0/浸る

「ただいま」


 と言っても誰もいないし明かりもない。

 真っ暗な部屋でテレビだけを点けるが面白くない為すぐに消す。

 もうとっくに夕食の時間は過ぎていたせいか、食べる気もしない。

(あぁ……ただ単に、疲れた…)

 けれど眠気は襲って来ない。きっと仕事でずっとPCと睨めっこしたせいだ。

(PC……あ、そうだ)

 何か思い出したかの様に机に置いてあるPCを立ち上げ、テキストを開いた。

「そうだった、途中だったんだよね…私の国」


 最近現実逃避として自分を主人公にした小説を書き始めたのだ。

 嫌なことがあると書いては読んでの繰り返し。

 誰かに読ませるつもりも無い為、誤字や脱字、間違った日本語もあるが気にしない。

 主人公の私はこの世界で〈カナエ〉と呼ばれ"アギサト国"の姫という設定。

 なんのひねりもないが、女として生まれたのなら一度は姫として生きてみたいと思うのが自然だろう。

 もちろんその姫を守る騎士も存在している。

 その騎士は私を一途に想い、アギサト国で一番強くて、どんな時も私を守りぬく。そして私のわがままも何でも聞いてくれる理想の騎士。

 そして、私を想うもう一人は他国の王子様。

 "アギサト国"と王子の国が平和を結ぶ為に結婚を余儀なくされるが、その結婚前に騎士は姫に想いを伝える……で終わっていた。

(きっと眠気に負けて途中でやめたのね。でもどうしようかな、二人の男性に言い寄られると言う経験なんて生まれてきて一度も無いし。もしどちらかを選ぶとしたら……悩む!あぁ…もう、誰でも良いから私を……)


 空気の寒さで目を覚まし、窓を見ると日が上がっていた。

「やば、寝過ごした!」

 急いでシャワーを浴び、軽い朝食を済ませ、仕事の準備をする。

 全然休めた気はしないが、今日は早く帰れる様にしよう!と気合いを入れ、家を出た。

 電車の混み具合は相変わらずハード。今日は何とか座れたので比較的楽な方だ。

 電車から降り、近くのコンビニで飲み物を買う。

 昨日の今日だからあまり仕事場に早く着かないようにゆっくり歩いていると後ろから誰かに肩を叩かれる。

「きゃ!」

「あ、ごめん...驚かせてしまった?」

葉暮はぐれさん…!そりゃあびっくりしますよ!突然後ろから体に触れられたら」

「見たことある後ろ姿だったからもしかしたらと思って」

「……先に声を掛けた方が良いですよ」

「ははは!今度からそうするよ」

 この人は同じ部署の葉暮先輩。あまり話した事は無いが、面倒見はいいらしい。後、意外と女の子に人気らしいが、あの何を考えいるのか分からない顔は、私は好きにはなれなかった。


 職場に着くと早速上司からお呼び出しだ。最悪。

「昨日の仕事は全部終えたのか?」

「はい」

「そうか。それじゃあ、今度はコレを頼む」

 上司から差し出されたのは大量の用紙。

「この10p、全部コピーしろ。50組ずつ。全てまとめてホチキスでとめて昼前までに終わらせておけ」

「……」

「返事は?」

「…分かりました」

 昨日と同じ。また上司の忘れた仕事の後始末。

 資料の入った袋をデスクに置き、一息入れる為に買った飲み物を口に入れようとする。

「おい!早くコピーしろ!間に合うのか!?」

「あぁ!もう!うるさいなぁ!」

 思わず感情を口に出してしまった。

(やばい……)

「お前、上司に向かって五月蝿いだと?」

「す、すみま……!」

「もういい!お前には仕事を回さん!」

 デスク置いた袋を上司は勢いよく取り上げた反動で飲みかけた飲み物が私の服に掛かる。

「っきゃあ!」

 上司は何事も無かった様にその場を去り、他の子に袋を渡しに行く。

 周りの視線が私に注がれている気がした。居たたまれなくなった私は給湯室に駆け込んだ。

 服よりもこの状況が辛い。

(はぁ……とりあえず、朝は大人しくデスクの整理でもしていよう)

 雑巾を手に取り、飲み物で汚れた周りを拭き、自分のデスクに戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る