第6話 目撃者

 今日は平日の折り返しである水曜日。昼食を終えた紗玖乃さくのは職員室に向かっていた。クラスメイトから集めた提出物を持って来て欲しいと担任教師の名取なとりから頼まれていたからだ。

 紗玖乃が職員室の引戸を開けると、男性の怒気を含んだ声が聞こえてきた。驚いて声のする方を見ると、ちょうど名取が学年主任から叱責されているところだった。他の教員たちがチラチラと二人に視線を送っている。

 

 (な、何があったんだろう……?)


 困惑したまま出直して来ようかどうしようかと迷っていると、ちょうど学年主任が名取から離れた。

 少しの間様子をうかがった後、何も知らない振りをして彼の元へ歩いて行く。


 「先生、すみません。提出物を持って来ました」


 「ああ、大槻おおつきか。そういえば、そうだったな」


 名取は愛想笑いを浮かべているが、血の気が引いているようで顔色は悪い。

 彼が提出物を受け取ってから、紗玖乃はそれとなくいてみた。


 「先生、顔色が悪いですよ? 体調でも悪いんですか?」


 「え? そうか? 梅雨入りも近いし、もしかしたらそのせいかもな」


 軽い調子で話してはいるが、明らかに罰の悪い様子がこちらに伝わってくる。

 でも、それ以上訊くのはさすがにおかしいよね。


 「そうですか。それでは、私はこれで失礼します」


 「ああ、提出物これありがとな」


 「はい」


 軽く頭を下げてから、紗玖乃は職員室を出た。

 教室に戻ろうと廊下を歩いていると、左側の廊下からひょっこりとナハトが現れた。


 「ナハト!」


 驚く紗玖乃には構わず彼女に背を向けると、振り返って目で訴えてきた。金色の瞳が驚く紗玖乃を捉える。

 「自分について来い」の合図。


 「一体、何なの?」


 階段の踊り場まで移動すると、ナハトが口を開いた。


 「放課後に使う会議用の書類が紛失したらしい。担当はサクの担任教師のようだ」


 「え? 会議用の書類?」


 紗玖乃の脳裏に叱責されていた名取が浮かぶ。


 (先生が叱られていたのってそれが原因だったんだ……)


 それと、同時に疑問が浮かぶ。どうしてナハトが事情を知っているんだろう?


 紗玖乃がナハトを見つめた時、

 

 「サクの担任が大慌てで何かを探しているのを見かけたんだ。気になって後を付いて行くと上司に事情を報告し始めてな。どうやら、どこかに置き忘れたらしい」


 「それで事情を知ってたのね」


 「ああ。ところでサク、まだ午後の授業まで時間があるだろう?」


 「うん、あるけどどうして?」


 「手分けして書類を探すぞ」


 「そんなこと急に言われても……」


 まだ言いかけているのにナハトはさっさと駆け出してしまった。

 

 「ここにもない……」


 紗玖乃は三階にある美術室にいた。生徒や教員の姿もなかったので、今のうちにと思って中に入ったのだ。

 横に並んだ長机の上や机の中を確認するも書類は見当たらない。教室の窓際に設置されている白いラックに何気なく顔を向けると、茶色い封筒が置かれていることに気付いた。

 それを手にとって中を覗いてみると、「会議」の二文字と今日の日付が目に飛び込んできた。会議の内容も書かれている。

 

 「……これだっ!」


 「サク、見つかったか?」


 紗玖乃がひとちた時、ナハトが教室に入ってきた。


 「ナハト、これだよ」


 「見つかったか。でかしたぞ」


 「私、先生呼んでくる」


 「ああ、頼む」


 教室を出た彼女は急いで担任の名取を呼びに行った。


 ♢♢♢


 「いや~、大槻、。わざわざありがとな」


 「いえ、たまたま見つけたので」


 名取の顔には安堵の表情が浮かんでいる。


 「本当に助かったよ。それじゃあな」


 「はい」


 紗玖乃が笑みを浮かべて頷くと、彼は教室を後にした。

 ほっと一息吐いた時、物陰に隠れていたナハトが出てきた。

 彼の体がいつものように淡い白い光に包まれる。

 その様子を紗玖乃は黙って見守っていた。

 やがて光が消えると彼女のことを見上げながら、


 「ご苦労だったな、サク」


 「うん。ちゃんと書類見つかってよかった。先生も安心してたし」


 そこで改めてナハトを見つめてみる。前から気になっていたことがある。それを今、いてみようか?


 「サク、どうした?」


 「あのね、ナハトに前から訊きたかったことが……」


 その時、予鈴が鳴った。昼休み終了の合図だ。


 「ごめん、ナハト。もう行くね!」


 それだけ早口で伝えると、紗玖乃は急いで自分の教室に向かった。


 ♢♢♢


 放課後、紗玖乃はいつものように屋上に向かって階段を上がっていた。

 昼休み終了後、予鈴が鳴っているうちに自分の教室に戻ることが出た。教員はまだ来ていなかったのでギリギリセーフ。

 その後はいつも通り午後の授業を受けたのだが、今回は不思議と眠くならなかった。


 がチャリと屋上に続く扉のノブを回す。扉を開くと、猫の姿のナハトが背を向けていた。

 こちらに気付くと、振り返って紗玖乃を見た。

 何も言わずに口角を上げる。

 「ようやく来たか」と、言いたげだ。


 「授業には間に合ったか?」


 「うん。ギリギリセーフ」


 「それならよかった。ところで、さっき俺に訊きたいことがあると言っていただろう? どんなことだ?」


 ナハトはこちらに向き直ると紗玖乃の傍まで歩いてきた。


 「あとどれくらい人助けをすれば、元の世界に戻れるの?」


 「さてな、俺にも詳しくは分からない」


 「そうなんだ」


 人助けをするこの日常にも少しずつ慣れてきたところだ。それにナハトと会話をしているこの時間も悪くはない、と思っている。

 ナハトがいなくなることを考えたら少し寂しいかも、とふと思ってしまった。


 「なんだサク、その顔は?」


 「いや、何でもないよ。それより午後は変わりなかった?」

 

 「ああ、先程イヤホンを拾ったので持ち主に渡してきたところだ。それ以外は特に変わりはない」


 「そっか」


 ふと紗玖乃が空を見上げると、晴れていた空が曇っていることに気付いた。

 今日もいつも通り自転車での通学だ。雨が降るかもしれないので、そろそろ学校ここを出た方がいいかもしれない。


 「雨が降りそうだから、私もう帰るね?」


 ナハトも顔を上げて空の様子を確認する。


 「曇ってきたな。俺もそろそろ移動するか」


 ナハトと一緒に一階まで降りた紗玖乃はそのまま校舎を出て自転車置場に向かう。

 自転車置場にもその周辺にも他の生徒たちの姿はない。

 それを知ってか彼はいきなり堕天使に姿を変えた。


 「えっ! ちょっとナハト!?」


 自転車のハンドルを掴んだまま驚いている彼女とは対象的にナハトは落ち着いている。


 「誰かに見られたどうするの?」


 きょろきょろと左右を見回す紗玖乃にナハトはくっくっと喉を鳴らして笑う。


 「そんなに警戒しなくても大丈夫だ。ここには俺たちしかいない」


 「確かに、そうだけど……」


 「ずっと猫のままでいるのは疲れるんだ。今は元の姿でいたい」


 金色の目を細めて微笑する。そんな彼を見つめている紗玖乃はまだ困惑した表情のままだ。


 (猫の姿の方が楽に見えるんだけど違うのかな?)


 「サク、猫の姿の方が楽だと思っているだろう?」

 

 「堕天使って人の心まで読むの!?」


 「そんな能力はさすがに持っていないよ。サクは分かりやすいからな」


 「ねぇ、私ってそんなに分かりやすい?」


 「顔によく出ているからな。ほら、そろそろ帰った方がいいぞ?」


 「うん。それじゃ、また明日」


 「ああ、また明日。気を付けて帰ってくれ」


 「うん」


 ナハトは自転車を漕ぐ彼女の背中を見えなくなるまで見つめていた。


 ♢♢♢


 「……何だ、今の?」


 校舎を出た一誠いっせいが目にしたのはあまりにも信じられない光景だった。

 校内に住み着いているという噂のある黒猫が、背中に羽根の生えた黒ずくめの男に変身したのだ。

 何かの見間違いじゃないのか。それとも自分がおかしくなってしまったのか。


 「しかも、さっきは校内で変な白い光出してたし……」


 混乱する頭をどうにか落ち着かせようとしていると、事務室の女性の職員に声をかけられた。


 「どうしたの? 何かあった?」


 「あっ、えっと……」


 一誠は黒ずくめの男がいた場所に視線を走らせた。けれど、そこには誰もいない。


 (い、いねぇ!)


 急いで事務職員に顔を戻す。


 「何でもありません。大丈夫です。もう帰りますので」


 「本当に? 大丈夫?」


 「はい、大丈夫です。すみません」


 それだけ答えると一誠は校舎の門に向かって歩き出した。 

 






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る