二十六話『宝田希と一方その頃』
◆宝田希◆
…………気が付くと、私はよくわからないことになっていた。
目の前がぐにゃぐにゃと歪み、ぐわんぐわんと耳鳴りが響き、手足の感覚は重石がついているかのように重い。
そんな錯覚を覚えて。そこまで思考が回ってようやく、私を襲っているものの正体が伏水睡蓮の催眠術だということに思い至った。
彼女の催眠の効果が持続する時間は、大した事はない、だろう。実のところ私はこれまで彼女の催眠を事前に回避することが出来ていたから、掛かったことはない。いつどこで掛かったかは思い出せないが、こうして思考を回せるのは僥倖といったところだろうか。
そして、じわじわと錯覚が和らいでいく。
────コツコツ、と爪先で地面を叩いて深く息を吐く。
真っ先に感じたその動きに私は一度、思考を止めた。
……この動きは、私があることの後に必ず行うように習慣付けていた行動だったからで。
────「えっ……?」
誰かの驚くような声。数瞬の後にこの声が術を掛けたであろう伏水先輩の声であると理解した。
なるほど。私はそういうものを普段は隠して生活をしているから、知らないのも無理はない。というより、日常生活では不要なものだろう。こんなものは。
────足には僅かな圧迫感を感じる。
先程の足癖は、蹴りの後に行うもの。間違いなくなにかを蹴ったのだ。蹴った感触も、帰ってきたわけで。
じゃあ今、私は何を蹴った……?
その答えを示すように────急に視界が、広がった。
ついに私を固めていた催眠術が、解けてしまった。
私は眼下を見下ろして。
倒れて動かなくなった国本くんの姿を認めた
。
◆◆◆
……そして、私は微かに残った催眠の残響に身を任せた。
◆◆◆◆◆◆
「────……ああ、死んだのね。ふざけた被り物の貴方。貴方が私に掛けたせいです」
「ち、ちが、そんなつもりじゃ」
────宝田希が瞬間移動もかくやな一瞬で国本美都に背後から足刀を後頭部に浴びせて昏倒させた。
伏見睡蓮は、そのあまりの早業に戸惑っていた。彼女はそもそも催眠でそんなことをさせるつもりはなかった。彼女はただ宝田希だけを彼の場所へと連れていくだけのつもりだったから。
冷静であれば『宝田希だけ』の部分を宝田希本人が曲解したのだと気付……いや気付けたかどうかは怪しい。
否、彼女には不可能だったろう。
宝田希にとって最も簡単な一人のなり方が、周辺全員倒してしまえばいい、なんて気付けるわけがない。
それは、現代社会に生きる以上余りにも暴力的過ぎるから。
「違っ、ちがう、ちがうから!!」
伏水睡蓮は、ただ動揺の余り否定するだけだ。
……よく見れば国本美都は辛うじて呼吸していることにも気付けたかもしれない。ただ、普段は『暴力なんて縁がありません無視さんこわーい、うふふ』なんて言いそうな(伏水睡蓮の偏見です)品のいい下級生が急に人を蹴り殺してるのを見て正気でいられる人間は果たしてどれだけいるだろうか。
一方宝田希はもう国本美都が視界に入らない。確信していた。『普通の人間が私の不意打ちに耐える訳がない』と。意識からももうすぐ消えるだろう。そういう風に己に掛かった催眠を弄った。
「……ふぅん? なるほど、こうやって催眠に掛けていたのですか。せっかくなのでお返しします。そうですね、国本くんを友達の元に返してあげてください」
「────。」
宝田希は正真正銘の天才だった。少し見ただけ、己の中に残っていた催眠の一欠片、それから奇妙な高揚感。それらの要素が組み合わさった事で、あっさりと伏水睡蓮の技術を盗み、再現を可能にしてしまった。
催眠を返される伏水睡蓮。そんな彼女の頭の被り物に、しょうもなくムカついた宝田希が持ち物から古い葉っぱのアクセサリーを取り出し茎に該当する部分でその頂点にぶっ刺した。
そのアクセサリーは昔祭りか何かで、知らない人から貰ったもの。劣化することを恐れてか、身に着けることも飾ることもせずにいたそれを、今となってはどうしてか手放せなかったそれを、宝田希はぶっ刺した。
それは、そのアクセサリーをくれた人が国本くんに似てい────……。
「……気のせいです」
意識に働きかける催眠だからか意識や記憶がぐちゃぐちゃで変なことを思い出してしまった。気のせいだろう。偽物の恋人だったのに、重ねてしまうのは、違う。
だから私はこの葉っぱのアクセサリーを持っている資格が無い。と、宝田希は捨てるつもりで被り物にぶっ刺した。
「……ふぅん、妙な感じがあっちからしますけど。もしかしてこっちに居るんですかね。伏水先輩って、ひょっとして本当に……」
そしてその足で、黒幕の元へと歩いていった。
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