閑話3『宝田希の憂鬱』

 私は、どうしたいんだろう──時折、そんなことを思うときがある。


 お父様が私にさせようとした習い事はどれも長続きしなかった。先生をすぐに超えてしまったから。


 学校ではいつも何となくで過ごしてきた。やり過ぎると、居心地が悪くなってしまうから。


 ──天才。


 自称するには恥ずかしいけれど、恐らく自分が平凡から隔絶した類なのだろうとは幼少の頃には既に確信していた。私は飽き性を装って、物事を長続きさせないことで、その枠に踏み込まないようにしながら、ここまで生きてきた。


 お父様は仕事の関係者に私の事を紹介したり、また同世代の子をもつ関係者に紹介したりと、私の顔見せに余念がなかった。幼少の頃は飽き性を装い、それが悪印象に通じかねない年になる頃には多彩な優等生の仮面を獲得していた。そう、仮面だ。物理的なものじゃなくて、心理的な仮面。


 小さい頃は明確にこれといった理由もなく、何となく違和感から手加減していたけれどそうした私に転機が訪れたのは、五年ほど前にお父様が習わせてくれた柔道と空手が混ざったような武術道場に入ったときだろう。


 


 私はただ、三日間で型を全て暗記して、つい型通り実践しようと放った蹴りで相手を昏倒させてしまった。その時の私は多分のだろう。私よりも早く入ったなら、大丈夫だと思ってしまった。


 普段の私ならその辺りの力量差に気付けないはずもない。ただ、三日間の成長速度を目の当たりにして才能がどう、とか言って辞めてしまった人たちが何人も居て、師範は困ったように「君のせいじゃないよ」と言っていた。けれど、お父様が一度だけ私を化け物を見るかのような目で────。


 だから、心が揺れることの無いように、仮面をした。閉じ籠った。人から拒絶されるのは嫌だから。


 それで時折、仮面の裏でそう思うのだ。私は、と。


「────希、話がある」


 自宅の廊下で呼び止められて振り返る。


「……お父様」


 初めて彼氏の事を問い詰められた日以降、どことなく話しにくい雰囲気を出しているお父様。


 あの日単純に私は『付き合い始めた男子がいる』と言おうとした所であのバカ須智佳が『大変ですお嬢サマに、彼氏が!!!』とか誤解を招くような言い方をしてお父様が激昂したから、なんだけど。


 お父様『高校生の間は彼氏作るのは許さん』だとか言うから国本くんがどういう人か、大丈夫だと説明してる最中に『おいらそんなん認めんし!!!? 認めんから!!!』なんて言ってて。つい、私もキレちゃって。


 学校で問題を起こしたことでお父様は学校に呼び出されたし、もう既にこっぴどく怒られた。それはもう、すごく。しかも須智佳が『下手するとお嬢サマ自決してたかもー』なんて言い出したせいでお父様がおかしくなって収拾がつかなくなったから、ほんとうに大変だった。


 それ以降お父様は彼氏に言及する事もなく、私から言う機会にも恵まれず、今更偽装であると訂正するのはちょっと、むずかしいかな……。


「────それでな、おいら考えたんや。これでもおいらは親、なんでも否定するだけじゃアカンてな、だからな、考えた」


「?」


「五番勝負じゃあいっ!!!」


「?????」


 …………ごめんなさい。


 本気でお父様が何を言い出したのかわかりません。どういう事?


「まずは料理……卵焼きだ!! でてこいっ、スティィィィィィ、ッカ!!」


「えっ、ちょっ」


「はいはーい!! 宝田組雇われの超敏腕探偵!! ディティクティブ、スティーカちゃんだよー!!」


「待って!? どういう流れで勝負なのお父様!?」


 ひょこっと床板を跳ねあげて現れた須智佳。お父様はさも当たり前の事を告げるかのように言う。


「そりゃあ論争が平行線の二人。話に白黒つけるにはどうしたらいいか。こうするしかないやろ?」


「そ、んなわけないよね? あるのかな……いや無いよね!?」


「人によりけりですよお嬢サマ」


 あなたは状況を楽しんでるだけでしょう須智佳!!


