
公彦は犬の様に首を縦に振った。色っぽい展開が待っていると期待して未晴について行ったのだが。
「へぇ……こういうところに住んでいるんですか」
「今は一人暮らしだけどね~」
公共住宅の一室に初めて入った公彦だが、浮かんだ感想は『普通のマンションと大差がない』ことだけだった。居住環境というものは、大して変わらないものらしい。
「あったあった……ほい、髭剃り」
「あ、ありがとうございます」
玄関から入ってすぐにあるリビング、そこに置いてある食卓の椅子に腰掛けて待っていた公彦は、未晴から買い置きの使い捨て髭剃りをもらった。
未晴の旦那は現在単身赴任中で、電気シェーバーも一緒に持って行ったらしいので、使い捨ての髭剃りは邪魔だからと、公彦に譲ることにしたのだ。宿題に答えたご褒美として家に招待されたのだが、内容は髭剃りのプレゼントだけなのが色気ない。
しかし御近所の目もあるので、あまり長居するのも悪いかと公彦は立ち上がろうとする。
「……あ、クリームもいるか」
その時、未晴は足りないものがあるのに気付いて声を出した。
「クリーム?」
「公彦君、本当に髭剃ったことがないんだ……」
未晴は呆れた様に溜息を一つ吐くと、一度引っ込んでからあるものを持ってきた。
「ほい、シェービングクリーム。これつけないと、肌傷つけるよ」
「……ああ、そういえばよく見ますね。髭剃る前に何か泡っぽいのを顎に塗って」
「それはシェービングフォーム。髭剃りを当てる部分に塗るのは一緒だけど、こっちはそのクリーム版ね」
しかしこのまま渡すのも不安に思ったのか、未晴は公彦の手を取り、洗面台の前へと移動させた。
「みっ、未晴さん……?」
「危ないから、ちょっと使い方教えてあげる」
未晴はそう言うと、買い置きのシェービングクリームの包装を破き、チューブから中身を少し取り出した。軽く指に馴染ませる様にして広げてから、洗面台の正面に立たせた公彦の顎に指を這わせ、クリームを塗りたくっていく。
「そのままじっとしててね~」
「あ、ぁ、ぁああ、はいっ」
クリーム越しとはいえ顔に指を這わせられる感覚だけではない。背中越しに手を伸ばしてきているので、未晴の胸や吐息が公彦に触れて、妙な興奮を誘ってくるのだ。
「こんなものかな……」
一通り塗り終わると、未晴は公彦から離れて手を洗いだした。残りのクリームを洗い落とし、近くに掛けてあるタオルで手を拭いてから、今度は公彦に渡した髭剃りの中から一つ取り出して、カバーを剥いで剃刀を露出させた。
「未晴さん、旦那さんにも同じことを?」
「まあね~、ちょっとしたお遊びでやってあげたら、変に喜んじゃってさ~」
いや笑った、と未晴は髭剃り片手に、反対の手で公彦の頭を固定してから刃を合わせた。
「いきなり力を入れるとすぐに剃刀負けするから、まずは軽い力でゆっくり、ね」
「あ、はい……」
「最初は軽くなぞって、剃り残しがあっても繰り返す前にまたちゃんとクリームを塗って……」
女性特有の柔らかい匂いに生暖かい吐息、そして顔に這われた指の感触。そして向けられる髭剃り。
公彦は未晴に対して興奮しているのか吊橋効果で緊張しているのか、微妙な感覚を味わいながら、呆然としていた。
「……ほい、おしまい」
「はっ!?」
呆けていた公彦が気づいた時にはもう髭剃りは終わり、未晴は手と一緒に剃刀に残った泡を落としている。
「な~にぼぉっとしてたのかな~」
「いや……思ったより気持ち良くて」
どうやら白昼夢の間隔で、興奮の余韻に浸っていたらしい。無意識化とはいえ、女性の前でそんなことをやらかしていたのかと思うと、公彦は気恥ずかしくなってそっぽを向いてしまう。
「気持ち良さ、というより変な妄想していたみたいだけどね~」
「はうっ!?」
気がつけば、ズボンの股間の部分が不自然に盛り上がっている。いや、どちらかというと自然なのだが、未晴は気にせず髭剃りにカバーを被せてからゴミ箱に投げ捨てた。
「興奮するのはいいけど、あまり露骨だと女性に引かれるよ~」
「……肝に銘じます」
手早く顔を洗った公彦は、未晴から髭剃りやクリームを受け取るや、すぐにお暇した。
公共住宅を出た頃、スマホが振動したので、取り出して片手で操作する。
『次からはちゃんと髭剃ってきなよ。後目立つからそっちもこっそり処理しといてね~』
「うう……」
自宅に到着する直前まで、まともな返信内容を考えつけない公彦だった。
**********
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます