ディジタル・ラグジュアリ

きさらぎみやび

ディジタル・ラグジュアリ 

暗がりに、ポッ、と赤い光が灯る。俺は電子煙草を咥えたまま深く息を吸い込んだ。呼気と共に、唇に仕込まれた電極を通じてニコチン摂取時の独特の信号が脳に伝達される。ひとしきりその信号を楽しんだのち、ふう、と虚空に息を吐きだした。燻る紫煙は実在のものでなく、ARグラスを介して自分だけに見えるリアルタイムグラフィックスだ。


煙草が完全に電子品となってからすでに半世紀。

煙草に限らずおよそすべての嗜好品が「健康の観点から」ディジタルに切り替わって久しい。それでも人は嗜好品を求め、脳に電極を埋め込んででもその味わいを、感触を再現しようと試みた。

もはや生まれた時からこれしか知らない俺達の世代は、それがどれだけ過去の現物を再現できているかなど、とうに分からなくなっている。

煙草の代わりに脳に電極を埋め込むことが果たして健康のためになっているのかなど、もはやどうでもいいのかもしれない。


俺はぼんやりと目の前の巨大な水槽を眺める。

どこでも摂取して可、というのが完全ディジタルとなった煙草の唯一のメリットかもしれない。この場所のようなうらぶれた水族館なら、たとえ現物でも咎められることはないかもしれないが。


鮫、鱏、鰯などがモノトーンの液体の中を互いに干渉することなく静かにゆったりと泳いでいる。

鰯などはソテーか何かで口にしたことはあるはずだが、目の前を過ぎていく流線型の群れが果たして同じモノなのか、どうにも実感が沸かない。

食料としての魚類は「健康の観点から」すべからく切り刻まれ、殺菌された立方体状で店頭に並んでいる。商品パッケージのタグを読み込めば情報としてはそれがなんであるかはわかるが、ここのような水族館に来るか、漁専門の業者になるくらいしか、魚類の生き物としての様を見るすべはない。


俺は水族館が好きだった。

自分も含めて半ばディジタル化したような人間よりも、水槽を泳ぐ魚類のほうがよっぽど生物として魅力的に感じる。

照明の抑えられた通路に座り込み、ぼうっと光る水槽を飽きることなく閉館まで眺めるのが唯一の休日の楽しみといえるかもしれない。


ふと腕を見るとディジタル表示はすでに閉館ぎりぎりの時間だった。

『閉館時間です。お客様は速やかに退出をお願いいたします』アラーム音声が耳に響く。俺は立ち上がり、水槽の前から離れる。俺が部屋を出ると同時に、水槽の電源がブツッ、と落とされる音が聞こえた。

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