「審査員は私、ディティクティーーブッ!! 須智佳が行います。はい。じゃスタート」


「えっ今から」


「そうだぞ希、卵焼きは待ってくれないんやぞ。足が早いからな!!」


「卵の賞味期限、普通に二週間保つ足が遅めだよ……?」


「ん、そうなのか希は物知りやなぁ、さすがおいらと望月の自慢の娘やな!!」


 望月というのは母の名前だ。お父様は私を誉めるときいつも母の名前も出して大袈裟に誉める。母は身体が弱くて入院がちで家にはほとんどいない、だからそうやって誉めてくれるのだろう。


 誉めてくれるのはありがたいけど、やっぱり意味がわからない。なんで勝負することになってるの??


「希が負けたらその男と一切の関係を断つ、ええか?」


「え。いや。よくないよ。めんどくさい」


「めんどくさ……っ!!? 希がそんなこと言うなんておいらの事、舐めすぎ……? スティーカ!!」


「あっはい依頼主に絶対服従審判であるこのレフェリースティーカちゃん、不戦敗でもちゃんと履行させてもらいますけど?? それでお嬢サマ、どう??」


「どう、って……あなた達、勝手に話を決めようとしないで。私の事何だと思ってるのかな……?」


「目に入れても痛くないたったひとりの愛娘」


「叩けば音の鳴るめちゃくちゃ楽しい玩具」


「……須智佳、そこに直れ、蹴る」


「いやだぴょー──んわぁ!!? マジ蹴り!!!?」


 ◆◆◆


「──んー、やっぱりいつもご飯作ってる分お嬢サマよりもおじさんの方が美味しいかも、お嬢サマのはしょっぱいしちょと火通しすぎて硬いかも。あ、レフェリースティーカちゃんはド真面目なので虚偽申告はしませんよ。好みの偏りはまあ多少ありますけどね」


 須智佳はお父様の事をおじさんと呼んでいる。そもそも須智佳は仕事上の関係者の名前は絶対に呼ばない。『もしものとき言っちゃうと不味いですからね』とのこと。


 私も卵焼きを食べてみる。私のもちゃんと出来てるけど……やっぱりお父様の方が美味しいかも。


「まあおいらは主夫歴十年、舐めんな、っつーわけや。悪いな希!」


 どうやら負けたらしい。お父様は上機嫌だった。そして声高に宣言する。


「二番目!! 瓦割りやで!!」


 瓦割り。須智佳がブロックを二つ立てて瓦をその上に重ねていく。粛々と。


「ふぅ。これでよし。どうぞー!!」


「五番勝負、ジャンルの一貫性どうなってるの?」


 えいっ。ばきばき。勝ちました。


「ねえなんで希平気な顔して瓦十五枚一息に割ってるの?? おいら五枚だよ??」


 ひととおり瓦を見たらどの辺をどのくらいの強さで叩けば良いかすぐわかると思うよ。いや普通は分からないか。


「三番目は、ボタン着けですねー。四つ穴ボタンを綺麗に正確に十個止めてくださいなー」


「主夫プロ舐めないでほしいんやけど(どや顔)」


 コンマ数秒の差で負けた。くやしい。


「おじさんが設定した勝負でしょうこんな僅差で勝ち誇られても流石のスティーカちゃんも困ってしまいますが……さて四番目、型抜きでーす。この緑葉樹……ぶち抜いて?」


 そういって見せられたのは掌大のおおきさの枝葉の広がった木の絵。そういえば、あの日伏水先輩に刺したあの葉っぱのアクセサリー、どこに言っちゃったんだろう。あの日は自棄になっていたのと半ば催眠状態で変な事をしてしまったけどあれは本当に大切なものなのだ。初恋の──あ。


 ぱきん。


「「「あっ」」」


 負けました。これにて偽装カップルはおしまいです。ありがとうございました。次回作にご期待ください。


 ◆◆◆


「……まあ気を取り直して五番目やで」


「続くのかぁ」


「なんとですねぇ、五番目は五点!! 勝った方が勝ちです!! レフェリースティーカちゃん、実は依頼主に絶対服従なのでこれは決まりきった結末なんですよぉ……お嬢サマ?」


「親の顔より見た最終戦で安心したやろ?」


「親の顔の方が明らかに見てる数多いから安心してねお父様」


「お、おう?」


「あ、おじさん、依頼通りこの辺りであぶないクスリをバラ撒いてるバカ共のリストに纏めておいたよ、ディティクティブレフェリースティーカちゃんのプロフェッショナルな技でね!!」


「というわけで五番目はカチコミやでぇ!!」


 ……お、お父様???


 ◆◆◆


 えっと。


 その。


「というわけで潰せましたね、これでこの街も多少綺麗になるでしょう!!」


 …………勝ちました。


「……いや負けてーし!! おいら負けてへんし?? サツとの折衝とか全部おいらの手でやったし?? 元々希関わらせるつもりは無かったんやけどな!! 五番目は須智佳の提案に乗っただけやし!! セーフですわぁ!!」


「いやいやおじさんノリノリだったじゃないですかー。そして真面目に撃破数が違いますからアウトですねー。公正公平なレフェリィーカちゃんですので、おじさん贔屓しないですぜ?」


「あ、じゃあ負けやな」


「ですです。レフィーカちゃんですので」


 遂に長過ぎて省きだした須智佳。


「まあカチコミ全省きしてますし今更かと」


 言い訳がかなりメタい。あとそれ省いたの私のモノローグだけだからね?


「とはいえ良かったですねっ! これでおじさんもお嬢サマの事を認めてくれますよ!!」


「…………うん」


 まあ、よかった……のかなぁ?


「お邪魔なスティーカちゃんは華麗に去るぜ……?」


 須智佳がそう言ってまた床板を剥がして去っていった。自宅に知らない床下通路あるのはこの際どうでもいいとして。


「さてお父様。これは勝った、ということで良いのでしょうか。そもそも私をこういう荒事には一切関わらせないようにしていませんでしたか? なぜ突然?」


「い、いやぁ強くなったなぁ。なんやアレ、エアリアルコンボなんて現実でやりよるやつ初めて見たわ。わが娘ながら恐ろしいな!」


「……徹底的に立ち直れないようにしろって言ったのはお父様じゃないですか」


 ああ、またやりすぎていたらしい。この辺りの高校生がターゲットとか聞いた上にお父様も徹底的に潰すつもりだったらしいから、一人一人打ち上げて天井で処理したんだけど不味かったらしい。


「それはそうやけど。いやこれあれや、娘の天才性に諸手を挙げて喜んでる父親やから。初見はビビっただけやからね?」


「……」


「こないだ希が高校でやらかして呼び出された時な、なんやのっぺらした笑顔した新聞部の女子にちと動画渡されてな」


「どう、が……!?」


 新聞部、動画、ときて思い当たるのはたった1つ。


 ────だ。


「え、動画、えと、み、見たの?? ど、どどどういう、やつ、かな?? ですか?」


 えっ、あれ見たんですかお父様。恥ずっ、て、待ってあのときの私明らかに正気じゃないから!! 催眠術に掛かってるから!! その、違うから!!


「いやぁおいら驚いたわ。なんや希、


「………………。」


 美都、坊……?


 ん?


 えっと?


 つまり?


「アレ見て全部合点がいったんよ。希、間違いなくモテるやろからなぁ。なるほどなぁ、納得や納得。平乃ちゃんもよーやるわ、つーか言ってくれりゃおいらも学校へ凸るくらいしたんやが?」


「………………しり、あい?」


「せやで」


「……………………ぜんぶしってたの?」


「八割がた、知っとるんやないかな」


「…………………………それで茶番勝負」


「まあ美都ならええやろ。美都ならしゃーない。おいら美都ならまあ認めるが、本命やとか有り得んし、そもそも偽装って言うならはよ言うてや。マジでどないしょか考えてもうたやん……」


「…………それはお父様が……」


 って、ありえないかぁ。そんな気はして……あれ? いま、どういう考えして落ち込ん……で?


 考えてもちょっと分からなかった。最近はそういうのが増えたような気がする。何でだろう。


 はぁ、とお父様がため息を吐いて。ああもう、思考が途切れt───その瞬間この場で得た情報で電撃のような閃きが私の脳裏を走り抜けていった。


 …………なるほど。だいたいわかった。


「ハァー…………須智佳か。あの女……全部分かってて面白がってたんだ」


 私は思いきり地団駄を踏ん「床、っ?」バコッ「あいたーっ!!?」


「…………」


 回った床板。その先、何かぶつけたのかな? 額を赤くして見上げる女と目が合った。


「…………あ、そうですね、その足、向こうの床とくっつきたがってると思います、よ?」


「いいえ貴方の顔面が良いって言ってます。異論はないです。ほら」


「ちょっ、待っ」


 ────その日私は因果応報の意味を知った。また1つ強くなれた気がする。

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